きのう、タマが死んだ。

くろもふ

第1話


 きのう、タマが死んだ。


 タマはこの家では父と母の次に長く住んでいる雌の猫だ。

 私が赤ちゃんの時も幼稚園の時も、小学生の時も中学生の時もずっと一緒にいた大事な猫だ。


 ——そんなタマが、きのう死んだ。


 急に苦しみ出したと思ったら、ヨタヨタした足で歩いていき、最近はあまり使わなくなった私のベッドの上で最期は眠るように死んでいったらしい。


 そう。らしい・・・のだ。


 私はタマの死に目に会っていない。

 両親からの着信やメールを無視し続けて私が家に帰った時には、タマは既に死んでいた。

 好きだったネズミの玩具やおやつに囲まれている姿を見ると、まるで寝ているようだ。


 いや嘘。あれは死体。

 寝てるんだったらこんな冷たい雰囲気にはならない。


 ——ごめん。




 高校生になり、特に理由もなく両親がうざったくなった。

 気づけば友達の家を泊まり歩くようになっていた。

 当然両親には心配されたが、その心配が余計に嫌でさらに家に帰らなくなった。


 今までずっと一緒だったタマのことも気にしなくなっていた。

 中学生まではタマと一緒に寝るのが毎日の楽しみってくらいだったのに不思議だ。

 べつに愛情がなくなったわけじゃない。ただ気にしなくなっただけ。





 タマの死体をボーッと見ていたら、少し前に父に言われたことが頭に浮かんだ。


 こんな家にも帰らない不良娘に対し、父が珍しく真面目な顔で「話がある」と言ってきた。


 私はどうせお説教だと思っていた。

 だけど、ただのお説教とは少し違った。


 「家に帰りたくない、親がウザいというのは、そのくらいの年頃ならわかる。お父さんが高校生の時なんか1ヶ月も帰らなかったからな。まぁお前は女の子だから本当はもっと怒鳴ったりしてでも、こんな生活はやめさせないといけないのかもしれないが、気持ちがわかる分、強く言えん。親失格だな」


 真面目そうな父がこんなことを言うなんて驚いた。

 でも驚いただけでやっぱりウザかった。


 「お前がお父さんとお母さんから距離をとりたいのはわかるが、べつにタマのことまで嫌いじゃないんだろ?」


 当たり前だ。タマのことは大好きだ。


 「うん」


 「タマもお前のことが大好きなんだよ。お父さんとお母さんのことも好きだけど、やっぱり一緒に育ってきたからか、お前は特別なんだよ」


 「だから何?」


 タマは小さい時からずっと一緒だったし、家にいる時はほとんど私の側にいるんだから、私のことが大好きなんだろう。


 「タマが寂しそうだ。いつも夜になるとお前のベッドに行くんだよ」


 「そうやってタマを理由にして、結局はちゃんと帰って来いって言いたいんでしょ。そういうのウザい。帰った時はちゃんと一緒にいるじゃん。猫は気まぐれっていうくらいだし、寂しがってないよ」


 違う。ただ父の言うことに反発したいだけだ。

 本当にタマは寂しがってるんだと思う。でも気にならなかった。


 「もちろんタマを理由に帰ってきて欲しいって気持ちもある。だけどそれ以上にお前には後悔して欲しくない」


 「どういうこと?」


 「タマはもうお婆ちゃんだ。いつ死んでもおかしくないんだ。お前が親を嫌で遊び歩くのは良い。いや、良くないんだけど、そこは仕方ない。学校にちゃんと行ってるうちは、あまり煩くは言わないよ。ただ、家に帰ってきた時にタマが死んだりしてたら嫌だろ。もっと一緒にいれば良かったって後悔したくないだろ?」


 タマが死ぬ?

 今も足元でゴロゴロと鳴いて元気そうにしているタマが?


 「大丈夫だよ。まだまだ元気じゃん。ねぇ、タマ?」


 「にゃー」


 「ほら、元気だってさ。もう良いよね。とりあえずこれからはもう少しちゃんと帰るから、あんまり心配しないでよ。何かあった時はちゃんと連絡入れてるでしょ」


 そうやって私は話を終わらせたんだ。



 もちろん帰る頻度なんて増えなかった。








 きのう、タマが死んだ。




 父も母もすごく泣いたのだろう。目が腫れている。

 それはそうか。大事な家族が死んだんだ。



 タマの死体を見てると色々思い出してしまう。


 『ペットは大事な家族。動物は喋れないから、家族のみんながちゃんと気持ちを読み取ってあげないといけないよ』


 『ほらタマがママたち一緒に寝たいって』


 『違うの!タマは私と寝たいって言ってるの!パパとママはあっちで寝て』


 懐かしい。

 タマの取り合いをしたこともあったっけ。




 ——私は本当にタマを大事な家族と思っていたのだろうか。


 ——なぜ涙が出ないのだろう。



 父の言葉を思い出す。


 『お前には後悔して欲しくない』


 そう思うなら、帰らなかった私をもっとキツく叱ってよ。叩いたって良いからさ。



 忠告ありがとう。見事に後悔しまくりだよ。



 父は言った通りになったのに、私のことを責めようとはしない。

 慰めてくれてるのか、優しい声で「お別れをしよう」と言ってくるだけだ。



 気遣いは残酷だ。



 ごめんね。

 ごめんね。

 ごめんね。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 タマが寂しそうにしてたの気づいてた。

 私のワガママでそのことを無視してた。


 涙も流せない私を恨んで良いよ。




 「見てみ。寝てるみたいだろ?最期は大好きなお前のベッドできっと苦しまずに安らかに逝ったんだよ」

父はそうやって言うけれど、私にはそんな風に見えない。



 私には"大好きな家族に会えなかった寂しそうな顔"にしか見えないよ。



 私は一生この寂しそうな顔を忘れないだろう。




 ——ばいばい、タマ。

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