第4話 「バラバラ死体」:空木要(3)
日曜日の午前五時――いつもより早く要は目覚めた。薄暗い室内で、しばらく目が慣れるまでぼうっとしていたが、頭と視界がはっきりすると大きく伸びをし、勢いをつけてさっさとベットから降りた。顔を洗い、キッチンへ向かう。
暑いからといってこのところ冷たい物ばかりで、どうも調子が良くない。あまり気が進まないが、お茶でも飲むか……。要は薄暗いままのキッチンでお湯を沸かし始める。お湯が沸騰するまで、コンロの火をただ眺めていた。
大きめのマグカップにお茶を煎れると、冷蔵庫からタッパーを取出して、中の餡子をスプーンで大量に掬い取り、そのままカップの中にどぼっと入れた。こうすればちょうどいいくらいに温くなるし、飲みやすくなる。要は茶の渋みが嫌いなので、こうでもしなければ飲めないのだ。
志帆曰く、信じられない、冒涜的だ、といちいち不評を買う要流のお茶作法だが、要は適当に日本式ロシア紅茶だと主張している――が、理解は得られない。
一八世紀くらいのイギリスでのコーヒーにマスタードだとかよりよっぽどましだし、海外だと緑茶に砂糖ぐらい入れるし、日本だって昔は麦茶に砂糖なんて当たり前だっただろ、とかぶつぶつ言いたいことはある。まあそんなことはどうでもいいとして、そもそも文句を言うなら、お茶なんか押し付けなければいいのだ。
冷蔵庫の中でその占有域を拡大していく茶葉の量を思うと気が重い。お茶教室をやっているからとはいえ、家に行くたび伯母がやたらとお茶を持たせたがるのには閉口する。伯母に講釈を受けている志帆だけにしてほしいものだが……。志帆は志帆で、お茶は体に良いだの、カテキンがどうのと要を巻き込むのだ。
そして自分以外の両親はというと、お前が貰ってきたんだから、と一向に手を付けないまま、要に押し付けるようにして知らん顔だ。
薄暗いままのリビングで、要の茶をすする音と中の餡子をスプーンでかき混ぜる音が暫らく続く。やがて思い出したように要はリモコンを手に取ると、テレビの電源を入れた。
暗い部屋の中、白く浮かび上がるテレビ画面の光。次々とチャンネルを切り替え、とりあえずニュース番組をチェックしていく。母親による子供の虐待死。近隣トラブルで六五歳の老人が七十歳の老婆を包丁でメッタ刺し。アイドルの薬物所持による逮捕。有名人の結婚離婚のゴシップ。そしてスポーツニュース。海外ニュースでは、戦争がまだ続いていることが伝えられていた。
そういえばこの前の大量自殺事件、ほとんど見かけなくなったな……と思っていたら、さすがにローカルニュースでは少しふれていた。といっても、自殺者の遺体捜索なお続く、という軽い扱いだったが。この街で起きた全国を賑わせた事件も、すでに高校生アイドルの薬物事件にすっかり霞んでいる。新しい事件は次々起き、喉元を過ぎる感覚を覚える前にもう次の話題が人々の口に突っ込まれてゆく。
いちおう、地方局のニュースを注意して見ていたのだが、昨日の工場跡地で要たちが見つけた血痕について、やはりというか、特に何の報道もなかった。あの後警察に通報し、やってきた警官たちに経緯を説明はしたのだが、要たちの訴えに比して、本気で相手にされているという印象は薄かった。以前、豚の血が路上に大量にぶちまけられていたという事件があったことをわざわざ引き出し、露骨に要たちの悪戯か何かだと言いたげですらあった。
確かに、要たちが血痕を発見するに至った経緯は突拍子もないし、怪しまれても仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないのだが。一応、血痕について調べてみると言ってもらえただけでも良しとすべきなのかもしれない。矢津井は彼らについて憤慨しつつ、紙谷の方に直接相談してみるようなことを言っていたが……。
万一の可能性として、富田、もしくは御堂の手の込んだ悪ふざけということがあるのだろうか? あの血痕が、本当に人間の物なのかは今のところ分からないが、だとしても本物の血痕であることは確かだったし、いくらなんでも悪ふざけにしては度が過ぎている。
ふと、注意をテレビに引き戻される。映っていた地方局のスタジオの雰囲気が、何か緊張した空気をはらむのを感じ取ったからだった。若いキャスターが、その一気に膨れ上がったスタジオの空気を代表するようにして、新たなニュースを読み上げ始めた。
「ただいま新しいニュースが入りました。稲生市北区七丁目のアパートにあるエレベーターの中から、男性の胴体と思われる遺体の一部が発見されたということです。警察では、これを殺人、死体遺棄事件として残りの遺体の発見と被害者の身元の確認を早急に行うとし――」
死体の胴体が、この街のアパートのエレベーター内で見つかったらしい。
バラバラ死体の一部。それはすぐさま工場跡地での血痕――富田が目撃したという道化師によるもの――という連想をさせた。昨日の今日で、そう結びつけるなという方が無理がある。
それにしても、と要は別のことに思考が移る。バラバラにした死体の一部をエレベーターに遺棄するなんて話はあまり聞いたことが無い。隠すのではなく、まるで見せつけているかのような……。
そこまで考えた時、要は昨日矢津井が見つけたあのへんな紙切れのことを思い出す。あれにはなんて書いてあったっけか。確か、飛び散る死体がどうとか……。
まさか。
いきなり、嫌な予感が頭の中で浮かび上がる。そんなはずは、と思いつつもしかし、どこかでそうなるだろうな、という冷めた予感めいたものが大きくなっていく。そして、その通りのことが、次の日から起きることになる。
胴体発見の翌日、今度は両足が稲生市内の地元テレビ局に、翌々日には両手が郵便局前に遺棄され、騒ぎは日ごとに大きくなっていったのだった。局前に堂々と死体の一部が遺棄されていた地元テレビ局は、当然のごとく繰り返しこのニュースを伝えた。そして、それに煽られるようにして、人々の間には好奇心と恐怖がない交ぜになった得体のしれない感情が高まっていくようだった。
死体が発見されるごとに、いよいよ富田が目撃した、そして要の原稿から抜け出てきたような道化師の存在が、要の中で実態をくっきりとまとい始めていく。そして、その道化師は、御堂の顔をしていた。
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