九、女影乱入

 追った先にすでに祓い師たちの姿はなく、燈架は自らの勘のみで惟織を探す羽目になった。都を出て、道を外れ、野山に出る。途中、湖に注ぐ小川を見つけ、そこを遡った。

 小さな野花の咲く川沿いを歩いていくと、小石が多くなってきた。さらに進めば視界が開ける。川が大きく湾曲したことでできた川原。九つの尾と三角の耳を晒したままの麗人姿の惟織と、心配そうに主を覗き込む颯季を見つけた。

 川原の上で蹲っている惟織は、肩口を押さえて歯を食いしばっていた。

 先に燈架に気づいたのは、颯季だった。惟織を庇うように前に立ち、こちらの様子を窺っている。


「……傷を負ったか」


 惟織が顔を上げ、鬼気迫る表情でこちらを睨んだ。燈架めがけて飛んできた狐火を、術を使って打ち払う。


「……お前が私を売ったか」


 狐火を撃った手を下ろし、惟織は呻くように言う。走ったにしても息が粗い。惟織が押さえる手の下が赤く染まっているのを燈架は見た。いつの間にか、黄門の妖祓いに切られたか。


「いいや。俺はお前が妖であることにすら気がつかなかった。気づいたとして、そのときに使うのは身内だけだ。余所者に頼ったりなどしない」

「ならば何故――っ」


 叫びかけ、傷に響いたのか蹲る惟織。颯季が慌てて惟織に飛び付き、心配そうに肩口を覗き込む。相変わらず健気な様だが、燈架はもう堪えきれなかった。

 

「訳を聞かせろ」


 刀を抜き、惟織に向ける。隣で颯季が息を飲んだ。手負いに脅しのようなことをするが、相手は妖だ。油断はできない。


「何故、妖のお前が、人の子の颯季を連れ歩く」

「人間に語ることなどない」


 傷に呻きながらも、惟織は刺々しい光で燈架を睨み返す。端麗な顔に汗すら浮かんでいるのを見て、燈架は眉を顰めた。余程の深手を負っているのか。

 よくよく観察してみれば、惟織は左肩だけでなく、左脇腹も押さえていた。白妙の衣が半分ほど赤く染め上げられている。

 燈架の視線に気づいた颯季が顔を上げた。


「宿にあの人たちが入ってきたとき、僕を庇った所為で、刀で刺されて」


 不意を打たれたのだろう。黄門の連中もずいぶんなことをする。そう思うのは、知り合いだからなのだろうか。

 手当てするべきか、と逡巡する。しかしまだ、尋問の途中だ。下手をすれば、敵である。燈架は切っ先を下げかけた刀を握り直した。


「なら、どうするつもりか、それだけは訊かせてもらう。でないと、俺はお前たちを引き離す他ない」

「それは――っ!」


 颯季が声を張り上げる。訴えかけるような必死な目で燈架を見上げてしばし。一度瞑目すると、気を落ち着けて真っ直ぐに燈架を見つめた。


「それは、僕が嫌です」

「だが――」


 真剣な颯季の思いを知っても、燈架はまだこのまま二人を送り出すことには躊躇した。惟織にどんな思惑があったとしても、このままでは颯季の身が危険に晒される。いつぞや街で襲われたことから考えても、惟織の存在は妖どもの牽制にはならず、また、惟織の存在がある故に人間からも狙われることになるだろう。それを看過することなどできはしない。


「そう、悩むことはありません」


 ふと、艶かしい声が割り込んだ。

 それぞれが顔を上げた瞬間、颯季の身体が後方に引っ張られる。


「この子は、わたくしが貰い受けるのですから」


 颯季の身体を影が這った。後ろから抱き込むようにして華奢な胴に伸びるのは、黒い二本の腕。

 惟織が目を見開いた。


蔭把かげはっ!」


 怒声に応じて影が色を為した。

 とろりとした目と、ぷっくりとした朱唇が目を引く、花のような顔。結い上げ、簪で飾り立ててなお腰まで届く長い髪。青藍の振袖は襦袢とともに襟ぐりを大きく広げており、白く細い肩とさらしの巻いた胸元が覗く。金欄の帯は斜めに蝶結び。その下はまた着崩して、右の腿が覗いている。足袋を履かない足元には、紫紺の鼻緒の木履ぽっくり。花魁もあわや、といった姿だが、その蠱惑的な姿に、燈架はおぞけが走った。

 影の女は、惟織の姿を見て、うっとりと口の端を持ち上げた。


「いい気味ですわぁ、その情けない格好。実に二百年ぶりの素敵なお姿です」


 それから惟織に見せつけるように颯季を抱き寄せて、そのこめかみに口付けた。顔を白くして固まる颯季と激情に顔を歪める惟織の表情を堪能すると、服の上から颯季の胸をまさぐった。たおやかな白い手が胸のちょうど真ん中に来ると、女はその上で何かを掴むように手を握りしめる。

 二人の目の前、なにもない宙空に昏い虚が現れた。日の光の下にあってなお、濃い闇の塊が虫食い穴の奥に見える。

 女はそれを満足そうに見つめると、颯季を抱えたまま、ちら、と惟織のほうを振り返った。


「それでは、お庭にお邪魔しますわ、〈桜守〉」


 そうして微笑んだ後、そのうろに身を踊らせた。


「待て――っ!」


 惟織が追い縋ろうと必死に手を伸ばすが、その指の先で颯季を飲み込んだ虚が消えた。

 苛立ちに惟織が手を地面に叩きつけたのを見て、燈架は我に返る。抜き身の刀を握ったまま惟織の元に駆け寄って、その身体を支えた。


「おい」


 声を掛けるが、惟織は二人が消え去った宙を睨みつけたまま、動かなかった。その顎に汗が伝う。

 燈架は惟織を川原の上に座らせ、傷の様子を見た。血は既に固まりかけているものもあり、衣服を脱がせるのは難しそうだ。懐から手拭いを二つ取り出すと、一つは折り畳んで衣服の上から脇腹の傷に当て、もう一つを引き裂いて包帯を作り、当て布の上から巻き付けた。


「肩傷までは無理だ」

「いらん」


 ぶっきらぼうに吐き捨てて、よろめきながら立ち上がる。太い九つの尾がさわりと揺れた。

 颯季、と青白くなった口が動く。


「奴は何処に行った」

「我が〈庭〉だ」


 短く答えて、一歩踏み出す。右手を翳すと、女が消えたのと同じ虚がまた現れた。後を追うつもりだ、と気がつくと、相手が妖であることも忘れて思わず声を上げていた。


「その身体で行く気か!」

「他に誰がいる」


 低く声を絞りだし、虚の中へと手を入れた。それが溶けゆく様を見て、惟織は琥珀の目を鋭くする。


「あれは我が子だ。彼奴に渡してなるものか」


 すぅ、と虚に吸い込まれるように、惟織の姿が消えていく。

 唖然としたのも束の間。燈架は刀を握りしめると、意を決してその虚に飛び込んだ。

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