第21話 「傍観者たち」:早瀬志帆(9)

 公園での出来事は人々を震撼させた。そして、ようやくというべきか、この事件が自らに脅威を与えるものであると認識しだしたようだった。刺された矢津井をはじめ、三人の被害者は一命をとりとめたものの、恐怖は雲霞のごとく街を覆い。犯人が逮捕されたことで、それは怒りの炎として広がっていった。


 犯人は市内に住む二十代のアルバイトの青年だった。彼は就職後、職場でのハラスメントで鬱病を発症し退職、スーパーで働きながら半ば引きこもるような形で生活していたという。


 当初、ニュースでは彼が一連の事件の犯人ではないかというような報道がなされていた。犯人自身も自分が事件を起こしている道化師だという主張の報道もあり、一時期その発言は一部SNSで根拠として盛り上がりを見せた。しかし、警察はこれまでの事件と無関係なことを発表、報道はやがて彼の人となり、現代の若者が抱える問題、若者が起こす凶悪事件――といった形でテンプレにまとめ始めた。


 一方で青年の家族への中傷は激しくなっていく。そして、志帆はその現実の光景を目の当たりにする。


 彼の住所は直接の報道がなくてもネットを介してあっという間に広まっていた。志帆はその情報をもとに、ふらふらそこに足を向けてしまっていた。なぜなのかはわからなかった。単なる好奇心ではなかったと思う――いや、そんなふうに思いたいだけなのだろう、きっと。


 小さな一軒家――すべての窓にカーテンが降りたその家をカメラや人々が取り巻いていた。時々、怒声のようなものが上がる。殺人者、責任をとれ、謝れ――特に被害を受けたわけではない人々が吐き出す怒りは、真っ黒な色をしている。それは、志帆の心の中に澱として堆積していく。塀やドアに落書きがされていたが、その文言へ特に眉を顰めるものはいない。


 そう、なぜ来たのかはわかっているのだ。自分はあの人たちとそう変わらない。降ってわいた厄介ごとが、恐怖として身近にあるのなら叩きのめさねば気が済まない人々の群れ――それが、志帆のいる場所だ。彼らと私を隔てるものはたぶんほとんどない。


 私は、私を見に来たのだ。


 いや、本当はただ見に来たわけじゃない。そうすることで「それを見る私」として、彼らと自分を切り離しかったのだ。自分は違う、そういう風に思いたいだけだ。そしてそれは、彼らを見てもただただ、どうでもいい虚しさだけが肥大していく。

 

 カメラを持った人間が、こちらを見ているような気がした。思わず後ずさりをすると踵を返し、駆け出していた。


 志帆はむちゃくちゃに走っていた。ひたすら走って汗だくになり、くらくらしたところで見えてきた神社に駆け込む。社への苔むした階段に座り込んで息を整えた。

まったく、ふらふらあんなとことに行くなんて、いくら何でも不用意すぎる――。そう今更自分をなじる。


 公園での事件のあと、マイクやカメラの向こう側は、事件の当事者である志帆に悲しみや怒り、そして涙を求めた。だから、志帆は彼らを振り切った。彼らは志帆よりもより口や表情の滑らかな人間たち――あの時、後から駆け付けた者や遠巻きに見ていた者たちへ向かうことで志帆からはやがて引いていった。


 もっと怒ってください、悲しんでください、涙を流せば最高だ。志帆な感情はおそらくその欲求の向こう側で消費される。でもたぶん、それはいつも志帆が何気なくテレビやネットの映像、言葉を何の気はなしに眺めているのと変わらないのだ。


「私、何してるんだろ」

 志帆はぽつりとつぶやく。ふと見上げる志帆の顔を木漏れ日が照らす。座り込んだ石の階段はひんやりとして冷たく、なんとなく落ち着きを与える。


 矢津井やあの親子が無事だったのは本当によかったし、見舞いに行った時の矢津井の見せたいつもの表情は志帆を安堵させた。先に見舞いに来ていた要と見舞いの品がかぶったのはともかく、要のほうもどこか吹っ切れた感じになっていたことは志帆としても少しほっとした。


 とはいえ、事件はまるで解決していない。それどころか、公園での道化師の無差別傷害事件が模倣犯であることがはっきりした後で、再び事件は起こったのだ。本物の道化師によるものが。


 公園での事件があってから四日後――街全体がまだ混乱の中にあるさなか、それは起きた。御堂とともにあの自殺事件を管理していたというメンバーで、御堂と同じく行方不明であった加藤佐紀が、アパートの屋上から転落死しているのが発見された。両手を後ろ手に縛りあげられた彼女は、墜落する寸前に灯油をかけられ火をつけられたらしく、全身火だるまの状態で落下したところを、駆けつけた人によって通報された。屋上には、犯人による犯行声明が――いつものかな釘流で書かれた紙が残されていた。


「人間火の輪くぐり これっで三人目だ 道化師」


 文面の通り、アパート屋上には、火の輪くぐりでもするような、鉄の輪とそこに油のしみ込んだ布を何重にも巻いて火をつけた装置のようなものが発見されたが、実際にくぐらされたという可能性は低いということだった。


 事件が起きたとされるのは、深夜一時頃で、叫び声を聞いたアパートの住民が外に出ると加藤佐紀の燃えた墜落死体を発見し、同時に屋上で燃えているものを発見したということだった。発見した男性は急いで屋上に上がったものの、すでに犯人の姿はなかったということらしい。


 公園での事件に次いで、再び事件が起きたことで、公園の事件が模倣犯による無差別襲撃であることがはっきりした形になったが、バラバラ殺人から始まる〝道化師〟による一連の犯行は何一つ解決していないこともはっきりすることとなった。人々はいまだ残る恐怖のはけ口を、捕まった模倣犯とその家族に向けているような状態だった。


 そして、いまだに御堂司は行方不明のままだ。報道では、行方不明の高校生から事件を知る高校生いまだ不明、という風に移り変わっている。とはいえ、大方の予想の空気では、彼はすでに道化師の手にかかっているというのが大勢ではあった。これで御堂たち、大量自殺プロデュースのメンバーも御堂を除き、すべてが被害者となり、残りの御堂の行方も分からない以上、あの大量自殺事件も詳しいことはわからないまま、霧の中に沈んでいきそうな様相だった。


 結局、この事件は何なんだろう。道化師を名乗る人間の愉快犯的な劇場型犯罪だとして、殺された被害者たちとどうつながるのかが相変わらず不明だ。


 要と矢津井が所属し、かつて御堂が立ち上げたらしい同好会――文芸倶楽部の元メンバーたちが犯人なのか。それもよくわからなくない。


 そこまで物思いにふけっていた志帆は、風が境内の木々を盛大に揺らし、ざわざわと音を立てるのに合わせて立ち上がった。鳥居の向こうから、要がふらりと入ってきたのが見えたのだ。


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