第28話 明日へ向かって

         8年後


 セミの鳴き声がうるさいほどに耳に鳴り響き、汗も全身を伝ってとまる気配がない。


「なにもこんな日に来なくてもよかったんじゃない?」


「そんなわけにはいかないよ。湊くんのご両親にしっかり挨拶しなきゃ」


「にしたって結婚式の前日はないでしょ」


 そう、明日は俺たち二人の結婚式。付き合い初めてから約八年、さらに言うと蘭花と出会ってから十年。


「はあ~! それは湊くんがご両親のことについて直前まで話さなかったのが悪いんでしょ!」


 これだけ長い間近くにいると、こうして話していることが当たり前になり、今では完全に蘭花の尻に敷かれている。


 振り返ってみれば色々なことがあって、ここまで来るのに長かったような、あっという間だったような。


「そ、そうだけどさ」


 明日からは、俺たちの関係は『恋人』ではなく、『夫婦』になるんだ。


 別にだからといってこれまでの生活から何かが変わるわけではない。


 いつものように朝起きて、慌ただしく仕事に行く準備をして、別々の時間に別々の仕事場に行って、帰ってきて、夕食を一緒に食べて、一緒に寝る。


 そんな毎日が、これからも続くだろう。


 同じような日々だけど、それを大切にしていきたい。


「な~に感慨深そうな顔してんの? もっと楽しそうにしなよ!」


 そんな風に俺が物思いに耽っていると、蘭花が背中をバシッと叩いてくる。


「いや、墓場で楽しそうにはできないでしょ」


 他愛もない話をしていると、やがて目的の墓石に辿り着いた。


 その墓石には『久遠花』『久遠泰介』という文字が刻まれている。


 蘭花は手に持っていた菊の花を添えて、目を閉じて手を合わせる。


 俺もそれに倣い、十秒ほど沈黙が訪れた。


「初めまして、花さん。紺野蘭花といいます」


 蘭花は地面に膝をつき、まるで目の前にお母さんがいるかのように話し始める。


「私は、湊くんとお付き合いをさせて頂いております。そして明日、結婚式を挙げます」


 蘭花が話している間、俺は両親との思い出を懐かしんでいた。


 一番古い記憶は、俺がまだ幼稚園に通っていた頃、学芸会で歌を歌ったときのことだ。


 お母さんもお父さんも見に来ていて、たくさんの親御さんたちが楽しそうに我が子の姿を見守るなか、二人は泣いていた。


 その時は、何で泣いているのかなんて分からなかった。


『お母さん、悲しいの?』


 学芸会が終わった後に、俺はそう聞いた。


『…………ううん。悲しくなんてないよ』


『じゃあ、何で泣いてたの?』


『それはね、湊が頑張って歌う姿を見たらね、嬉しくなったからなの』


『嬉しいのに泣くの~?』


『………そうよ。嬉しいときにも、涙はでるのよ』


 当時はそれで納得していた。


 けれど、だいぶ時間が経って、ようやくお母さんの涙の意味が分かった。


 忘れもしない小学五年生になったばかりの四月、お母さんの口から聞かされた言葉。


 お母さんは、癌を患っていた。


 診断されたのは、丁度俺が幼稚園年長の頃。


 推測でしかないけど、きっとお母さんは、我が子の姿をあとどれだけ見れるのだろうかと、そう考えてしまったのだろう。


 お母さんの弱りきった姿を見て、俺はただただ悲しむことしかできなかった。


 今は分かる。あの時俺がすべきだったことは悲しむことなんかじゃなくて、残された時間、お母さんと過ごす時間を大切にすることだったんだ。


 お母さんが亡くなったあと、それを追うようにしてお父さんが自殺した。


 お父さんも俺に愛情を注いでくれていたことは、俺が一番分かっている。


 だからこそ、お父さんがどれだけ苦しんでいたのかも分かる。一人息子を置き去りにしてまで死にたいと思うくらいだ。相当お母さんのいない日々が辛かったのだろう。


「ご挨拶をするのがこんなに遅くなってしまい、すみません」


 そんなことを経験してしまうと、必然と『命』というものについて考える機会が増えていった。


 テレビで報道される殺人事件や自殺のニュースを聞くと、何も思わずにはいられなかった。


 どうして人を殺したりできるのだろう、どうして自分の手でその命を絶ってしまったんだろう、誰かに助けを求めることはできなかったのか、誰かが手を差しのべることはできなかったのかと。


 だからだ。あの日、星蘿が自殺をしようとしたときにあんなにも必死に、意識を失うほど泣き叫んだのは…………もう、誰かが死ぬのを見たくなかったから。


「湊くんは、私には勿体ないくらい素敵な人です。湊くんがいなかったら、私はこんなにも幸せな気持ちを知ることはありませんでした…………だって、私の大好きな、世界でたった一人の妹を、救ってくれたのですから」


 俺の瞳からは、いつの間にか涙がこぼれだしていた。


 本当だ…………あの日お母さんが俺に言ったことは、本当だったんだ………。


『嬉しいときにも、涙はでるのよ』


 だって、こんなにも嬉しい。


 今ここにいることが、この時を生きていることが、蘭花のそばにいられることが、こんなにも嬉しい。


「これからの人生を、私は湊くんといつまでも歩んでいきます………必ず、幸せになります………だからどうか、私たちのことを見守っていてくれませんか…………お義母さん………お義父さん」


 俺も、挨拶しなきゃ………今までここに来なくてごめんって………毎日楽しいよって………こんなに成長したんだよって…………。


「ぅ…………ぁあ……ぅ………お母、さん………お父、さん…………俺、二人のこと…………大好きだよ………二人からもらったこの命……大切にするから……………」


 届いてくれただろうか、この気持ち。


 瞳から流れ落ちる涙が、満天の青空から降り注ぐ光に照らされて輝く。


「それじゃあ、帰ろうか」


「……………うん」


 二人に背を向け、歩き出す。明日に向かって。



 

後書き

作者のanvです。『初恋の人と再会したと思ったらまさかの妹さんでした』を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。これにてこの物語は終了です。話を公開する直前に確認として一度読み直すのですが、そうやって改めて読んでみると面白くないなぁと思うことが何度もありました。文章も読みにくいし。だからこそ、最後まで付き合ってくださった方には感謝しかないです。本当にありがとうございました!

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初恋の人と再会したと思ったらまさかの妹さんでした………………またかよ @anv

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