三、妖祓一門
「眠そうだな」
明朝。浅い眠りの所為で冴えない気分のまま勤め先へと向かった男――
「ずいぶんと腑抜けた顔だ。深酒か?」
「酒に呑まれるような、馬鹿な真似はしねえよ」
男が腰に佩いた刀のように鋭利な物言いに腹が立ち、ぶっきらぼうに返す。
「ただ、桜に化かされた」
「……女か」
「違ぇよ」
燈架は溜め息を吐く。そのような色艶事ではないのだが、説明する気力が湧かなかった。なんとなく思いついた言葉を続けてしまったことを後悔する。彼の言う通り眠気のある所為で、頭の中が空転している。うまく物事が考えられない。
「なんにせよ、仕事に差し支えるような道楽は感心しない」
燈架は唇を引き締め、喉の奥で唸った。誤解である上に決めつけられているようで腹が立つ。しかし、此処へは口論に来たわけではない。ここは素直な返事をして流すべきかと葛藤したが。
「そこまでにしておいてやれよ、
青い畳敷きの部屋の上座、一段高い雛壇から明朗な声が降り注いで、燈架の決断を遮った。臙脂袴の膝を立てて、三白眼の男が此方を見下ろしている。平時は近寄り難い印象を与える細長の面に愛嬌のある笑みを浮かべて、優しく狐面の男――志炯を止めた。
「天覧堂で酒を飲むのが、燈架の楽しみなんだ。それを奪うようなことはしてやるな」
志炯の、肩口で切り揃えられた髪が小さく左右に揺れる。呆れたように首を振る仕草に燈架はまた腹が立った。
しかし、その怒りの矛先は、すぐに雛壇の上の頭目と仰ぐ男に向けられることになる。
「だが、燈架の色恋の話なら気になるな。是非後で話してくれ」
「だから、違うって言ってるでしょうが」
揶揄する言葉に、言葉を崩す。すぐに調子に乗るこの頭に対する遠慮は、苛立ちが増すのに反比例して減衰していった。
それもそのはず、この、燈架たちが
「そもそも、男か女かも判りませんでしたよ」
少しだけ冷静さを取り戻した燈架は、そう付け加える。
昨夜、茶屋で茶菓子を奢ってやった少年とその主たる麗人と邂逅した燈架は、退店し宿舎にて床に着いた後も気が昂ぶって眠れなかった。それこそ、あの桜の化身のような麗人の姿が脳裏に焼き付いて離れなかったのだ。
恋などと甘いものとはまるで違う、不穏な騒つきがいつまでもべっとりと胸に付いて離れなかった。と同時に、従者とかいうあの少年のことが気に懸かったのだ。主を慕う様子から、害を加えられている様子はないようだが――。
「お戯れはここまでにして、そろそろ本題を」
いい加減話題に飽いた志炯が狐面を煌利に向けて促す。煌利は気安い表情を引き締め、三白眼を厳しく光らせた。
「神隠しについてだ」
燈架は背筋を伸ばした。三人を取り巻く砕けた空気が一変、張り詰めたものになる。
「また一人見つかった。十四の男児だ。桜の木に逆さ吊りにされていたのを、未明、通りがかった男が見つけた」
煌利から
見つかった男児は四日前に失踪した者と一致するというのだが、未明に見つかった遺体は、医者が見るに既に死後三日が経過しているのだそうだ。発見場所は、通りから少し外れたところにある木。この桜の盛りの時季、花見客は大勢いる。まさか三日の間、誰にも見つからずに吊るさっていたとは思えない。
加えて、少年の死体も損傷は酷いものであったという。まるで獣になぶり殺されたような、牙と爪の痕がそこかしこ。
「……まるで見せ物だ」
志炯が吐き捨てる。表情こそ仮面で見えないが、汚らわしいものを見たような、侮蔑と嫌悪の籠もった声色だった。
「そうだな」
煌利もまた、難しい顔で頷いた。
遺体の状況を聴く限りは、獣に襲われたように思えるが、遺体の吊るさった桜の木は、湖の北岸の半分を覆う明都の只中にある。獰猛な野生の生き物が入り込むことはそうそう有り得ぬ事態だし、仮にあったとて既に騒ぎになっているはずだ。
そもそも、遺体を木に吊るすという発想が、多くの動物にはない。例外として、早贄という奇異な習性を持つ
で、あれば、犯人の正体は――
「目立つ場所で遺体を逆さに吊るしているあたり、自己顕示欲が垣間見えてならない。奇特な性癖を持つ人間か、或いは妖の仕業とするのが妥当だろう」
妖。この世に蔓延る夜の生き物。人型、獣型と種類は様々だが、超常の力を持ち、度々人の世を掻き乱す不可思議な存在である。
そして、燈架と煌利、そして志炯は、その妖から人の生活を守ることを生業とする〝妖祓い〟だ。五つある祓い屋大家のうちの一門『朱門家』に所属していて、煌利はその頭目である。
「それで、我々は妖の捜索ですか」
「その通りだ。所業がどうも妖に近いのでな。警察だけでなく我々妖祓いも動かすことにしたらしい」
燈架たち妖祓いは、一部例外の〝野良〟もいるが、基本的に国に仕える者たちだ。妖専門の警邏隊と言えば通るだろうか。故に、上――国のお偉方から仕事を請け負うこともままある。今回の一件もまた、それだということなのだろう。
「此度もまた花の下で見つかったものだからな。〈花守〉が関わっているのではないか、と御上は色めき立っているよ」
「〈常世の庭〉ですか」
〈花守〉という言葉にぴんときた燈架は、呆れ果てて頭を振った。向かいで苦々しく志炯が吐き捨てる。
「妖の領域に興味を示すなど、物好きな」
〈常世の庭〉。それはこの
そして、その〈常世の庭〉を管理するのが、〈花守〉と称される妖たちだ。彼らは古くより存在する大妖怪で、〈常世の庭〉の花を世話しているという。
昨夜、燈架が少年にした、花に血を吸わせる妖の話も、実のところ、この〈花守〉の存在が念頭にあったからだ。その世話に血が含まれるのか真偽は定かではないが、噂の一つとしてそういうものがある。
まあ、それはさておき。
「そのようなもの、見つけたとしてどうするのです」
常世は妖の世。人の世界とは異なる世界だ。そんなところのものになど迂闊に関わるべきではない、と燈架は思う。
煌利もまた同感のようで、腕を組みながら難しい表情で頷いた。
「さあな。俺も天上人の考えていることなど解らん。まさか〝不老不死〟など求めているわけでもあるまい」
あらかた迷信に惑わされているのだろうが、とつまらなそうに付け加える。不老不死は〈常世の庭〉に纏わる迷信の一つだった。大妖怪が守る以上、その庭にはなにか特別な力が眠るのだろう、という卑しい人間の願望からできた噂だと、燈架も煌利も考えている。
「まあ、そちらは適当にやるさ。兎にも角にも悪趣味な妖を狩らねばならないという点には、相違ない。お前は下らぬことは考えず、普段通りに役目を果たせ」
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