寄り添う

 ぼくは、エー。一般人だ。

 けっして特別なんかじゃない。優しくなんかない。いたって普通。たぶん。

 都会の街角で、塀の上からカラスが飛び立った。猫に驚いたように見える。そんなこともあるだろう。

 それにしても風が爽やかだ。こんな日は、誰かの力になりたくなる。

 ん。塾が始まるまであんまり時間がないな。

 知ったことか。

 いま、人に寄り添いたいんだ。この気持ちは誰に求めることはできない!

 横断歩道の手前。おばあさんが荷物を抱えているぞ。

 ここは、僕の出番だ。

「大丈夫ですか? お荷物、お持ちしましょうか?」

「結構だよ! あっちいきな!」

 断られてしまった。仕方ない。こういう日もある。うん。

 ぼくは、仕方なく塾に向かった。


 20人ほどが入れる教室。

 その中で、ぼくは授業を受けていた。国語だ。ここは塾。

 グレーの内装で、机は茶色。

 椅子は橙色だ。

 おや? 隣の席のエイチくんが困っているぞ。話しかけてあげよう。

「何か困ってる?」

「うっさいな。黙れよ。気づかれるだろ」

 どうやら、先生に知られたくないらしい。なるほど。そういうこともあるのか。

 ぼくは、さりげなく力になることにした。

「はい」

「ん? どうした、エーくん。質問かね?」

 先生が聞いた。当然だ。そうなるように仕向けたのだから。

「ちょっと、いまのところが分からなかったので、教えてくれませんか?」

「そうか。簡単に説明するとだな――」

 しめしめ。狙いどおりに、わかりやすく解説してくれた。これで、エイチくんも喜ぶはず。

 そして、授業が終わった。

「おい」

「なに?」

「余計なことするなよ」

 おどろいて、すこし言葉が出なかった。なんとかしぼり出せたのは、短い一言。

「えっ」

「じゃあな!」

 エイチくんは足早に帰ってしまった。何がいけなかったのだろうか。ぼくには分からない。

 その日は、しばらく眠れなかった。


 学校への道。

 いわゆる通学路だ。大勢の生徒が、同じ方向へと進んでいる。

 生徒たちは、みんな同じ制服姿。白と黒の部分が多い。冬は暖かいが、夏は暑い。この時期はちょうどいい感じだ。

 ぼくは、無意識のうちにエイチくんを探していた。

 いない。

 仕方ない。ほかの人に寄り添うことにする。

「大丈夫ですか?」

 ぼくは、道で転んでいた上級生に声をかけた。この手に、ばんそうこうを持っている。準備はバッチリだ。

「ちっ。うっせーな」

 悪態をつかれて、ばんそうこうをむしり取られた。

 いったいどういうことなのか。

 ぼくの力は、必要ないってことなのか?

 いや、まだあきらめないぞ。

 絶対にだ!


 学校。

 クリーム色の部分が多い。椅子と机はこげ茶色。机の上には、みんな教科書とノートを広げている。

 一時間目の授業が終わって、休み時間。

 休み時間は短い。実際に短いし、体感的にも短い。仕方ないことだ。

「あっ。シャーペンの芯がない」

 おや。エルさんが困っている。ここは、ぼくの出番だ。

「使う?」

 一瞬で表情がこわばったエルさん。しまった。なにか間違ったか。

「いらないわよ!」

 一言。ただそれだけ言うと、エルさんはそっぽを向いてしまった。

 わからない。何がいけなかったんだろう。

 そのあと、隣の席の男子がエルさんにシャープペンシルの芯をあげていた。

 ぼくには関係ないことだ。

 ぼくの心はささくれ立っていた。


 お昼休み。

 食事のあとは、待ちに待った休み時間。お昼休みは、長い。

 いやいや。あんまり長くない。体感的には。

「ん?」

 何か落ちてる。ボールペンみたいだ。拾って、職員室に持っていこう。

 そう思って拾ったとき、うしろから声が聞こえた。

「返せよ!」

 隣のクラスの男子だ。名前は知らない。もちろん、ぼくはすぐ返す。

「はい。君が落したの?」

「そうだよ。悪いかよ」

「いや。悪くないけど」

「ふん」

 鼻息を鳴らして、男子は去っていってしまった。

 うーん。ぼくの言葉づかいが悪かったのかな? どうすればよかったんだろう。


 それからも、誰かの力になろうとしては拒絶されてしまった。

 しかも、何度も。

 でも、ぼくは諦めない。

 かならず、誰かに寄り添うんだ。


 誰だ?

 知らない子だ。うちの学校の生徒じゃないな。

 帰り道。とつぜん現れたかのような謎の女子に、ぼくの心は浮足立っていた。

 かわいいから、ではない。けっして。

 こんなところに立ち止まっているなんて、きっと困っているに違いない。

 当然のように、ぼくは声をかけることにした。

「どうかしたんですか? 大丈夫ですか?」

 しかし、何の反応もない。

 おかしい。

 まったくしゃべらないのはまだしも、こちらに見向きもしないぞ。なにか変だ。

「何か落とした?」

 やはり、何も話してくれない。

 ちらりとこちらを見たような気がする。いや、気のせいかもしれない。

 街路樹が立ち並ぶ大通りで、二人の時間が始まる。

 周りの人たちが変な目で見ているような。仕方ない。この子の力になるためだ。もう少しねばってみよう。

「ひょっとして、話したくない?」

 当然のように、返事はない。

 ダメか。うまくいくと思ったんだけどな。

「まさか」

 ぼくは、ある重大なことに気づいた。それは。

「ひょっとして、話せない?」

 ダメだ。やっぱり、何も言ってくれないどころか、首すらふってくれない。これじゃ、答えが分からない。

「けっして怪しい者じゃない。力になりたいんだよ。君の」

 精一杯の誠意をこめたつもりだ。これでどうだ。

 だが、やっぱり何の反応もない。

 わけがわからない。

「なんなんだろうなぁ、いったい」

 つい、思いが口に出てしまった。しまった、と思っても、言ったものは引っ込められない。

 優しい風が頬をなでた。ぼくの目には、うっすらと涙が浮かんでいるはずだ。

 せきを切ったように、次々と言葉があふれてきた。

「誰かの力になりたいのに、誰もぼくの力なんて必要じゃないみたいなんだ。どうしたらいいんだろう」

 もちろん、答えはない。それは分かっていた。

 ただ、言いたかっただけだ。ぼくの気持ちを伝えたかっただけ。ひとりよがりな行動だ。

 そのとき、女の子が笑ったような気がした。

「そうか」

 ひらめいた。ぼくは、答えを見つけた!

「ありがとう! 名前は? って、教えてくれないか。じゃあ、また!」

 家に帰ろう。いまは、この一歩一歩が軽い。

 早く、帰ろう。


「どうした? 何かいいことがあったのか?」

「うん。ちょっとね」

 父さんからの質問に、ぼくは何かあったことを匂わせた。さて、どうなる?

「そうか。教えてくれないのか?」

 やっぱり、気になるよね。それなら、教えてあげよう。

 母さんは、にこにこしながらぼくたちの様子を見ている。

「あのね。今日、気づいたことがあるんだ」

「気づいたこと?」

「うん」

 父さんは、ぼくの言葉を待っている。ぼくは、言葉をつづけることにした。

「誰かの力になろうと頑張るのは、ほどほどがいいってこと」

「なんでだ?」

「一方的に寄り添おうとしても、ひとりよがりになることがある。だから」

 頭にやわらかい感触。父さんの大きな手が、ぼくの頭をなでた。

「そうか」

「うん。だから、ただ黙って見てることも優しさなんだって気づいたよ」

 あたたかいぬくもりに包まれた。母さんが、ぼくを抱き締めたのだ。

「エーは、優しいのね」

「そんなんじゃないよ。ぼくは、普通だよ」

 照れくさくなって、ぼくは母さんの手を振りほどこうとした。でも、やめた。

 ぼくたちを、父さんが無言で見守っていた。

 見てくれる人がいる。それだけで、頑張れることもあるのだ。

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