八、妖狐顕在
その日、珍しく日の高いうちに
しかし、その凄みのある表情も、颯季を前にすると和らいだ。無事を安堵するようであり、我が子と再会した喜びのようでもあり、惟織がどれほど颯季を気に掛けているかがよく分かる。
本当に、互いに互いを深く思いやっている主従だ。それなのに、
『いつも済まないな、燈架』
従者を迎えにきた麗人は、いつも決まってそう言う。このとき、僅かながら警戒されているのを、燈架は感じた。それがなおのこと、気に入らない。
『明日も頼めるか』
意外なことに、また申し訳なさそうに請うてきた。颯季がまた残念がる。
だが、惟織は切羽詰まっているようで、真剣に燈架のことを見つめていた。
『明日で終わる。最後にどうしても、後始末をつけてきたい』
釈然としないまま浅く眠り、朝となったら颯季を宿に迎えに行く。惟織は、用事を終えた後、朱門の詰所に迎えには来るのだが、朝に送りに来るようなことはなかった。だからいつも、燈架が颯季を迎えに行く。
石畳の小路。木造の建物が軒を連ねる人疎らな通りを行き、颯季の泊まっている宿へと向かう。街の至るところに植えられた桜はだいぶ散ってきた。葉桜も見えている。花を楽しめるのは、もう一日、二日といったところだろうか。やはりもう一度天覧堂での花見をするのは無理そうだ。燈架は嘆息する。
目的の場所が見えたところで、燈架は足を止めた。社寺仏閣のような荘厳な宿の入口前に、袴姿の一団が集っていたのだ。妖祓いの一団であることはすぐに判った。無論、朱門ではない。宿を取り囲む彼らの様子は殺伐としていて、辺りは物々しい雰囲気の飲まれていた。その手には抜く前の刀が握られている。
何事か。観察していても判別できず、埒が明かないと判断した燈架は、ピリピリと緊張感を漂わせる彼らを刺激しないよう慎重に近寄り、集団の一番後ろで腕を組みつつ状況を俯瞰している人物に声を掛けた。違う一門の者ではあるが、その人の顔はよく知っていた。
「
声を掛ければ、男はゆっくりとこちらに顔を向けた。鼻筋が通った三十頃の男だ。引き締まった長身。太い眉。一重の眼。硬く引き結ばれた唇から気難しい印象が窺える。
「……君は」
眉間に皺を寄せつつ、燈架を射抜くように黒い眼を眇める。それが、は、と見開かれて、
「朱門の。確か、煌利君の従者をしていた」
低く硬質だった声の調子が、少しだけ上がった。思い出した、と声質のみで語っている。思考・感情がいとも容易く読み取れる男だった。
「燈架と申します。
燈架は恭しく頭を垂れる。今、煌利に付いているのは燈架ではなく志炯なのだが、それには触れないでおく。
妖祓いの一門『黄門』の頭首、緋坦。燈架は直接関わったことなど殆ど無いが、妖祓いの中では、堅物で有名な男だった。一方で、とても素直な男だとも聴く。確かに隠し事はできなそうだ、とこの短い時間で燈架は思った。
「君は、何故此処に?」
「私用なのですが……これは何事ですか?」
「ちょうどいい。もし良ければ、君にも手伝って欲しい」
訝ったそのとき、宿の二階の障子が内側から吹き飛んだ。続いて飛び出した影の正体に、燈架は目を瞠る。
右手が柄に伸びる。影が着地した向かいの長屋の屋根の上を睨み上げれば、炎を宿した琥珀の瞳とかち合った。
「惟織!?」
思わず燈架は叫ぶ。そして、屋根から憎々しげにこちらを見下ろすにその姿に、さらに目を見開く。
ぬばたまの髪からは大きな三角の耳が、薄墨の袴の
――九尾の狐。
颯季も見た〈花守〉の資料に載っていた、古の大妖怪の一。
惟織がその妖怪だったのか。
同時に、妙に腑に落ちるものがある。昨日のあの会話のことだ。颯季が妙に訳知り顔だったのは、〈花守〉と共に行動していたからに他ならない。
そこで、はたと気が付いた。惟織が肩に担いだ黒いものの正体。
「――颯季っ!」
燈架の声に、詰襟姿の少年の身体がもぞりと動く。頭を上げた颯季は、燈架の名前を呼ぶと、
「助けて!」
切羽詰まった声に、考える間もなく燈架の身体は動いた。刀を抜き、正眼に構える。足を引いて身体を反転。戦闘体勢を取る。
「燈架君、どういうことだ?」
緋坦に問われて、燈架ははじめて自分と対峙しているのが誰なのか気が付いた。自分の刃の切っ先は、
自分でも思わぬ事態に戸惑った燈架は、一瞬瞳を彷徨わせた。少年を肩に担いだ妖と、それを追う妖祓い。一見すれば、妖の方が悪者である。
だが、燈架には、惟織が颯季に危害を加えるとは思えなかった。そうすると違和を覚えるのが、この状況。
何故、黄門が妖祓いを揃えてこの場所に来ているのか。
気を取り直し、刀を握り直し、燈架は真っ直ぐに緋坦を見返して問い掛ける。
「そちらこそ。何を為さっておいでです?」
「日規の命を受けた。人に化けた〈花守〉がこの宿に居ると聞き、捕まえに」
「なんですって?」
燈架は眉根を寄せた。惟織は妖祓いすらも誤魔化すほどに、自らの妖気を隠し遂せる力を持つ妖である。情けない話だが、直に接触した燈架をはじめ朱門の詰所に居た妖祓いたちは、誰一人迎えに来た惟織の正体を看破することはできていなかった。
それなのに、燈架たち以外の誰かが、いつの間にか惟織の正体を見抜いたと――?
だが、その疑問を口にする暇なく、妖祓いたちは惟織に向けて術を放った。石礫が麗しき妖と颯季に迫る。
「――止せっ」
燈架の制止虚しく、石礫が惟織の身体を打ち付ける。惟織はたくさんの尾で自らの身体と颯季を庇い、攻撃が止んだ合間に別の家屋の屋根に飛び移って、この場から脱離した。
「追え!」
緋坦の命を受けて、黄門の祓い師が駆けていく。燈架は、呆然とその後ろ姿を見送った。
状況が全く呑み込めなかった。
正体が〈花守〉の妖だという、惟織。
〈花守〉の守る〈常世の庭〉に執念する日規。
接触した燈架たちを差し置いて惟織の正体を見抜いた誰かと、惟織を捕らえに来た妖祓いたち。
結びつきそうで、何処か結び付かないものばかりが、燈架の前に並び置かれている。なんとも不吉めいた欠片に、燈架は据わりの悪い心地を覚えた。
だが、それ以上に気にかかるものがある。
「……颯季」
ただでさえ、神隠しの妖に狙われている少年だ。ここでさらに、妙な争いに巻き込まれるとあっては、彼の身が心配になる。
「燈架君、話を――」
厳しい声で緋坦が追及しようとしてくるが、燈架はそれを振り払って駆け出した。早いこと惟織を――颯季を見つけなければ。そればかりが燈架の脳内を占めていた。
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