四、不穏潜都
捜せと言われたところで、何一つ手懸かりを持たない
街に出た燈架は、団子を片手にふらふらと湖畔沿いの通りを歩いていた。
出店で買った団子を一つ咥えて串から引き抜きながら、燈架は辺りを観察した。死体が見つかったのも片付けられたのも、どちらも未明のこととはいえ、さすがに噂になっているらしい。不安そうにひそひそと言葉を交わす者が
燈架は、晴天にも関わらず顔を曇らせている地元民から話を聞いて回った。しかし、めぼしい話は見つからない。小一時間ほど探り埒が明かないと判断した燈架は、次なる手を思案した。
その最中、ふと通りすがった店の軒先が気になって、草履の歩調を緩めた。そこは茶葉を売る店。店の前で暇を持て余す詰襟姿は、昨日天覧堂で言葉を交わしたあの少年である。
奇縁を感じた燈架は、すぐさま少年に声を掛けた。
「昨日ぶりだな、坊主」
足先を弄びながら、空を見上げてぼうっとしていた少年は、燈架に気づいて会釈した。偶然の逢瀬に目を見開いている。
「昨晩は、ご馳走さまでした」
「気にするな。菓子の一つくらい」
律儀な礼に応えて、燈架は店の入り口を覗き込んだ。店内の薄暗がりの中、白妙に薄墨の袴姿が浮かび上がっている。――あの麗人だ。
「ご主人は買い物か」
少年はこれに頷いた。
「これからお訪ねする方への土産物だとか」
「地元の茶を?」
「僕らの道行きに、良いお茶が見つからなかったもので」
方々から人も物も集まる
「坊主は見ないのか」
「僕はその方にお会いしたことがありませんから」
そうか、と一つ頷いて、密かに少年の様子を観察した。会話の中で、何処となく沈んだ気配。昨日もあった。置いていかれた、と嘆いたときだ。
どうやら此度もまた、除け者にされるらしい。それともされたのか。いずれにしても、主はこの従者を訪問先には連れていきたくはないようだ。
――何故だ?
とても可愛がっている風であったのに。
「すまない、待たせたな。よく知らないものだけに、悩んでしまった」
燈架が訝っている間に、その主は買い物を終えたらしい。包みを抱えながら
すぅ、と明るい琥珀の眼が細められ、燈架は身を強張らせた。張り詰められる緊張の糸。知らず、左手が腰を這う。
「どちら様?」
吐息のような誰何の声は、凍てついた響きを宿していた。燈架は返事すらできず、鋭い視線を見つめ返すことしかできなかった。
そんな緊迫した雰囲気を打ち破ったのは、少年の声だった。
「昨日、お茶をご一緒したんです」
お菓子をご馳走していただいて、と恥ずかしそうに付け加えると、敵意にも似た麗人の凄みがたちまち霧散した。
は、燈架は短く息を吐いた。どうやら相手の気迫に飲まれ、呼吸すら忘れていたようだ。
「そうか。それは失礼した」
麗人は淡く微笑んで、軽く一礼した。ああ、いや、と曖昧な答えを返し、頭を掻いて自らを宥める。心の臓の鼓動がいやに大きく響いた。
「……菓子か。なるほど、その手もあるな」
「なにがです?」
「土産だ。だが、店を知らないな」
そんな燈架の傍らで微笑ましい会話を繰り広げる白と黒の主従。燈架はそんな二人を観察した。端から見るとなんとも理想的な主従だが、昨晩もあった違和感を今もまた抱いている。
悪い者ではないようだが、と少年に不審の目を向ける。理由を掴み切れずにいるのだが、嬉しそうに麗人と話している彼が、燈架にはとても信じられない。
「ああ、これは申し訳ない。でも良かったら、ここらで美味い菓子を売っている店を紹介してくれないだろうか。我々は明都に詳しくないんだ」
「それだったら、この通りの先の――」
と道を指し示しかけたところで、燈架は突如空を見上げた。同じくして、麗人もまた視線を上げる。
から、と小さな音。瓦の鳴る音と気づいて、燈架は店の屋根の上に視線を移した。
それは、一見
狗と猿を組み合わせたような奇抜な生き物。
「――妖かっ!」
燈架は前に飛び出し、今度こそ腰に差した刀を抜いた。眼前に構え、背後に麗人と少年を庇う。
妖は、黒目ばかりの眼を、刃を構える燈架ではなくその背後に向けていた。そこにいるのは少年。なんとなくそうだろうとは思っていた。最近の神隠しを思えば、標的を推測するのは難くない。
それに、この少年は、妖を惹き付ける何かを持っている。存在感、といえば良いのだろうか。彼には独特の気配がある。妖相手にするのを生業とする燈架だからこそ分かる感覚。それは霊力と呼ばれるもの。妖祓いも身につけるそれだが、彼のものは一層特別だと燈架は気づいていた。その霊力を求めて、妖が迫っているのだろう。
「下がっていろ、
麗人が燈架と同じく進み出た。懐を探り、扇を取り出す。ただの扇ではない。骨が鉄でできた、鉄扇だ。
「……
妖を睨み付けながら、忌々しそうに呻いた。
「あいつめ。こちらから頭を下げたというのに、結局こうか――っ!」
怒気を露わにしながら吐き捨てる。どうやら心当たりがあるらしい。意識を妖に向けながらも、燈架は麗人と少年――颯季の様子を窺った。麗人は冷ややかな怒りを露にし、固唾を飲んでいる少年には怯えの表情。
彼らは何者か。改めて疑問が顔を出す。主が従者を守っている、その光景の奇妙なこと。従者は主に命を賭して守るべき、とは言わないが、心配はすれど積極的に主人が従者を庇う様子はそう見られない。主従というより親子のようだと、燈架は思った。
「
居丈高に言い放つ麗人に呆れること数瞬。妖には知恵あるものも居るが、あれはどちらかといえば獣に近い類いで、まず話は通じまい。
現に、目の前の妖はぐるぐると唸って身構えている。
聴かないか、と麗人は頭を一つ振り、鉄扇を構えた。足を前後に開き、腰をわずかに落とす。閉じた扇は短刀のように前へ。琥珀の眼差しは鋭さを増す。
その構えは堂に入っていた。心得程度のものでなく、修羅場の経験ある者の所作である。今更ながら避難を促したほうが良いかと思ったが、麗人についてはその必要はなさそうだった。
必要なのは、少年の方。
「坊主、店に入っていろ」
背後を振り向かずに促せば、控えめな返事と小さな足音。その後に、奥からガタガタ、と派手な音が聴こえた。妖の騒ぎに動転した店主がなにかをひっくり返したのだろうか。
周囲もまた、妖の出現に騒然としている。あちこちで悲鳴が上がり、ここから離れんと靴や草履の音がする。知らぬこととはいえ、本来妖を前に不用意に音を立てることは得策ではないのだが……目の前の狗猿の妖は、騒ぎ立てる大人を意に介すことなく、ひたすら少年が消えた店の奥へと意識を向けていた。
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