第3話 だめかもしれない
フリーダは来るときに配置していた≪光源≫の目印を辿って、出口に向かっていた。
得意の忍び歩きで、気配を殺しながら慎重に進んでいく。
かすかな物音も逃すまいと聴覚に集中する。
一番気を付けなければならないのは、曲がり角の出会い頭と背後だ。
壁を背にして、慌てず、静かに急ぐ。
アダンたちが敵の数を減らしたからか、侵入時に比べて遭遇率は低かった。
地上一階に上がる階段の手前で、コボルトを二匹発見してしまった。
強行するか、待機していなくなるのを待つか。
時間が経てば、他のコボルトが接近してくるリスクもある。
決断しなくてはならない。
フリーダはできるだけ音を立てないように、小走りで近づく。
左のコボルトに気付かれてしまったが、そのまま全速疾走に切り替え、小剣を振りぬく。小剣はコボルトの喉元を切り裂いたが、フリーダの非力さゆえかコボルトはまだ生きていた。傷口を抑え、地面に膝をついている。
もう一匹のコボルトは両腕を振り回し、フリーダを威嚇する。
コボルトの体格は人間の男性と比べても小柄で力は弱い。
一対一ならフリーダでもどうにか戦える相手だ。
コボルトが両手の爪を突き立てようとフリーダに飛びかかってきた。
フリーダはその攻撃を紙一重でかわし、距離を取ろうとする。
その刹那、首を切られて息も絶え絶えだったもう一匹のコボルトがフリーダの左足首を掴んだのだ。
フリーダはバランスを崩し、後ろに転倒した。
何とか受け身を取ったが、腰を強く打ち、小剣を手放してしまった。
不覚だった。最初の一匹はもう動けないとたかを括っていたのだ。
立ち上がるより早く、コボルトの顎が迫ってくる。
慌てて懐にあったあの短剣を取り出し、コボルトの胸に突き刺す。
コボルトは最後の悪あがきにフリーダの両腕を掴み、爪を突き立てる。
爪が腕の皮膚に食い込み、痛みが走る。
普段何を食べているのか、眼前のコボルトの口中からは生臭い匂いが漂っている。
短剣を握っている手を一層強く握り、さらに抉る。
温かい液体が短剣をつたって、手に流れてきた。
コボルトはまだ微かに痙攣していたが身動きしなくなり、その重さが体にのしかかる。フリーダの両腕を掴んでいたコボルトの手からは力が失われた。
フリーダは寝返りをうつようにして、コボルトの体を地面に振り落とした。
乱れた呼吸を整えながらゆっくりと立つ。短剣に付いた赤黒い血液を振り落とすと鞘を拾い、静かに刃を納めた。
命拾いした。
この短剣がなければ、自分はきっとここで命を落としていたことだろう。
柄に付いている宝石は、先ほどよりもほの昏い光を帯びているように見えた。フリーダの髪色よりは明るいが、深く紅花≪サーリア≫の濃染の布の様な色。
本当に美しい短剣だった。
何時間でも見入っていたくなるような蠱惑的な魅力がある。
しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。
コボルトは群れの意識が高い魔物だ。
仲間のコボルトが救援に来る可能性が高い。
辺りを見渡すと先ほど倒したコボルトの死体がダンジョンに吸収されずにそのまま残っている。
普段であれば、魔石かアイテムを残して消えるはずだ。
仕組みは分からないが、ダンジョンの魔物は死ぬと、魔石と呼ばれる石やアイテムを残して、そのダンジョン自体に吸収される。魔物も宝箱の類もダンジョンの生成物で、一定の時間が経つと再び出現するといわれている。
それはあたかも生物の営みのようで、それゆえダンジョンは人工的な生命体なのではないかとする学者も存在する。
ただし、宝箱の中にはごく稀に特殊なものがあり、一度取ったら二度と現れないものが存在する。そういった宝箱の中にはたいてい貴重なお宝が入っていて、それらを宝箱の外に出すとダンジョンは活動を止めてしまう。
活動を終えたダンジョンはその構造を保つことができず、消滅してしまう。
この現象を≪ダンジョンの死≫と呼ぶ。
貴重な宝物は≪ダンジョンの核≫と呼ばれ、入手することができれば賞賛を受ける一方、多くの冒険者の妬みと恨みを買う。
宝箱も魔物も新たに発生しなくなってしまうことで冒険者の生活の糧を奪ってしまうからだ。
コボルトの死体が消えないということは、ダンジョンが活動を停止しつつあるのかもしれない。
もしそうだとすれば、この赤い宝石が付いた短剣はおそらく≪ダンジョンの核≫だ。
ここで不思議なことに気が付いた。
コボルトの鋭い爪で抉られた腕の傷が消えていたのだ。
強打した腰も痛くない。
体中に力が漲り、身体の芯から溢れてくる温かいものが全身にいきわたっているような感覚がある。
理由は分からないが、傷を負ったまま町まで歩くことにならず助かった。
イレオンの町までは徒歩で三日はかかるのだ。
まだ運は私を見捨ててはいない。
フリーダは小剣を拾い上げると再び出口に向かって歩き出した。
≪ダンジョンの死≫がどのくらいの速度で進み、消滅してしまうのかわからないが、急いだほうがいいのだろう。
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