第3話 「御堂司」

「まったく、気味が悪いね」


 御堂司に要が出会ったのは中学二年生の頃だった。満開の桜の下、少年は立っていた。始業式が終わり、下校するつもりで校門を出たところだった。校門を出たところは狭い桜並木になっていて、校門から出た生徒たちが、一年に一度のピンク色を見上げている中、少年はそれに背を向ける様にして、下に散らばった花びらを見ていた。そして、ふと視線をあげ、要と目が合ったのだ。


「本当に、気味が悪いねぇ」

 もう一度、こんどはどこか口元に薄い笑いを貼りつかせながら言う少年。要は、何に対して彼が気味が悪いと言っているのか、何となくわかってしまった。だから、思わず頷いた。少年は今度ははっきりニヤッと笑う。端正だがどこか妙な雰囲気をまとった少年だった。


「一年に一時期だけ、それ以外は骸骨みたいなこんな木が一様にピンク色になって、気味悪くてたまらないよ。なんでみんなキレイだキレイだと騒いで眺められるんだろうね」


 要は黙って聞いている。でも、少年の言葉が理解し難いということはなかった。むしろ何となく自分が感じていたこと、その違和感めいた感情を、言い当てられた気がしていた。


「しかもみんな一緒の固まりにばかり目をやって。バラバラ散っていく花弁の一つ一つを誰も気にしやしない」


 桜の花弁がはらはらと要と少年の間をよぎっていく。少年は地面に落ちた花弁の一つを拾い上げた。


「昔の作家が言ってたんだ。一つ一つの細部について考えること――離れていく花弁、残っている花弁その一つ一つのことを考える。それが思索なんだってさ」


 思索――なんて言葉を恥ずかしげもなく言う人間を要はこの時初めて見た。思わず半笑いになりそうながらも、

「……なんだかその人の本、読んでみたいね」


 要の言葉に、少年はまたもやその、人なつっこいような、しかしどこか馬鹿にしたような笑顔を見せた。指に乗せた花弁を風がさらった。


「埴谷雄高。自同律の不快って言葉っていい言葉だよ。今度本を貸してあげるよ。君は本が好きそうだ。そういえばあの、赤土の坂を上ったところにある古本屋でよく見かけるよ」


 そういわれてよく相手を見ると、要がよく行く古本屋、一夫書房でちょくちょく見かける少年であることに今さら気がつく。中学生になってから、要は祖父の蔵書の探偵小説を漁り始めていたが、気に入った小説は自分の手元に置いておくために買ったりすることがあった。時々、あの人の来なさそうな古書店で、同じ制服の中学生の姿を見ることがあった。


「ああ……うん、確かによく居るよね、あそこに。ええと……」

「御堂。御堂司」

「空木要――」

「古い本は良いよね。古ければ古いほど、何かを引き継いだような気になれる。精神のリレーってやつだよ」


 それもまた何かの、彼が先ほど挙げた作家の引用っぽかったが、要にはよく分からない。ただ、何となく意味は分かる。しかし、なんとも大仰なしゃべり方だ。滑稽ですらある。


「しかし、まあ、キレイだキレイだと言われながら、散った花弁は平気で踏みつけられてしまう花っていうのも、そうそうないんじゃないかな」


 御堂は独り言のようにまた言ってから、やはりというか唐突に、

「それでさ、空木君は小説書いたりしてるの?」

「あ、うん。まあ、見よう見まねで探偵小説を……」

 なぜか、すんなりとそう答えてしまっていた。

「へえ、探偵小説か。今度それ、読ませてくれない?」


 要は、思わず頷いてしまう。そうして、御堂は要の初めての読者になったのだった。そしてまた、要が書けなくなる――いつしか書かなくなる遠因にもなっていくのだが。


 御堂が待っていたバスが来て、そのまま御堂は特に何か言うわけでもなく、バスに乗り、要の前から消えた。要は、なんだか妙な気分だった。ヘンな奴……であることは確かだろう。大して知りもしない人間にあんな調子でベラベラ喋るのだから。喋っている内容も含めてあまりに滑稽だ。だが、どこか自分に似た何かを持つ人間だったようにも思ったのだ。昔からの気安い知り合いの様な……しかし同時にどこか得体の知れなさも感じていた。


 そののち、要は御堂が作る文芸サークルに誘われることになる。御堂曰く、はぐれ者の文芸部――文芸倶楽部に。

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