言わせたい言葉
じゃがバター
いつもの風景
『奥さん、奥さん。これ流行りの異世界召喚? 俺の限定至高のカツ丼スペシャルどうなったと思う?』
『誰が奥さんか。いや、待って。これ、どうやって会話してるの?
『テレパシー? 二人の特別な
『カツ丼から離れろ』
ちょっと隣の伊織が通常運行すぎるけど、気づいたら知らない場所にいたという、パニックになってもいい事態。
さっきまでいた場所の風景は消え、時分も違う。今はギリシアの遺跡にあるような円柱が周囲を取り囲み、真上には煌々と輝く夜の月。
隣にはアホなことを言う友人、伊織。付き合いが長いので、幼馴染と言ってもいい、かな? さっきまで私と伊織のほか、仲のいい湊と勝也の四人で、学生向けの安い定食屋にいたはず。
伊織の言う『至高のカツ丼スペシャル』は定食屋の一日5食限定メニュー。他はだいたいワンコインなのに、それだけ千円を超える。
どうやって火を通しているのか不思議になる分厚い肉に、とろとろの卵、ミツバの清々しい香りが鼻に抜けるのもいい。限定だし、人気だし、懐事情の問題があったりで滅多に食べられないけど。
ちがうカツ丼じゃない。今はそうじゃなくって、もっと考えないといけないことがある。
『床のこれって、召喚のための魔法陣?』
『魔法陣って、呼び出したモノが外にでないようにするためのものだけどね』
私の友人は無駄に博識。でも今はそれがメインの問題じゃない。
――隣にいるのがコイツで、いつもと全く変わらないマイペースだから落ち着いていられるのだけど。
周囲にはフードを目深に被った怪しいローブ姿の6人。異様な雰囲気を漂わせてるしね。
ぴくりとも動かないほかの5人を従え、正面の一人がフードを下ろす。こぼれ落ちる金糸の髪。
下ろすなら最初から被らなくてもよくない? 寒いの?
「勇者よ、私に、この国に力を貸してください」
潤んだ大きな青い瞳、白い肌に薔薇色の唇。庇護欲をそそる華奢な体。
『ベッタベタじゃないですか、ヤダー』
伊織の反応はおかしい気がするけど、絵に描いたようなベタなお姫様の姿なことは間違いない。
『美男子じゃなく、美少女がこのセリフ言ったってことは、私は巻き込まれ決定。どうしてくれる、勇者サマ!』
目の前のお姫様っぽい
『責任取って、
『アホか!』
私の物言いがぞんざいなのは、長年伊織にツッコミをいれているせいな気がする。責任転嫁だけど。
『いや、本当、本当。このお姫様、【魅了】の能力持ち。抵抗するためにもぜひ!』
『【魅了】だの能力持ちだのってどうやって知って……。ああ、本当にベタな勇者サマなのね?』
相手の能力を読み取るのも、ベタな勇者の能力だよね。【鑑定】とか【心眼】とかそんな名前の。
『そのようで。今の俺、万能っぽいぞ。だから【鑑定】できちゃった。【魅了】は、心を捧げた相手がいる場合、抵抗できるって。――だからもらって? あと欲しい』
何を言ってるんだコイツ。そう思って、目をうるうるとさせる可憐なお姫様から隣に視線を移すと、笑顔で脂汗をかいている伊織。
『まずい感じ?』
『まずい感じ』
いつも飄々としている伊織がぎこちない笑顔。
『自分の能力を把握する間もなく【魅了】食らったから、せっかく万能なのにアレに攻撃できない』
あの可憐な生き物に攻撃できたらしてたのか。
『心を受け取るってどうするの?』
『こうかな?』
伊織の胸から柔らかな光が迫り出してくる。その光の球体の真ん中には指輪。なるほど、これを受け取ればいいのか。
『嫌なプロポーズだな……』
『結婚しては前から言ってるじゃないですかー』
『伊織のは軽くて信じられない! というか結婚自体軽く思ってる気配がひしひしとする!』
今回も緊急避難的なアレでナニだろう!
「ああ、勇者様。あなたの心、確かに」
姫さんがゆっくり降りて来て、指輪に手を伸ばす。
あ、姫様は伊織が【魅了】にかかって自分に恋して、
だめ。それは私の物だ。
指輪に手を伸ばす私。伊織は選択を迫られて緊急避難で私を選んだんだろうけれど、今選ばないと失うなら私の答えも一択。
いや、答えはずっと一択だ。ただ、時とシュチュエーションを待っていただけ。
「きゃあっ」
姫さんが指輪を包む光に指を弾かれ、後ろに数歩よろめく。
『馬鹿だな、泉以外に触れるものか』
伊織が呟くのが聞こえた。
「返さないぞ、下僕!」
伊織に向かって言いながら、指輪を左手の薬指に勢いよくはめる。
「返されても困る。マイハニー」
「誰がハニー……っ、わあっ!」
――再び風景が変わる。
「うをっ!」
カツ丼をかき込む手を止め、目を丸くしている勝也。
「あっ! 俺の『至高のカツ丼スペシャル』!」
悲鳴に似た声をあげる伊織。
伊織の勇者としての能力は本当に万能だったらしく、あっさり戻って来た。清潔だけど安っぽいテーブルと椅子、メニューがいくつも貼り付けられた壁。
目の前に友達が座っているいつもの定食屋。――予想通りに伊織の『至高のカツ丼スペシャル』は、半分以上勝也の胃の中に収まっている。
「――トイレじゃなかったの?」
湊がこてんと首を傾げる。
「一瞬だけ異世界に行ってたみたい?」
そう言って、まだ暖かい焼きそばを見る。私が異世界に呼ばれる前に頼んでいたものだ。
「先週、勝也と私も異世界に呼ばれて行って来たよ? 私が魔王だって。よくあることなのかな?」
自信なさげに湊が言う。
よくあっちゃ困るよ! でもその前に。
「湊、魔王なの?」
「そうみたい? 泉に会えなくなるのは嫌だから、帰って来ちゃった」
えへっと笑う湊。
「私も湊と会えなくなるのは嫌だな」
どうやら、こちらもあちらも平和らしい。きっと呼び出されたのは同じ世界だよね?
現実味のない体験だったけれど――。
左の薬指には淡く光の輪が見える。注視しないと見えないくらいだけれど、確かにある。じんわり暖かい光。
「すみません、限定の『至高のカツ丼スペシャル』ってまだありますか?」
「あるよ〜」
厨房に向かって声を掛けると、女将さんの大きな少し掠れた声が返って来た。
奇跡的に残り一食。
「おお?」
言い合いをやめて、手を膝に置き背筋を伸ばして期待の眼差しで私を見る伊織。
「いや、私が食べる。代わりに焼きそばはあげよう」
「えええっ!」
向こうでカツ丼カツ丼言われて食べたくなっちゃった。
分厚いお肉、ふんわり盛られた炊き立てのご飯、それに流れ込むとろとろの卵は、絶妙な半熟。ミツバの黄緑が鮮やか。うん、変わらない。
伊織があんまり恨みがましいような、切ないような顔で見るので、焼きそばもカツ丼も半分にして二人で食べた。支払いは一部、勝也。
ギャアギャアとうるさい伊織と勝也、そっと笑っているおとなしい湊。うん、プロポーズはまだいいかな? 付き合ってもいないのに、いきなり「結婚して」は飛びすぎだと思うし。
――その前に言うことを、まず言ってもらわないとね。
言わせたい言葉 じゃがバター @takikotarou
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