第1話 「過去からの手招き」:空木要

「――なんだこれは」

 空木要うつぎかなめは、今まで目を通していた十五枚程度の原稿用紙から顔を上げ、目の前の矢津井惣太やづいそうたを見る。いきなり矢津井から読んでみろと押し付けられた原稿だったが、読んですぐに唖然あぜんとし、そのまま読み切る。一字一句かつて自分が書いた小説原稿に間違いない。


「それに書かれていたこととそっくりなことが、富田っていう人に起こったんだって」

 先に原稿を読まされていたらしい早瀬志帆はやせしほが、要の質問に答えると、それ以上は矢津井に任せるようにして、手元の緑茶ラテをすすりだした。


 要の向かい側で腕組みをしていた矢津井が、芝居がかったしぐさで眼鏡を直し、

「信じがたいかもしれんが、富田が言うには絶対に本当だと。富田はかなりまいってて、噂は本当だっただの、ピエロに殺されるかもしれないだの言ってたぜ」


「本当に起こったって……」

 いきなり喫茶店に呼び出されてみれば、書きかけの小説原稿を読まされ、あまつさえそれが本当に起こったことだと言われて戸惑わない人間はいないだろう。しかもそれが、かつて自分が書いたものだとあれば。


 富田信平――それは中学時代の要と矢津井の共通の知り合いの名前だ。実在の人物が出てくるいわゆる実名小説という体裁で書き始め、すぐに放棄したはずだ。人名の他にも出てくる古書店やその近くの工場跡といったものは実際にあるものだった。


 しかも作中で富田が思い出す奇妙な張り紙や道化師が徘徊しているという噂――これはいま現在、実際にこの街で起こっていることでもある。かつて自分が書いたことすら忘れていた小説の内容が現実になっていることに気づかされ、要は気味が悪くなる。そしてまた、矢津井が言うピエロとやらが、最後に書かれていたように、富田の前に現れたということだろう。


 何が起こっているのだろうか。そもそもなんでこの書きかけの小説が矢津井の手に渡っているのか。


「富田って人、うちの学校の人って言ってたよね? そういえば」

 黙り込んだ要の横で、今度は志帆が確認するように言った。


 矢津井は頷いて、

「ああ、あいつは早瀬と同じ四ッ谷高校だよ。俺と要と一緒だったのは中学の時だ。まあ、なんというか、今のおれたちみたいな感じで、本好きで集まっていたメンバーの一人だったやつ」


「で、これってその人が書いたの?」事情を知らない志帆の問いに、矢津井はさあ、と首をひねりながら、

「いや、渡してきたのは御堂ってやつ」


「御堂――?」と志帆は新しく出てきたその名前を反芻するようにつぶやくと、しばらくして、あ、と声をあげる。

「御堂って、たしかあの事件で容疑者にされた人じゃなかったっけ」


「そうそう、一年前の事件で空木の名探偵ぶりに救われたってやつ。あいつも中学の時の知り合いなんだよ」


 その矢津井の説明に対し、

「……名探偵ってなんだよ」

 要はイヤそうに顔をしかめる。しかし、矢津井は特に気にすることもなく、

「だって、名探偵よろしく事件を解決して、御堂の容疑を晴らしたわけだろ」


「僕は解決してない。解決したのは紙谷さんだ。僕は思いつきをちょっと口にしただけだって」

 要は迷惑そうな顔を露骨にしてみせるが、矢津井にはあまり効果はなく、

「拓人さんはその思い付きこそが、解決のすべてだって言ってたぜ」


 要は、そんな矢津井に向けて面倒くさそうに溜息をつく。

紙谷さんも、警察の人間のくせに、やたらともてはやすようにしてあの事件のことを吹聴しなくてもいいのに……。いささかうんざりした思いに要はとらわれる。


 あれは――正直、要はその時の自身の運の悪さを呪っているのだが――要の好きな画家の特別展覧会を観に美術館へ行った際、殺人事件に巻き込まれてしまったのだ。そして、同じようにそこに居合わせ、一人アリバイのなかったために疑われたのがその御堂司みどうつかさだった。


 御堂を事件担当の主任警部が厳しく追及する中、一人暇そうにして絵を見ながらぶらぶらしていた矢津井の兄の友人かつ、矢津井とも昔からの知り合いであった紙谷拓人かみやたくとに、ふと気がついたことを喋ったという、ただそれだけなのだ。要がしたことといえば。


 その後、ほとんど独断専行するようなかたちで要の指摘の裏づけと、それに基づく証拠を集め、館長を犯人として逮捕するまで持っていったのは紙谷なのだから、ほとんど彼の功績だと要は思うのだが……。何故かしきりに要のことを、しかも御堂を疑っていた当の主任警部の前でさえ持ち上げたりするに至っては、閉口するしかなかった。


「まあいいよ、そんなことは。それよりこれ、自分が書いて御堂に渡してたやつだ」

 要は事実をぶっきらぼうに告げる。

「確か、中学の時に機関誌に載せるつもりが頓挫したやつ。書いてる分でいいから出せって言われて御堂に渡してそのまんまになってた」


 矢津井はマジ? と半開きの口からこぼすと、

「そういわれてみれば、お前の文章っぽいような」

 やや気まずさげな矢津井を無視しつつ、


「別にそんな、みんなほど書いてたわけじゃないしな」

 ぼそっと要は言うと、

「それはともかく、なんでこんなものをいまさら。」


「それはこっちも聞きたいぜ。しかもこの中にあることが現実に起きてる。空木こそ何か知らないのか?」


 要は眉をひそめて、

「知らないよ。御堂に聞けよ」


「御堂は行方不明になったらしい」

 そう言って矢津井は、表情を固くする。


「行方不明?」

 矢津井の言葉をオウム返しにする要。志帆のほうもこれは知らされていなかったらしく、カップをに口につけたまま、動きを止めていた。


 御堂とはあの美術館での事件での再会以来、特に会うことはなかったが、かなめは中学時代、いつもにやにやとした、どこか悪戯っぽい笑顔をしていた少年の顔を思い出す。なにかが起こっている……? そんなざわめきが要の胸裏を這いまわる。


「あのさ、その御堂とか富田って人たち、カナや矢津井君の中学時代の友達でいいんだよね」

 どちらにも面識がない志帆が、確認するように言う。それに矢津井が頷き、

「まあ、どっちかというと知り合いだな。文芸倶楽部って名前で探偵小説好きを中心に集まってた本好きの同好会みたいなやつの。一応、雑誌とかも作ってたぜ」


「それで、カナの書いた原稿の中のことが実際に起こっている――殺人ピエロがどうとかむ含めて。で、それを持ってた人が行方不明になった、と。……なんだかよくわからないんだけど」

 もっと順序だてて話してよ、という志帆のもっともな言葉に、矢津井は目の前の溶け残ったかき氷をかき混ぜて唸りながら、ようやく詳しい話を組み立て始める。


「えーと、だな。まず、この原稿は富田が言うには、御堂が渡してきたものらしい。それで、富田曰く、その原稿と同じようにピエロに遭遇した――しかもそいつは刃物を持っていて襲い掛かってきたんだと。幸い、富田はすぐに逃げて事なきを得たらしいが」


「まあ、小説通りな感じね」

 志帆が、戸惑い気味の顔で応じる。しかし、矢津井は真剣な顔だ。

「それで、富田がピエロに遭遇した昨日から、御堂と連絡がつかないらしい。両親がそろって家を空けてる最中らしくて、今のところ騒ぎにはなってないみたいだが」


「それで、矢津井君のところに相談してきたってわけ? ……ふーん、言ったらなんだけど、冗談か何かじゃないの? いくらなんでもね……」

「俺を担いでるっていうのか? そんなことしてどうするんだよ。中学以来会ってもいない人間にわざわざそんな胡散くさい話するか?」

「まあ、そうかもしれないけど……」まくし立てる矢津井に、少しめんどくさそうな顔をしつつ志帆は言葉を濁す。


 一方、要は黙っていたが、それは正直判断がつかなかったからだ。富田はそういった手の込んだ悪ふざけをやるような人間ではないと思うが、御堂については正直否定しきれない――人の原稿を勝手に持ち出しているわけだし。とはいえ、御堂がやるにしても、まわりくどすぎるようには思う。


 何にせよ、矢津井の話は色々端折りすぎていて、どうにも言いようがないところが本音だった。


「とにかく、もうちょっとくわしく話してくれないか。矢津井の話はざっくりしすぎてて、出来事しか分からない」


 要に言われ、矢津井は心外な顔をしつつ、再び話をまとめるよう、スプーンをかじりながら、

「ええとだな……富田が言うには、御堂からさっき読んでもらった小説原稿――要が書いたやつを映画のプロローグだってことで渡されたらしい」

「映画?」

「ああ。御堂は自主製作映画を撮るとか言いだしてて、それで富田に撮影を手伝ってほしいって急に頼んできたんだそうだ」


「御堂の奴、映画研究会にでも所属してたのか?」

 要のその質問には矢津井は首を振り、

「いや、そうじゃない。あくまで個人製作ってことで富田を引っ張り出したらしいんだが。……どうせあいつのまた変な気まぐれだろ。それで、一連のプロローグ部を撮影する場所として、小説にもあるあの一夫書房近くの廃工場で落ち合うってことになってたんだと」


「そして、そこに行ってみたら実際にピエロがいた――というわけか。……で、そのピエロは僕の小説通り首を持っていたのか?」

「いや、そこはあまりのことでよくは見てないと言ってた。小説みたく、ジャグリングしてたわけではないらしいし。いきなりゲラゲラ笑いだして近づいてきたから、すぐ逃げたと言ってた。ただ包丁を持っていたのは確実だったらしい。しかも血のようなものがついていたかもしれないとも言ってたぜ」


「もしかしてピエロが御堂だったかもしれない、というのは?」

 御堂による悪趣味な悪戯……可能性としては低いかもしれないが、とりあえずそういうケースもありうる。

「あきらかに、まったく違った人間だったと富田は言ってたぞ。だからよけい怖かったんだと」

 矢津井はそう答えてから、

「そのあと急いで連絡したそうだが、それ以降、御堂とは連絡がつかないってことで、俺に相談がきたってわけ」


「そういえば、その――富田君は、見たこと含めて警察に通報しなかったの?」

 横から口をはさんだ志帆に、いや、と矢津井は首を振り、

「実のところ、早瀬だってそう信じてないだろ。それこそ警察が信じると思うか? 僕の知り合いから渡されたシナリオを再現するように殺人ピエロに会いました。その知り合いは行方不明ですってさ。しかも、もしかしたら殺されたかも……とかさ」

「まあ、それはそうなのかもしれないけど……」

 志帆としては、なんとも言えない感じなのだろう。そんなこと言われてもね、という顔でカップをもてあそぶ。

「それから、富田は警察が苦手っていうか――昔、自転車盗んだとか疑われていろいろあったらしいんだよ。」

「それで矢津井君にねえ」と、志帆。

 矢津井は、まあ、俺というか、と前置きして、

「知り合いに刑事がいる俺から話を通してもらえれば、もしかしたら信じてもらえて、万が一事件になって聴取されることになっても、そう悪いようにはならないんじゃないかって思ったんだろ。それに、空木だっているし。あいつも一応、御堂が巻き込まれた事件について知ったみたいだしな」


 最後のあたりは余計な気がしたが、まあいいか、ととりあえず要は納得する。

「で、矢津井は紙谷さんに話したのか、それ」


 要の問いに矢津井は、それが……と濁すような前置きをして、

「なんというか、話してはみたものの、富田も自分が見たものに対して、現実だったのかどうか、いまいち自信がないとか言い出してるんだよ。まあ、ショックすぎたのかもしれないが――」


 そこで、矢津井は一拍置く。おそらく次に出てくる言葉を要は何となくすでに察していた。それは自分にとって歓迎したくないものだったが。


「そういうわけで、俺達で今から現場を確認しに行こうと思うわけだが」


 やはりというか、妙な感じに話が向いてきた……。要は面倒事に巻き込まれる予感を肌で感じ始める。


「そういうわけでって、なに。……今からその工場跡に行こうっていうわけ?」

 要の懸念を代弁するように、少し顔をしかめながら言う志帆。そしてやはり矢津井は当然、という風に頷く。


「本当に何かあったなら、何かしらの痕跡が残っているはずだろ」

「それはそうかもしれないけど……なんで私も行かないといけないわけ。矢津井君が一人で確かめてくればいいでしょ」

「早瀬は疑り深いからな、どうせ自分の眼で見なきゃ信じないだろ」

 矢津井の挑発めいた言い方に、志帆はいささかムッとした様子だったが、相手にするのが面倒になったのか、しょうがないなあ、と肘をついたまま大げさにため息をつき、

「はいはい、分かりました。行ってやろうじゃないの。矢津井君一人じゃ心細いだろうし」そう言って、カップの残りをあおる。


「よし、決まりだな。それじゃあ、さっさと行こうぜ」

 矢津井は、話はまとまったとばかりに立ち上がる。


 矢津井と志帆のやり取りを、横でまいったな、と思いながら聞いていた要だったが、

「空木も行くぞ、ほら」

 はりきる矢津井に席を立つように急き立てられる。


 僕の意見は聞かないのかよ……。そう思いながらも、要は特に何か文句を言うわけでもなく、結局は立ち上がるのだった。

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