29 拝啓タケル様
拝啓 タケル様
秋も深まり、フリュイーの街路樹もすっかり紅や黄色に色づいたわ。あなたはいかがお過ごしかしら。
タケル。こうやってあなたに手紙を書くのは初めてね。日記には色々書いたけど、今日は改めてあなたに手紙を書こうと思った。なんでかって? まあ、気まぐれよ。以前リュディーに勧められたから、やってみようと思っただけ。
あのクラリスとの対決のあと、私はアラルとの婚約を破棄して、改めて王太子との婚約を結んだわ。あんなに王太子のことを軽蔑していたのに、あなたはきっと不審に思うでしょう。権力に目がくらんだか、悪い奴めと、私をののしるかもしれない。実際そんな陰口をたたく者もいるのは事実。だけど、これは私なりに考えがあってのことだよ。
権力に目がくらんだというのはあながち間違いではない。正確には、彼の権力を利用しようと思ったの。なにせクラリス一派に命を狙われている私だから。アラルと一緒にいたら、彼が危険にさらされてしまう。その点、王太子が傍にいるのならクラリスもおいそれと手は出せないでしょう。もしまた危害を加えられたとしても、巻き込まれるのがあの王太子なら、胸も痛まないし。それに彼はあなたと約束したものね。私を守ると。利用できるものは利用しなければ。やっぱりお前は悪い奴だというあなたの声がきこえてきそう。なんとでも言いなさい。
え? クラリスはやっつけたじゃないかって? 甘いわねタケル。あの娘があの程度で死ぬわけがないじゃない。あの日私に飛ばされていった人たちは、みんな命を落とさずにすんだらしいの。一般の市民に犠牲者が出なくてよかったわ。
それにしても私にあんな力が秘められていたなんて、今でも信じられない。紫の光と風。傷を癒し、襲い来る剣や弓矢を砕き、敵を吹き飛ばす。ロッシュさんは私の母がそういう力を持っていたと教えてくれたけれど、私にも受け継がれていたということかしら。でも、その血はずいぶん薄くなってしまったみたい。だってあれ以来、どんなに念じても力んでも、あの光を発することはできないもの。多分あれはあの時限りのまぐれだったのかも。大事な人が死に瀕したらまた発動できるのかもしれないけど、そんなことない方がいい。
あの日の噂が広まって、みんなが私を恐れるようになった。あの広場にいた人たちの仕業でしょうね。悪女。魔女。紫の死神。ひどい言われようよ。でも、その恐怖は抑止力になると思う。だから私はその噂に乗っかることにした。私の身近にいる、大事な人に手出しをさせないために。だからあの力が一度きりかもしれないことは、ここだけの秘密。
その後クラリスがどうなったか気になるでしょう。彼女は御苑の隅の木の枝に引っかかっていた。運のいい奴。救出された後逮捕されて、彼女の召使や私やアラルたちの証言により有罪となった。一年間の首都追放だって。なんだか軽い気がするけれど、彼女は地位と財力と人気があるから、うまく減刑されてしまったのでしょう。この国の司法はまだまだね。キャロルは減刑されても流罪だというのに。腑に落ちないわ。
ただ、いいこともある。そのキャロルの流刑地を、私の故郷ブルジヨン村にしてもらうことができたの。父や、領主のモルガンや、他の村の人々にはよろしく伝えてある。もちろん金銭的な支援もするつもり。一応身分は罪人ということにはなるけれど、ブルジヨン村にいる限りは自由に行動できる許可も下せたし、ある程度快適に暮らせるはず。私も時間ができたら会いに行こうと思う。
……いや、行かない方がいいかな。私と会ったら、迷惑がかかるかもしれない。今や私は都の嫌われ者だから。恐ろしい力を秘め、権力をかさに人気者のクラリスを痛めつけて追放した女。「悪役令嬢」。これが私に与えられた称号。私に面と向かってそう言う者はいないけど、みんな陰で私のことをそう呼んでいる。笑っちゃうわね。悪役って……私は何の悪役よ。私は主人公だよ。私というストーリーの主人公だよ。
ねえ、タケル。あなたはどう思う。私はそんなに悪い女? ……まあ、きかなくても何となくわかるわ。あなたはどうせ、「ああ、お前は悪役だよ」とか答えるのでしょう。そしてそのあと「それがどうした」と笑い飛ばす姿が目に浮かぶ。ああ、あなたの意地の悪い笑い声をまた聞きたいものだわ。
あなたに会いたいなんて、ちょっと感傷的になっているのは、アンヌがお嫁に行ってしまったからかもしれない。
アンヌは先日、地方の小領主のもとに嫁いでいった。大貴族ではないけど、温厚で誠実そうな、いい青年だったわ。舞踏会でアンヌを見初めたらしく、何度も恋文を送ってきたのですって。アンヌは一度断ったのだけど。無理もない。彼女は毒の後遺症で目が不自由になってしまったから。でも、彼はその理由を知ったらより一層アンヌのことを好きになって、是非にと切望したらしい。アンヌもその心根に打たれて、見事ゴールイン。ってわけ。
私のためにいろんなものを犠牲にしてくれたアンヌが、花嫁姿で幸せそうにほほ笑んでいる姿をみて、私は心から嬉しかった。その感謝と祝福の気持ちを込めて、私は彼女にあるプレゼントをしたの。
何だと思う。
それはね。新しい侍女。目の不自由な彼女には、信頼に足る付き添いが必要でしょ。だから私は、リュディーをアンヌのお付きの侍女に指名した。私が最も信頼する、私の半身のような彼女を。私は寂しいけど、でもそれほどアンヌには感謝しているから。
結婚式の後、見送る私にリュディーはまた、とびきりの笑みを向けてくれた。彼女がそんな表情を向けてくれるようになったことを、私は誇りに思う。これからも、そんな人間であり続けたいと思う。
あーあ。何だかすっかり寂しくなっちゃったわ。
でも、あんまり長いこと感傷に浸っている暇もないの。
もうすぐ、私の新しい護衛たちが到着するから。あなたも知っているでしょう。赤鬼のアルベルト。ブルジヨン村でお世話になった彼をフリュイーに呼び寄せたの。彼の部下百名と一緒に。彼等を私の親衛隊として編成し、その武力と一緒に、婚約者として王太子府に乗り込むつもり。王太子の泡を食った顔が目に浮かぶようだわ。そして私は彼を尻に敷いて宮廷を牛耳るつもりよ。
なんてすって。やっぱりお前は悪女だ? ふふ。何とでも言いなさい。
私は悪者でもなんでもいいの。私の周りの大事な人を守れるならば、悪者にだってなってやる。
最後に、アラルの話をさせてもらいましょう。
彼は、なんとウィンター家と縁を切ったの。私の父がそうしたように、貴族の身分を捨ててフリュイーを出た。もちろん行く先はブルジヨン村。あそこで本屋を開くんだと言っていた。ブルジヨン村には本屋さんがなかったからいいかもしれない。キャロルが刑期を終えたらあそこで一緒に暮らすのだと言っていた。もう、立場の枷がないのだから、おおっぴらに結婚できることでしょう。もちろん私も、彼らの仲を全力で応援するつもりだよ。
それにしても、初対面の時、彼に投げつけた言葉の通りになるとはね。
はじめての舞踏会の夜。王宮の裏庭で、「そんなに星空がいいのなら、田舎に引っ越すがいい。私の故郷がおあつらえ向きだ」って彼に言ったことが、まるで昨日の出来事のよう。ブルジヨン村の澄んだ星空を見上げるとき、彼はあの日のことを想いだすだろうか。私は想いだすよ。宰相邸から、王太子府から、王宮から夜の空を見上げるとき、そこに故郷の星空を重ねて思うことだろう。彼と過ごした楽しいひと時のことを。そしてそのたびに彼に向かってつぶやくんだ。ありがとう。と。
ありがとう。そう呼びかけたい人が、思えば何人もいるな。
アラル、キャロル、アンヌにリュディー。ロッシュさん。ミカエルや叔父も。あと世話を焼いてくれる屋敷のスタッフさんたち……。
宰相邸に迎えられた最初のころ、私は自分がひとりぼっちだと思っていた。自分は誰からも愛されていない。自分の喜び苦しみを分かち合う人なんかひとりもいない。私は、孤独なんだと。
でもそれは違っていた。
今になってわかる。私が、私の周りの人たちからどれだけいたわられ、愛されていたかを。いろんな人たちが、片田舎から貴族の世界に入ってきて戸惑う垢ぬけない娘を、あたたかく見守ってくれていた。それはクラリスのように大勢からではないかもしれないけれど、彼女のような人気を形成するようなものでもないかもしれないけど、私にとってはかけがえのない人々の、かけがえのない気持ちだった。
私はこのかけがえのない人たちを守りたい。私なんかの力じゃ、全然足りないかもしれないけれど。今は私の周りはずいぶん寂しくなってしまったけれど。でも、遠くからでも私は祈っている。宰相や義兄から政治について学んでいるときも、宮廷の行事や儀式のときも、朝日を拝むときもベッドに横たわるときも。
みんなが幸せでありますように。
苦しんだり、つらい思いをしていませんように。
もし問題を抱えていても、それがほどなく解決しますように。
そしてまた、笑顔で明日の朝を迎えることができますように。
タケル。
あなたの幸福も祈っています。私の、光の天使。私はあなたに恥じない人生を歩んでいこうと思う。そしてまたあなたに会える日が来るのなら、もっといろんな話をきかせてあげたい。そしてあなたからたくさん褒めてもらえたら、とてもうれしい。
さよならは言わないわ。また手紙を書きます。それではまた逢う日まで。
あなたの悪役令嬢 ヴィオレーヌ・ド・ポンデュピエリー
貴族の暮らしは甘くない ~宰相令嬢の波乱の日常~ 一柳すこし @kubotasukoshi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます