四、不穏潜都

 捜せと言われたところで、何一つ手懸かりを持たない燈架とうかに術などあるはずもなく。

 街に出た燈架は、団子を片手にふらふらと湖畔沿いの通りを歩いていた。天覧堂てんらんどうをはじめとした豪奢な建物が立ち並ぶ区画とは、また異なる街の一角。良心的な価格で食べ物や土産物を売る店が広い道の両端に並ぶ、観光通り。今回死体が見つかった現場に程近い場所である。

 出店で買った団子を一つ咥えて串から引き抜きながら、燈架は辺りを観察した。死体が見つかったのも片付けられたのも、どちらも未明のこととはいえ、さすがに噂になっているらしい。不安そうにひそひそと言葉を交わす者がまばらに見える。これらは地元民。暢気にはしゃぎ回っているのは、観光に来た他所者だろう。

 燈架は、晴天にも関わらず顔を曇らせている地元民から話を聞いて回った。しかし、めぼしい話は見つからない。小一時間ほど探り埒が明かないと判断した燈架は、次なる手を思案した。

 その最中、ふと通りすがった店の軒先が気になって、草履の歩調を緩めた。そこは茶葉を売る店。店の前で暇を持て余す詰襟姿は、昨日天覧堂で言葉を交わしたあの少年である。

 奇縁を感じた燈架は、すぐさま少年に声を掛けた。


「昨日ぶりだな、坊主」


 足先を弄びながら、空を見上げてぼうっとしていた少年は、燈架に気づいて会釈した。偶然の逢瀬に目を見開いている。


「昨晩は、ご馳走さまでした」

「気にするな。菓子の一つくらい」


 律儀な礼に応えて、燈架は店の入り口を覗き込んだ。店内の薄暗がりの中、白妙に薄墨の袴姿が浮かび上がっている。――あの麗人だ。


「ご主人は買い物か」


 少年はこれに頷いた。


「これからお訪ねする方への土産物だとか」

「地元の茶を?」

「僕らの道行きに、良いお茶が見つからなかったもので」


 方々から人も物も集まる明都あきとの店なら、それなりのものが見つかるだろう、とのことで訪れたらしい。この店はそれなりに大きく、名も知られた店だった。目の付け所としては、なかなかのものだろう。


「坊主は見ないのか」

「僕はその方にお会いしたことがありませんから」


 そうか、と一つ頷いて、密かに少年の様子を観察した。会話の中で、何処となく沈んだ気配。昨日もあった。置いていかれた、と嘆いたときだ。

 どうやら此度もまた、除け者にされるらしい。それともされたのか。いずれにしても、主はこの従者を訪問先には連れていきたくはないようだ。


 ――何故だ?


 とても可愛がっている風であったのに。


「すまない、待たせたな。よく知らないものだけに、悩んでしまった」


 燈架が訝っている間に、その主は買い物を終えたらしい。包みを抱えながら暖簾のれんを潜り出てくる。そこで従者と話す燈架の存在に気がついて、動きを止めた。

 すぅ、と明るい琥珀の眼が細められ、燈架は身を強張らせた。張り詰められる緊張の糸。知らず、左手が腰を這う。


「どちら様?」


 吐息のような誰何の声は、凍てついた響きを宿していた。燈架は返事すらできず、鋭い視線を見つめ返すことしかできなかった。

 そんな緊迫した雰囲気を打ち破ったのは、少年の声だった。


「昨日、お茶をご一緒したんです」


 お菓子をご馳走していただいて、と恥ずかしそうに付け加えると、敵意にも似た麗人の凄みがたちまち霧散した。

 は、燈架は短く息を吐いた。どうやら相手の気迫に飲まれ、呼吸すら忘れていたようだ。


「そうか。それは失礼した」


 麗人は淡く微笑んで、軽く一礼した。ああ、いや、と曖昧な答えを返し、頭を掻いて自らを宥める。心の臓の鼓動がいやに大きく響いた。


「……菓子か。なるほど、その手もあるな」

「なにがです?」

「土産だ。だが、店を知らないな」


 そんな燈架の傍らで微笑ましい会話を繰り広げる白と黒の主従。燈架はそんな二人を観察した。端から見るとなんとも理想的な主従だが、昨晩もあった違和感を今もまた抱いている。

 悪い者ではないようだが、と少年に不審の目を向ける。理由を掴み切れずにいるのだが、嬉しそうに麗人と話している彼が、燈架にはとても信じられない。


「ああ、これは申し訳ない。でも良かったら、ここらで美味い菓子を売っている店を紹介してくれないだろうか。我々は明都に詳しくないんだ」

「それだったら、この通りの先の――」


 と道を指し示しかけたところで、燈架は突如空を見上げた。同じくして、麗人もまた視線を上げる。

 から、と小さな音。瓦の鳴る音と気づいて、燈架は店の屋根の上に視線を移した。ひさしの向こうから、黒い影が燈架たちの前に落ちてきた。


 それは、一見いぬに似ていた。仔馬ほどの大きな黒い狗。しかしよく見れば、顔は猿のように平たく、後ろ足は前足に比べて随分と長かった。まるで人間が四つん這いになったような奇怪な姿。だが、手は狗のものだし、太い尾もある。耳も顔の横でなく頭の上で、三角形。

 狗と猿を組み合わせたような奇抜な生き物。


「――妖かっ!」


 燈架は前に飛び出し、今度こそ腰に差した刀を抜いた。眼前に構え、背後に麗人と少年を庇う。

 妖は、黒目ばかりの眼を、刃を構える燈架ではなくその背後に向けていた。そこにいるのは少年。なんとなくそうだろうとは思っていた。最近の神隠しを思えば、標的を推測するのは難くない。

 それに、この少年は、妖を惹き付ける何かを持っている。存在感、といえば良いのだろうか。彼には独特の気配がある。妖相手にするのを生業とする燈架だからこそ分かる感覚。それは霊力と呼ばれるもの。妖祓いも身につけるそれだが、彼のものは一層特別だと燈架は気づいていた。その霊力を求めて、妖が迫っているのだろう。


「下がっていろ、颯季さつき


 麗人が燈架と同じく進み出た。懐を探り、扇を取り出す。ただの扇ではない。骨が鉄でできた、鉄扇だ。


「……蔭把かげはの遣いか」


 妖を睨み付けながら、忌々しそうに呻いた。


「あいつめ。こちらから頭を下げたというのに、結局こうか――っ!」


 怒気を露わにしながら吐き捨てる。どうやら心当たりがあるらしい。意識を妖に向けながらも、燈架は麗人と少年――颯季の様子を窺った。麗人は冷ややかな怒りを露にし、固唾を飲んでいる少年には怯えの表情。

 彼らは何者か。改めて疑問が顔を出す。主が従者を守っている、その光景の奇妙なこと。従者は主に命を賭して守るべき、とは言わないが、心配はすれど積極的に主人が従者を庇う様子はそう見られない。主従というより親子のようだと、燈架は思った。


ね! 今ならまだ許す」


 居丈高に言い放つ麗人に呆れること数瞬。妖には知恵あるものも居るが、あれはどちらかといえば獣に近い類いで、まず話は通じまい。

 現に、目の前の妖はぐるぐると唸って身構えている。

 聴かないか、と麗人は頭を一つ振り、鉄扇を構えた。足を前後に開き、腰をわずかに落とす。閉じた扇は短刀のように前へ。琥珀の眼差しは鋭さを増す。

 その構えは堂に入っていた。心得程度のものでなく、修羅場の経験ある者の所作である。今更ながら避難を促したほうが良いかと思ったが、麗人についてはその必要はなさそうだった。

 必要なのは、少年の方。


「坊主、店に入っていろ」


 背後を振り向かずに促せば、控えめな返事と小さな足音。その後に、奥からガタガタ、と派手な音が聴こえた。妖の騒ぎに動転した店主がなにかをひっくり返したのだろうか。

 周囲もまた、妖の出現に騒然としている。あちこちで悲鳴が上がり、ここから離れんと靴や草履の音がする。知らぬこととはいえ、本来妖を前に不用意に音を立てることは得策ではないのだが……目の前の狗猿の妖は、騒ぎ立てる大人を意に介すことなく、ひたすら少年が消えた店の奥へと意識を向けていた。

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