母の味の豚汁。隠し味に生姜とごま油
佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売
第1話
六畳一間、バストイレ付き。
その狭い空間が私の今の家だった。
大学進学をきっかけに地方から東京に出ての憧れの一人暮らし。
それは思い描いていた生活とは程遠いものだった。
いきなり突きつけられた大学休校及び自宅でのリモート授業。友人の一人もできず、サークルの新歓なんかも軒並みなくなった一年目。少し落ち着いてきて学校に通えるようになったと思いきや、再び始まる休校生活。バイト先の飲食店はほぼシフトに入れない。
なんとかできた友人とも、気軽に集まる事ができない息苦しい生活。出会いという出会いをほとんど潰された状態では、彼氏だってできやしない。
極め付けは帰省ができない事だ。
この孤独な状態がいつまで続くのかわからず、孤独な状況は続いていく。
すでに大学生活も一年半が過ぎ去り、貴重な青春の日々が無為に過ぎ去っていく。
叫びたい。
私たちにとっての一年は、大人の言う一年とはまるで違うのよ!
失った大学一年生の日々はもう二度と戻ってこないのだ。留年でもしない限り。
狭い部屋のベッドの上から、窓の外を見る。
大学二年生、秋。そろそろ冬が近づく季節は、人恋しくなってくる時期でもある。
ハロウィンは終わった。次はクリスマスにお正月、バレンタイン。
諸々の行事全てを「自粛」で片付けられるほど、忍耐強い人間じゃない。
「…………お腹減った」
呟いてベッドから降り、三歩で部屋を横断して冷蔵庫を開ける。何もない。空っぽだ。かろうじてサトウの冷やご飯だけ、半分食べてラップをかけた状態で入ってる。あとは何もない。
「寒い。お腹減った」
どこからも返事はないのについつい呟いてしまった。
何かあったかいものが食べたい。お腹の底からあったまるようなものを。
「豚汁」
ふと急に豚汁が食べたくなった。
「豚汁が食べたい」
市販のカップのやつとか、弁当屋が大鍋で作って売ってるようなやつじゃない。お母さんが作ってくれていたやつがいい。
考え出すと止まらない。きっと一年半、会っていないせいだ。猛烈に恋しい。
冬、高校から帰宅すると出てくる、あの具沢山でお腹の底からじんわりポカポカあたたまる豚汁が食べたい。香りもいいのだ。豚肉とどっさり野菜の混じり合った旨味。
だめだ、一度そう思うと、もう食べずにはいられない。どうしてもあの豚汁が食べたい。今、すぐに!
ホームシックというやつだろうか、気づくとスマホを握ってタップしていた。
LINEを開くと宛先は母。
『お母さんの豚汁が食べたい』
すぐに既読になって、返事が返って来る。
『じゃ、作り方教えようか?』
その手があったか。即返信する。
『お願いします』
数分待つと、長い返事が返って来る。レシピだ。それをざっと見つめると、洗面所に行く。寝起きの顔にバシャンと水をぶっかけて目をさますと素早く化粧をした。
着替えをして鞄を手に取り、マスクをつけると外へ飛び出す。
昼前の太陽は暖かくても、北風が頬をなぶって肌寒い初冬の冷たさを連れて来る。
近所のスーパーに、やって来た。
アルコール消毒をしてから左手にカゴを持ち、右手でスマホを眺める。
材料。
人参、大根、白菜、ごぼう、しめじ、長ネギ、ジャガイモ、こんにゃく、油揚げ、豆腐、豚こま肉。それから味噌と顆粒だし、生姜とごま油。
結構買うものあるなぁと思いつつ、全部母の指示に従ってカゴに入れて行く。カット野菜で済ませられるやつは遠慮なくそっちにする。豚汁の具材となってパウチで売ってるやつだ。一人暮らしでそんなに野菜があっても、持て余しちゃうから。
これ一つに人参、大根、ごぼう、こんにゃくが入ってたから残りの材料を買って行く。
白菜、しめじ、長ネギ、ジャガイモ、小さめの豆腐、一枚入りの油揚げ。小パックの豚こま肉。
味噌とだしは家にあるからいいとして、生姜とごま油は買わないと。
「合計で二千二百円です。……はお持ちですか?」
「はい?」
「袋はお持ちですか?」
「あ、はい」
スーパーの店員さんとの会話はマスク越しな上にアクリルパネルを隔てているもんだから、聞き取りにくい。店員のおばちゃんも大変そうだなと思う。
「ねーお母さん、これ買ってぇ!」
「駄目よ、家におやついっぱいあるでしょう」
「いやーだー!!」
駄々をこねてる三歳くらいの子供ですら、きっちりマスクをつけていた。
大声で喚く子供に根負けしてその子のお母さんがお菓子をカゴに入れていた。
そんな光景を尻目に、持って行ったエコバッグに材料を詰めると、パンパンになった袋を提げて帰路に着く。
家に戻ってマスクを速攻外したら、手をきっちり洗ってからものっすごい小さなキッチンに立った。もうほんと、笑えるくらい小さい。玄関とリビングをつなぐ廊下の横についで程度に設えられている。
一人暮らしを始めた当初は、この部屋も素敵なお城に見えたのに……今ではまるで牢獄だ。軟禁状態の先が見えない暮らしにうんざりしている。もうほんと、いつまで続くの? 病気になる前に精神が病みそう。
「さて、作ろっと」
気合いを入れると、スマホをそばに置いてレシピを見ながら作って行く。
豚肉をこの家で一番大きい鍋に入れ、水を張って火にかける。
その隙に材料をじゃんじゃん切っていき、切った端からどんどんボウルに入れて行く。
「次は……沸騰したらアクを取り除く」
ボコボコ湯だった豚肉からは茶色いアクが出て来て鍋の中で踊っていた。おたまでそれを丁寧にすくうと流しに捨てる。お湯が綺麗になったところで、残りの材料を一気に入れようとしたところで、スマホを読み返して手を止めた。
「おっと、ジャガイモと豆腐は後からね」
他の材料を入れ、顆粒だしを入れた。これで蓋をして中火で十五分煮込むらしい。
その隙に洗い物をすませると、ちょっとスマホを見つつ時間を潰す。だんだんいい匂いがして来た。十五分。
「次はジャガイモと豆腐を投入して、十分」
母曰く、ジャガイモは早く入れすぎると煮崩れるらしい。
十分。
蓋を取ると、湯気がブワッと狭いキッチン中に溢れる。
「ここに味噌と生姜、もう一度顆粒だし……」
手順通りに入れて行く。生姜は「適量」と書かれてたけど、どのくらいだろ? 入れすぎると辛いよね。適当に入れてみた。
「それから仕上げにごま油をひとたらし」
途端に豚汁の香りが変わった。香ばしいゴマの香りが鍋から立ち上る。
「ふわぁ」
これか。このごま油が母独自の味わいだったのか。どうりで近所のお弁当屋さんの豚汁じゃあ物足りなかったわけだ。
たっぷり作った豚汁はホカホカの湯気を立てて鍋の中で踊っていた。
たまらない香りにお腹がグゥと音を立てて鳴った。一人だけどちょっと恥ずかしい。
火を止める。
さっと後ろを振り向いて冷蔵庫を開けると、サトウのごはんを取り出してレンジに入れる。それから豚汁をお椀いっぱいにすくった。
両手にパックのままのご飯とお椀を持ち、指で箸を挟んで運ぶ。
ベッド脇のローテーブルに置くと、正座をした。
「いただきます」
お椀を両手で持ち、まずは汁から口をつける。
「ん!」
ふわっとごま油の香りが来てからの、数々の野菜の凝縮された味わい、豚こま肉の旨味。そして最後にやってくる生姜の少しピリリとした辛み。それらが味噌に溶け合って、絶妙な味に仕上がっている。
お腹がペコペコだ、肉から行っちゃえ。
切っていないせいでやや大きい豚こま肉にガブッとかぶりつき、噛みちぎった。少し硬い肉をよくよく噛んでいると肉の味わいが口いっぱいに広がる。
そうそう、お母さんの豚汁はバラ肉じゃなくてこま肉だからちょっとかみごたえがあるんだよね。
「赤身のお肉の方がカロリーが低いからいいのよ」と体重を気にしていた母は言っていたけど、育ち盛りのこちらからしたら脂身たっぷりのバラ肉の方が好きなのにーと文句を言ったのを思い出す。
次に野菜。程よく煮込まれた白菜はシャキッとした歯ごたえを残しつつ、甘みを感じさせる。
カット野菜を買ったせいで根菜類は柔らかくなりすぎていたのは、反省点だ。
しめじはプリプリ、ジャガイモはホクホク。
そして豆腐はじんわりと柔らかく、下で潰すと優しい味わいが弾ける。
ご飯に箸を伸ばした。
昨日の残りのパックご飯だけど、この豚汁と一緒に食べると特別美味しく感じる。
豚汁と白米の組み合わせは正義。いくらでも食べ進められる。
気づけばお椀の中が空になっていた。
立ち上がって二杯目を盛る。
たっぷりのそれに箸をつける前に、不意に思いついて一旦箸を置く。
スマホを取り出し写真を撮った。
それをLINEで母へと送る。
『豚汁作ったよ! 美味しい!』
『そりゃあよかった。美味しそうに出来てるね』
続けてメッセージが来た。
『あんたパックのご飯食べてるの? 今度お米送るね。野菜も』
『野菜はいいよ。ダメにしちゃうから』
『レシピも送るから自炊しなさい。家にいる時間長いんだから、料理すればいいじゃない』
母の言葉に、笑いが漏れる。
顔を上げてテーブルの上を見た。そこには母の味を再現した豚汁。
唇を尖らせて頷くと、返事を打った。
『簡単なやつにしてね』
『手抜き料理ならまかせなさい』
その返信にまた笑いが漏れ、そしてなぜか視界がちょっとぼやけた。目尻に指を持って行くと涙をぬぐう。
それから豚汁を啜った。
母の豚汁は優しい味がして、お腹の中から体全体が温まる。
一人暮らしは思っていたより大変で何から何まで全部自分でやらなくちゃいけないし、大学生活も想像とはまるで違っていて孤独感が強い。
「やった、春から自由だ!」なんて手放しで喜んでいたあの頃の自分を殴ってやりたいくらいだった。「お前、学校はほぼ休校状態だしバイトだってろくに入れないから遊ぶお金もないし、そもそも今の世の中気軽に遊びになんていけないんだぞ」って。
豆腐を箸で掴んで口へ入れ、豚肉、野菜と次々に食べ進める。
懐かしい味わいは体だけでなく慣れない生活に荒んでいた心も包み込んで満たしていく。
実家にいる時には当たり前だった味が、今はこんなにも愛しく思える。
「……おいし」
口に出して言ってみた。
「そういえばお母さんに、『ご飯美味しい』って言ったことあったっけ……」
肉がいいとか、またカレー? とか、そんなことばっかり言っていた気がして猛烈に反省した。
「次に会ったら、ちゃんと『美味しい』って言おう」
それから、「ありがとう」も。
次に会えるのがいつかわからないけど、終わりのない事なんて無いと思うから。
この世界を巻き込んだ大騒動が落ち着いたら、帰って、面と向かってちゃんと言おう。
三杯目の母の味の豚汁を盛りながら、そう考えた。
母の味の豚汁。隠し味に生姜とごま油 佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売 @sakura_ryou
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