横顔

小夜樹

横顔

 人の横顔が好きだ。正確には人の横顔を見るのが好きだ。そう言うと、気持ち悪い、とかお前は社交性が無いんだな、とか言われそうだ。まあそうかもしれない。人並みである自覚はあるが、どちらかといえば社交性はない方かもしれない。


 横顔。他人が一人でも存在する場所で過ごしていれば、意識しなくとも拝めることだろう。当たり前のことだが、横顔を見ている時にその対象の人物はこっちを見ていなくて、大抵視線は別のものに向いている。視線の先は、読んでいる本だったり、意味もなく見つめる壁だったり、俺以外の誰かだったりと様々だ。何だろう、俺はそこに惹かれてしまう。それを見て、その人が何考えてるのか想像するのが好きなんだ。俺のこと見てたらそんなことを考える余裕なんて無くなってしまうし、何より俺について何を考えているかなんて想像したくない。そう、そのはずだったんだ。



 全く俺ら男ってのは、いとも簡単に恋に落ちる。同じクラス、斜め前、授業中に眺めるにはもってこいの席に彼女が座っている。席替えをして、最初は同じ横顔だった。みんな同じ横顔、男も女も関係ない。でも、気づくとその横顔を目がしっかりと追っていて、考えるのは彼女が何を考えているのか、そして彼女が俺をどう思っているのか。言ったように、他人が俺をどう思ってるのか考えるのは怖くてしたくない。誰だってそうな筈だ。でも恋してる時の脳みそってバグってるから、その恐怖も期待とよくわかんない感情に溶かされて、胸の高鳴りとキュゥっとしか言えない感じで胸を締め付けてくる。よくキュンキュンするという表現があるけど、どちらかというともっときつく締め付けてくる感じだ。どうやら俺は重症らしい。



 告白した。俺は馬鹿だ。望みなんて無かったのに。でももっと馬鹿なやつがいる。そう、俺に告白されたやつ。何を考えたのかいいよって言いやがった。それから俺はずっとそいつの隣にいた。昼食う時も、帰る時も、テスト前の勉強も。最初はクラスの奴らに揶揄われたけど、気になんなかった。だって彼女の顔しか見てなかったから。あ、でも友達付き合いはちゃんとやってた。それでも彼女には及ばなかったけど。



 で、数ヶ月経ったあるときこう言われた。なんでいつも私の横にいるのかって。まぁそうだよな。本当は最初から気になってたんだと思う。俺だって気になるし、気味が悪いと思われても不思議ではない。でもあの時聞かれたのは、つまり俺たちの仲がそこまでになってたってことだ。人間は数ヶ月一緒にいたからって、相手の大抵のことを許せる気がしてくるもんだから怖い。で、俺は正直に答えた。俺も彼女が受け止めてくれるって信じてたから。もちろん怖かった。結果としては、受け止めたけど勢いを殺しきれずに転んだってところだった。投げるのが速すぎたんだ。今思い返しても、二人の距離と受け止め方に、間違いは無かった。彼女はちょっと怒ってた。横顔好きなのは分かったけど、私の顔は真っ直ぐ見てって。すごい台詞だよな。今でも惚れ惚れする。で、俺はすぐ従った。最初は怖かった。意識して人の顔を真正面から見たのは初めてだったかもしれない。それから何かとこっち見てって言われるようになった。理由としては、基本移動してる時は横にならざるを得ないからだと思う。学生って授業と昼飯と、登下校でできてるから、飯以外は基本お互い横だった。で、俺も人と顔見て話せるようになった。と言うより、今までちゃんと顔見てなかったんだって気付いた。



 それからだった。やけに人間関係がうまくいく、っていうか人と話すのが楽しくなってきた。まぁ、何が起きたのかは大体分かると思う。俺今まで人と向き合えてなかったんだなって、そう思ったよ。だから彼女にはものすごく感謝してる。それで何より一番驚いたのはさ、彼女の顔を前から見た時、横から見るよりずっと魅力的だったんだ。俺が言いたいのは美人だったとか可愛かったとかそんなことじゃない。惹きつけられるっていうか、精神的に美人だったって言うのが正しいかもしれない。人は外見で判断するなって言ったやつに言うけど、外見から内面って筒抜けなんだぜ。



 でも相変わらず、横顔は好きだった。彼女を知れば知るほど好きになった。彼女はとても澄んだ瞳をしていて、とても賢い女性だ。何が言いたいのかって言うと、俺は彼女に俺ばっかり見て欲しくなかった。俺のことを見つめる彼女も好きだ。それはもちろん大好きなんだけれども、俺ばっかり見てるのはもったいなかった。彼女の目は俺よりももっと遠くを見ることができる筈だから。やっぱり俺は遠くを見つめる彼女の横顔が好きだった。で、そのことを彼女に言った。この時はお互い大学生になってた。そしたら彼女はこう言った。でも、君だって私のことばっかり見てるじゃん。確かにそうだ。言い訳のしようもない。俺はなんとかして彼女に、彼女の目は特別だってことを伝えようとした。そしたら驚くことを言われた。私から見たら君だってそう言う目を持ってるって。よく分かんなかった。俺は今まで彼女のことばかり見てきたから。遠くなんて見たことがない。彼女は続けた。ならこうしよう、私も君も遠くを見よう、それで見えたものを向き合ってお互い伝え合うんだって。ちょっと戸惑ったけど、素直に従った。彼女が間違うのは稀だったから。



 結局彼女は正しかった。二人でいるには、互いが隣にいて寄り添って、遠くの景色を二人で共有する。これが一番だって。遠くを見る、横顔を見る、そうすると不安になってくる。彼女には何が見えるのだろう。俺にしか見えないものがあれば、彼女にしか見えないものがある。俺は彼女が全く違う世界で生きているように感じる。そんな時、真正面からお互いを見つめる。お互いの世界の境界を溶かすと、また俺たちは安心して遠くを見ることができる。



 私たちは一人で生きるのには弱くなりすぎてしまった。彼女は言った。俺は確かに、と首を振った。でも俺たちは二人なら生きていける。そう言って俺たちは結婚した。する前と大して変わらなかったけど、幸せだった。仕事が始まったことは俺たちにとってある意味で良かった。俺たちの距離を、正当性を持ったまま丁度良く離したからだ。仕事が毎日を安定させた。



 今、俺の横にはかわいい息子がいる。生まれて3年になる。

 この子の顔をいつでも真正面から見てやれるのは、あとどれくらいだろうか。

 寝る前に二人の寝顔を見ていて、ふとそんなことを思った。

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横顔 小夜樹 @sayo_itsuki

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