幕間

「はじめに」において、私は呪いは、特定の憎い相手への怨嗟をその相手への危害に変換する関数だと指摘した。


呪いはあくまで特定の個人への強い怨念を元に引き起こされる物であり、不特定多数を対象に呪うことは行われない。


関数は一つの入力をまた一つの出力へ変換する。呪詛も特定の人物への怨念を入力とし、その特定の人物への危害を出力とする関数だと考えられる。


とすると、呪詛が呪いのビデオやチェーンメールの様にコピー&ペーストされ続けることにより、出力である物理的な危害の対象が特定の個人から不特定多数へと広がる。


呪詛が関数である以上、同時に入力である怨嗟も不特定多数へ向けられる物となる。


その結果、ビデオやメールに込められた呪いが、呪いの定義を逸脱し呪いとして成立しなくなるのではないだろうか。


実際、2001年の呪いのビデオ事件では被害者全員が目玉を抉り出し自殺しているが、2009年のチェーンメール事件は異常性の高い事件ではあるものの、被害者は集団飛び降り自殺を図ったもののそのほとんどは軽傷や重傷にとどまり死亡には至っていない。


この二つの事件は呪詛が関連している類似性の高い事件ではあるが、よく考えると2009年の方が被害が軽減されているのである。


さらに先の年代において、呪詛が関与する事件を追うことで、この仮説を検証したいと思う。

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呪詛による一連の怪死事件についての考察 TJYM @tjym

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