第22話 「彼の居場所」:空木要(11)

「ようするに、どれだけ影響を与えられるかってことだよ」


 御堂はそう、要に言ったのだ。確か古本屋に行った時に御堂に会い、そのまま帰りに喫茶一圓銀貨で今度書く文集の内容について話している時だった。


「自分の言葉が誰かに読まれて、それがもしかしたら、なんらかの影響を与える。そういうことのために書いているんだよ」


 御堂の言葉は、要には常に気恥ずかしいくらい大げさな響きをまとっていた。胡散臭い、といったほうがより正しい。というか、嘘くさくて冗談じみたものでしかなかった。


 かつて自殺者を大量に生んだゲーテの小説や二千年にわたって人々の生き方を縛り、時には大量の死を呼び寄せる書物に対するあこがれのような、そんな大げさな冗談に過ぎない感じ。


 要はその時の御堂の言葉を特に信じたわけではなかった。何よりも御堂自身が信じているような気がしなかった。ただ、人を試すような言い方だった。長谷川は多分、本気で信じていたのかもしれない。


 言葉でどうこうなんて信じちゃいない。だからこそ、行動に移したのか。それは、およそ陳腐な成り行きのようで、しかしやはりそうなのだろうかという気分を要は否定できそうにない。彼にとってつまらない現実に影響を与える――そのために。それは、もしかしたら、彼の身近な人間――姉の死が関係しているのかもしれない。



 神社には先に志帆が着いていて、急いでいたのか、髪の乱れや少し汗ばんだ感じでなんだか走ってきたような様子がする。


「意外と遅かったね」尻をはたく志帆にそう言われて、呼び出した手前、決心するのに時間がかかった、というわけにもいかず、要は「ちょっと準備に手間取ってね」などといい加減なセリフでお茶を濁した。そして、手にしていたバッグから道すがら買っておいたペットボトルを取り出すと、志帆にすすめる。志帆はそれを受取ろうとしたものの、手元がくるって取り落としてしまう。やたらと派手な音を立て、それは地面に転がった。


「あ、ごめん」慌ててひろう志帆を要は見ながら、頭の中で一瞬、何かが発火するような感覚があった。

「どうしたの?」志帆が怪訝な表情で見上げてくる。おぼろげな道筋が見えてくる気がしていた。しかし、それはすぐ行き詰まりを見せる。……だが、端緒をつかんだ気がしていた。


 とりあえず、今はここまででいい。とにかく確認が先決だった。


「なんでもない。それじゃあ行こうか」


「電話で場所は聞いたけど、なんであそこに行くの?」


 志帆が聞く。要は電話で目的地と、お互いの家から近いこの神社で落ち合うことを伝え、動きやすい格好で来てくれ以上は言っていなかった。


「まあ、それは、予想を確かめに行くため……かな」


 その予想が、志帆にもたぶん見当がついたのかもしれない。はっとするように目を少し開いた彼女は、それ以上何も言わずに黙って頷く。そして、二人はそこへ向かった――あの大量の自殺体が埋葬された山――鉄塔山へ。


 神社の裏から鉄塔山へ入る。実のところ幽霊マンションよりこっちのほうが近い。

しばらくは舗装された道が続くので楽といえば楽だ。しかし、真昼間とはいえ、この山に入っていくのはあまりいい気はしない。これからすることだって警察に任せて済ますこともできたのだ。しかし、要は自分で確かめることを選んだ。というより、自分で確かめたかった。例えそれがいくら気が進まないとはいえ。


 なにより自分で見つけたかったのだ。御堂司を。


 富田が口にした噂は、実際にあったことというよりは、事件現場につきものの凡庸な作り話からくる噂に過ぎないだろう。しかし、あの自殺事件と御堂がつながった以上、要にそこが今現在盲点になっていることを想起させた。警察の捜査がいったん終わった場所――要はそこが探すべき場所だと確信していた。


 


「ねえ、私さ、さっきここに来る途中であの捕まった人の家に行ってきたんだ」

 山に入り、しばらく歩く中で志帆がそうぽつりとこぼした。要は志帆をちらと見る。志帆はうつむき加減で足元をじっと見ている。


 さっき少し様子が変な気がしたのはそのせいか……。とはいえ、なんといえばいいのかわからず、そう、とだけしか言えない。


「遠くから少し眺めただけだったんだけどね。すごいね……なんだろう、みんなが正義でみんなが怒っていて……でも、あれがたぶん私がいつも居る場所なんだろうな」


 違う、とは言い切れない。要もまた、そう変わらないはずだから。


「今の自分は違う、そう思いたいから見に行ったんだ。でも野次馬の野次馬みたいになっちゃってさ……はは、馬鹿みたいだよね」

 志帆の笑い声は乾いていた。


 未舗装の砂利道はしだいに狭くなっていく。もう少し先に例の防空壕跡があるはずだ。


「……僕もそうさ。進んで首を突っ込んでる野次馬。まあ、ちょっとだけ当事者なだけでさ。そうでなきゃ、ただの特異な犯罪事件として、情報を気がねなく消費する側に回ってたろうさ……いや、今だってそうでないとは言えない」


 そういうものだろうし、結局、程度の差こそあれ、事件を何らかの形で消費していないとは言えないのだから。


「まあ、少なくとも、志帆が見たような連中にならないように気を付けていくしかないだろうよ」

 それから、要は思い出したように、

「意識的に罪悪感を軽くしながら一体感を得つつ、自分が肯定されるような仕組みってのを、人は好むんだそうだよ。とりあえず、罪悪感を持ち続けるうちは、疑問を持ち続けるうちは、ああいうのに飲み込まれないんじゃないのかな」


 それが志帆の求めていた言葉なのかわからなかったが、志帆は短く、かもね、とつぶやくように小さく頷いた。


 またしばらく、二人の土を踏む音だけが続く。この場所に関心を向ける人間も、もうほとんどいないようだった。連日、道化師のこと、模倣犯のことで押し流されて行って、もしかすると、ここで大量の集団自殺があったこともほとんど忘れられているのかもしれない。今の事件だっていずれはきっとそうなる。そういう意味で、どれもが一過性の見世物――サーカスなのかもしれなかった。


 ようやく防空壕跡にたどり着く。草が茂る中、ぽっかり空いた穴は、結構大きい。要は中学生の頃に見に行ったことがあったが、当時は杭と鉄線でどこかいい加減に塞いであったそれは、事件の後、真新しい金網が穴にはめ込まれていたようだ。しかし、よく見るとそれを工具できれいに丸く切り取って、それを一見するとわからないように戻してある。要はそれを確認すると、背負ったバッグから懐中電灯を取り出した。


「中、入るわけ?」志帆が言う。


「まあ……金田一先生いわく、一度探した場所は盲点になる――それを確かめるだけだけど、危ないし、そこで待ってたほうがいいかも。というかむしろ、何かあった時のために、そこにいてくれないか」


 確認するのは自分だけでいいし、やはり危ないということもある。要は切られた金網部分を剥がすように取り外し、その破れ目を慎重にくぐると懐中電灯を穴の暗がりに向ける。湿ってひんやりとして、そして土臭い空気が漂っている。要が入ってきた穴の向かい側にも金網のはまった穴があいていて、この防空壕跡は小さなトンネル状になっている。だからそこまで真っ暗なわけではなかったが、それでも電灯があったほうがいいくらいには薄暗い。


 ここが当時、簡易ガス室と化し多くの人間が死んだ場所でもあった。練炭や七輪、そして穴をふさぐのに使っていたらしい木の板やブロックが中にそのままになっていた。ブロックは穴の中央付近に不自然に積まれている。一応、折り畳みシャベルを持ってきていたが、そばに放り出されていたシャベルがあり、それを使うことにする。


 ブロックを崩し、少し掘ると板が敷いてあった。それを外すとやがて強烈な腐敗臭が漂い始め、それをこらえながら慎重に掘る。彼を見つけるのは自分の役目なのだと言い聞かせながら。そして、朽ち果てた手がのぞき、そのそばにあった手帳を引き出すと、要は土を払って中を確認する。


 要は、死体に向かって小さくつぶやいた。

「ようやく見つけたよ、御堂」


「どうだったの。臭い凄いけどあれって……」

 穴から出てくると、要は少しひきつった顔をした志帆に頷いて見せる。

「殺されてたってこと?」

「埋められていたからね……まあ、詳しいことは掘り出してからになるだろうけど」

「御堂君、なんだよね」

「一応、あいつの生徒手帳が埋めてあった。可能性は高い」

 とはいえ、要はほぼ確信してはいた。おそらく聞いた志帆もそうだろう。


 そしてまた、発見者になってしまった。警察に通報して再びえらいことになるのはともかく、要はやはり犯人――道化師に踊らされていることを強く意識する。自分の前にあつらえられたような事件。ことごとく先回りされているような違和感。自分に糸がくっついていて、何かをさせられようとしているのではないか、そんな考えが頭をもたげる。


 意味のない密室からの犯人消失とそこに残された首同様、薬品で焼かれて残されたロープ。一方では長谷川の死体から首とあったはずの三本目のロープは持ち去られた。そして、共通点として切られては焼かれる首――とはいえ、最新の四件目は火をつけたものの特に首を切ったわけではない。それが、要の中でまた引っ掛かりを生む。首切りは重要ではないのか?


「カナ、私が電話しようか?」

 黙ったままだった要に志帆が声をかける。


「首切りをしたのとしなかった理由はなんだ?」


 疑問を思わず声に出していたらしい。え、と志帆が目をぱちくりしながら、

「必要があったか無かったか……じゃないの? でもその必要性ってよくわからないけど。ただ……首を切ってはいなくても、結局みんな燃やされてはいるよね」


 少し、また何かがつながるような気がした。首を切るよりも燃やすことに意味があるのだとしたら……もしくは、何らかのカモフラージュか? ただ派手に見せるパフォーマンスらしきものの裏に何かがあるような感覚。そして、発見した御堂のものと思われる遺体が、どうなっているのかがにわに気になった。手を見た限りは燃やされたような形跡はなかったが、首やその他がどうなっているのかはわからない。


 要は防空壕跡に取って返すと、再びシャベルを手に取っていた。


「ちょっとカナ、どうしたの」

 志帆の叫び声を背に受けるが、かまわず掘っていく。腐敗臭が再び壕内を充満させていくが、かまわず続ける。シャベルをふるい続ける。そして、やがて埋められた遺体をそっくり掘りおこし終わった。そして、要は掘り出したものを観察していく。志帆がまだ何か言っているようだったが、要にはもう聞こえなかった。


 死体は、やはり首が肩のあたりで切られていた。そして燃やされた首が、そのまま切り取られた胴体に、切り口をくっつける形で埋められていた。

 

 要は壕内を見渡し、あちこち電灯を向ける。――違う、ここじゃあない。そして、壕内から飛び出した。


「ちょ、ちょっと、どうしたの」

 勢いよく飛び出してきた要に志帆が戸惑いと不審の声をぶつけるが、要はそれを気にすることもなく。周りをきょろきょろし始める。


  入口から近くのはずだ。それとどこか手ごろな……。要は道から隠れるような、そして壕の入り口近い木からそれに登るようにして観察していく。急に木登りまがいのことを始めた要に、やはり志帆が何か言っているが、それにこたえている余裕はなかった。当たりを付けたそれらしい木の枝分かれしたあたりを見ていく。死体の腐敗の状況からして、かなりの時間がたっているのは確かだ。おそらく事件が始まると同時にはもう――。だから、痕跡が残っているか少し自信がなかった。


「……あった」

 見つけた。何かがこすったような跡。そして、想像が正しかったとするのならそこから導かれていくもの――だんだんとこのサーカスで演じられていたことがわかり始めてくる。そして道化師が誰であったということも。しかし、同時にわき上がるのは、何のために? ということだった。

 

 それは果たして推理で埋まるのか。見通せないそれが、どこか要を不安にさせるのだった。

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