五、妖魔対峙

「お前、妖祓いか」


 緊迫した空気の中で、凛とした声。それは、問い掛けというよりは、確認だった。燈架が首肯すると、麗人は琥珀の瞳だけをこちらに向けた。その色は、ずいぶんと落ち着いている。この肝の据わり様といい、こちらを妖祓いと見抜いたことといい、尋常ならざる人物であるに違いない。


「手伝え。ともかく彼奴を追い払う」

「無論だ」


 燈架は一つ前に踏み出した。麗人が嗜むであろう鉄扇術は、護身を基本とする。つまり受け身の技である。ならば、刀を振り回す燈架が積極的に攻めるべきだろう。

 此方の意を汲んだのか、麗人は店の前へと移動した。


 狗猿の妖が大きく地を蹴る。強く踏みしめたのは後ろ足。まるで人のように飛び上がり、前に立つ燈架を無視して麗人へと迫まった。燈架は急ぎ、二者の間に割り込んで、妖相手に袈裟懸けに刀を振り下ろす。

 黒い右腕が落ちる。ガァ、と妖が哭いた。

 二の腕から血を流しなが、妖はよろめく。標的を忘れ、腕を切り落とした男に敵意を向けた。長くない口吻から、狗の牙を剥き出しにして、ぐるぐると唸り声がする。

 燈架は今一度刀を正眼に構えた。そろり、と足を踏み出し、切っ先を小さく振って相手を挑発する。

 妖はこれに応えた。また後ろ足で飛び上がり、前足を大きく振りかざして、狗の爪で燈架を引っ掻かんとする。燈架はそれを足を引くことで躱し、腰辺りに来た妖の首筋に柄頭を叩き込んだ。


 地に倒れ込む妖を見て、燈架は眉を顰めた。神隠しの現場に近いこの場所に現れたこと、十五近くの少年を狙ったことからして、件の妖かと推測していた。だが、それにしては知能が低い。思考があまりに単純・単調だ。これでは、獲物を弄ぶ発想に至ることもないだろう。桜に吊るすなど以ての外。別件と思うべきだろうか。


 ――否、しかし。


 先ほど、麗人は誰かの〝遣い〟と言ってはいなかったか。

 神隠しの件と、この妖と。別のものと断じることはできないような気がして、燈架は束の間逡巡する。


 その間に、地を掻いていた妖は起き上がり、片手の喪失で平衡感覚を失った動作で、麗人の方へと向かった。燈架には既に二撃与えられている。ならば弱い方から、と先程から店の前から一歩も動かぬ麗人に目をつけたのだろう。

 焦りとともに踏み出した燈架の足は、琥珀の眼差しに止められた。任せろ、とその視線が訴える。応じた燈架は体勢を調えて、息を整えた。次の一手の仕度を始める。刀を正眼に構えて、深く息を吐く。集中のため、目蓋は半ば閉じ、腹腔に気を溜める。

 その間に、麗人は襲いかかった妖を扇で往なし、その猿の側頭部を打った。妖の躯が大地に沈む。その背にすかさず燈架が刀を突き刺した。刀身にともる。たちまち焔に呑まれた妖は、ばたばたと手足を動かすが、逃れることも叶わずに全身に焔が行き渡る。

 金属を擦り合わせたような悲鳴が耳をつくが、燈架は構わず刀を押し込み続けた。声は次第に弱くなり、魔物の躯は墨と化し、灰へと化した。

 燈架が灰の山から刀を引き抜けば、風に散らされて何処かへと散っていく。

 ふぅ、と溜め息が漏れた。


ほのお使い――朱門か」


 刀を拭う懐紙を出すために燈架が胸元を探りはじめると、鉄扇をしまった麗人がこちらへと歩み寄ってきた。燈架の術を見て素性を言い当てるあたり、やはり只者ではない。


「助かった。礼を言う」


 だが、こうして会釈してくれるあたり、悪い人物ではなさそうだ。

 燈架は刀を鞘にしまい、汚れた懐紙を折り畳んで袖の内に隠す。それから姿勢を正し、麗人に感謝を述べた。


「あんたのところの従者に、大事なくて良かったよ」

「……本当に」


 付け加えると、麗人は安堵の表情で店のほうを見つめた。心底安堵した様子だ。その綻んだ横顔に、燈架は話し掛けた。


「最近、明都で子どもが攫われる。歳は十から十五の子だ。一部は変わり果てた姿で見つかった。あの子もきっと、それに巻き込まれかけたのだろう」

「ふん……」


 腕を組んだ麗人は忌々しそうに鼻を鳴らした。据わった目は、ここに居ない誰かを罵っているようである。何か知っているな、と燈架は確信した。これは問い質すべきか。

 悩んでいるところで相手の方が先に口を開いた。


「お前、護衛を頼めるか」


 唐突な頼みと展開に、燈架はしばし呆けた。頭の中で内容を咀嚼。それでもなお訝しむ。

 どんな燈架の反応に焦れたのか、麗人はもう一度言い含めるように言った。


「颯季が妖に狙われている。守って貰いたい」

「何故、俺が」

「妖には妖祓いだ。実力もあるようではある。牽制になるし、私も出掛けるに安心だ」


 燈架は頭を掻いた。暇であれば、考えなくもない。しかし今は一応任務の有る身だ。気安く是とは応えられない。

 そう伝えるが。


「おそらくもう、子供が狙われることはないだろう」


 麗人は妙な確信を持ってそう言った。


「何故そう言える」

「奴の狙いが颯季だからだ」


 気付いているだろう、と問われ、燈架は黙した。店の中から、主を心配した颯季少年が顔を出す。不思議と意識を惹き付ける、彼の纏う雰囲気。これを思えば麗人の言葉も得心がいくものだった。

 そんな少年を慈悲深い眼差しで見ていた麗人の顔に、苦虫を噛み潰したような表情が浮かぶ。


「これまではおそらく憂さ晴らし。標的が定まれば、そちらに集中するはずだ」

「心当たりがあるんだな?」

「……まあな」


 顔を顰めつつ、頷いた。

 その心当たりについて尋ねようと思ったが、麗人が不意に視線を逸らした。追及を避けているのだ、と燈架は察した。


「そういう訳で、颯季を一人にはしておけない。だが、私の行く先に連れてもいけない。祓い人の傍に置いてもらえれば、これほど心強いことはない。日中、私がこの街で用事を終えるまでの、しばしの間だ。どうか頼む」


 神妙に頭を下げる麗人を前に、頭の中でいろいろと断りの文句が駆け巡るが、結局燈架はその中から一つも選ぶことができなかった。



  * * *



「そうして、引き受けたわけか」


 颯季を連れて詰所に戻った燈架に、やれやれ、と煌利は肩を竦めた。苦笑じみた表情の奥には、揶揄する光が見える。


「存外押しに弱いのだな」

「すみません……」


 そう雛壇の下で恐縮するのは、何故か颯季の方だ。畳の上に正座して、縮こまっている。自分の所為で面倒を掛けていると、思っているらしい。


「お前が気にする必要はないよ」


 燈架は颯季の肩を叩いた。確かに、あの麗人――惟織いおりと名乗った――に半ば押しきられたようなものだが、元来妖祓いとはそもそも妖から人々を守るための人材である。彼を守ることそのものに燈架は異存はない。

 ただ、今は上から下された任がある故に、どうしてもそちらに気が取られてしまうのだ。


 煌利は、颯季を励ます燈架を見て腕を組む。


「仕事に差し障りがあるのは、否定しようがない」


 せめてそれは颯季のいないところで言って欲しかった、と燈架は思う。気にしいな颯季がますます縮こまる。

 見た目のわりに親しみやすい煌利。性格はといえば素直であるゆえ、たまに場の空気を読まずに思うことをそのまま述べてしまうようなところがある。それで揉め事になったことは、数知れず。荒事を忌避しない性質でもあるため、学習もしない。全く困った再従兄である。

 燈架も他人の事を言えないことは、脇に置き。


「仕方ない。代わりに俺が動こう」

「……それが狙いですか、貴方は」


 あっけらかんと言う煌利に、燈架は半眼を向けた。元来活動的なこの頭首は、屋内での仕事を嫌がる。それを燈架に押し付けようという思惑だろう。


志炯しけいが困りますよ」


 一応止めてみせるが、煌利は素知らぬ顔だ。うんざりと肩を落とした狐面の姿が、燈架の脳裏に浮かぶ。

 とはいえ、寛容さを見せて認めてくれるのであれば、有難い。その代わりに、と押し付けられた書類仕事を、燈架は甘んじて受け入れた。志炯には存分に困ってもらうことにする。


「すみません。大変なときにご面倒を……」


 煌利の部屋を辞して廊下に出ると、颯季が申し訳なさそうに言った。煌利の気を遣わなかった言葉の数々に、すっかり恐縮してしまっている。

 そんな様子が何処か微笑ましく、燈架は彼の頭をぽんぽんと叩いた。


「気にするな。もともと妖祓いはそういうものだ」


 むしろ余計なのは、御上の命による〈常世の庭〉がらみの件である。足を引っ張っているのは、間違いなくあちらの方だ。依頼人の思惑の分からない仕事より、この可愛らしい少年の相手の方が、燈架としては好ましい。


「お前が気にするべきは、立ち入りを禁じた場所に足を踏み入れぬこと、そしてなにより、お前自身の身の安全だ。主人が迎えに来るまでは気楽に過ごせ」

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