第10話 現実味がない

フリーダが扉をノックしようとした瞬間、扉がゆっくり開き始めた。


フリーダは咄嗟に後ろに飛びのく。

完全に開ききった扉の向こうには誰もいない。

扉の開口部分から覗く室内の様子は外部のあばら家とは似つかわしくない印象だった。細かい模様が織り込まれたオラニビス柄の敷物といくつかの高そうな調度品が見えた。

室内は灯りがともされているようだったが、奥の方までは見ることができなかった。


「すいません。ダフネという方は住んでないですか」


フリーダは扉の中に入ることなく、大きな声で問いかけた。


「無断で入るのが良くないとわかるくらいの常識はあるようだね。入りな」


扉の奥からではなく、まるで耳元で囁かれたかのように、すぐ近くから、しわがれた声が聞こえた。

フリーダは一瞬、身構え辺りを確認した。

誰もいない。


フリーダは身体についたほこりを払い、建物の中に入った。

室内は驚くほど広かった。

フリーダが住んでいた部屋の十倍以上の広さはあると思えた。

頭の中にあるこの建物の外観と室内の空間の差異が、物理的に不可能と思えるほどだったので、一度外に出て、小さなあばら家だったことを確認したくなる衝動に駆られてしまう。


広い室内には所狭しと彫刻や美術品の類が置かれていて、その奥には貴族の応接間を思わせる値が張りそうな凝った意匠のテーブルと長椅子が二つ置かれている。

天井は高く、王冠型の大きなシャンデリアが吊るされており、奥の壁には、漆黒の美しい髪の女性が描かれた絵画が額に納められ、掛けられていた。

部屋の手前側は美術品や財宝の類で散らかった印象だったが奥の方はきれいに片付けられており、生活に必要なものがそろっている印象だった。

部屋の右手には扉が二つあったので他にも部屋があるのかもしれない。

小さいあばら家の中には納まりきるはずのない異常な空間だった。

どこか絵空事のようで現実味がない。


「こっちだよ」


声のする方を見ると、齢百は数えそうな老婆が暖炉前の安楽椅子に座っていた。

床につくぐらいの長髪は白く縮れており、この部屋とはまるで合わない薄汚れたローブを着ている。


老婆はゆっくりと立ちあがるとフリーダを長椅子に座るように促した。

フリーダは背負子を邪魔にならないところに降ろすと、素直に長椅子に腰を下ろした。

老婆は、その痩せた体躯を折り曲げるようにして、フリーダの正面に座った。


「それで、何の用で来た」


「この山の奥にダフネという品物の鑑定を得意にしている人がいると聞いてきたの」


老婆は目を細め、ダフネの顔をじっと見る。


「いかにも私がダフネだ。鑑定はしてやらんこともないが、物によっては代償を払ってもらう」


老婆はほとんど歯が抜け落ちた口の中を見せるかのように笑みを浮かべた。


「手土産を持ってきたの。大したものではないかもしれないけど、受け取ってほしい」


フリーダは背負子に積んできた荷をほどき、テーブルに並べた。


上等な葡萄酒、蒸留酒などの酒類。イレオンで流行っていたクナ茶の茶葉。干した果実の日持ちのする甘味類。瓶、椀、皿などのかさ張らない小物陶器。植物の汁などで染め上げた藍色の布地。

フリーダがここに来る途中の町や村で買い揃えた品々だった。


「ふふ、酒があるのは良かった。他の物もこの山奥の庵では手に入りにくい物ばかりだ。悪くはない。高価な宝石だの、美術品だのを持ってきたならつき返してやろうかと思ったが、話だけは聞いてやろう」


老婆はさっそく小さな樽に入った蒸留酒の栓を抜くと、香りを嗅ぎだした。

気に入ったものが一つでもあって内心、安堵した。

この建物の中にある現実味のないほどに膨大な財宝を見てからだったので、手土産など無意味ではないかと思っていたのだ。


「これを鑑定してほしいの」


フリーダは腰に下げたホルダーから≪フィロメナの短剣≫を取り出すとダフネの前に置いた。


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