第80話 再会 4
マルは、ヒサリ先生を見た瞬間、これまでの四年間先生に抱いていたわだかまりが一瞬で消え去るのを感じた。
(おらはなんでヒサリ先生を恨んだりしたんだろうか? ヒサリ先生がおらに悪いようにするはずないじゃないか!)
ヒサリ先生が結婚するという事は、一月前にテセから聞いた。その時、少しばかり胸の痛みを感じた。
(でも、ヒサリ先生はもうとっくに結婚してもいい年齢なんだ。あんなにハンサムな恋人もいて)
マルは、ヒサリ先生に会ったら、精一杯の笑顔で先生を祝福しようと心に決めていた。しかしマルは、ヒサリ先生がまるで結婚を喜んでいる風でない事に気付いた。感情をあらわにしない先生だから、別に不思議ではない。しかし先生が以前よりも痩せ、いくらかやつれたような気がするのが気になった。
(先生はどこか体の具合が悪いんじゃないだろうか)
そう思うと悲しみが込み上げてきた。
(ヒサリ先生! ヒサリ先生! 出来ればしばらく先生のそばにいたい! 留学を延期してでも!)
しかし、マルはすぐに思い返した。
(そうだ! ヒサリ先生は結婚してしまうんだ! あのハンサムなカサンの男の人と! 有名な流行作家だって事は知ってる。でもあの人が本当に先生に優しく出来るのか? おらにはとても冷たかった。おらならあの人よりもずっと、百倍もヒサリ先生を大切に出来るのに!)
マルは、教室から卒業式の行われる講堂に移る間、悔しさの余り拳を握りしめていた。学長や偉い来賓の人達の言葉など、何一つ耳に入らず、長く退屈な式の間、ただただヒサリ先生の表情ばかりが眼の前に浮かび、尻が椅子から浮き上がりそうであった。
卒業式が終わり、講堂から外に出ると、マルは一気に駆け出した。ついに! ついにこの牢獄から解放されたのだ! 自由になったのだ!
(先生! ヒサリ先生!)
マルはすぐさま門の方に走った。門から外に出た所でマルが目にしたのは、車に乗り込もうとしているヒサリ先生の姿だった。
「先生!」
ヒサリ先生は振り返った。先生の隣には男が立っている。
(ああ、あいつだ!)
あれは、ヒサリ先生の夫になる男。マルはこの時、はっきりと、彼の事が憎い、と思った。出来る事なら二人の間に割って入ってヒサリ先生を奪いたい! ヒサリはマルを見てにっこりと笑った。マルはヒサリ先生の傍まで駆け寄って言った。
「先生! また手紙を書きます! 住所は?」
「さっきあなたに渡した紙に書いてありますよ」
マルを冷ややかに一瞥した男は、ヒサリ先生の背中に素早く手を回した。そして男に促されるままに、ヒサリ先生は車に乗り込んだ。車はあっという間に走り去った。マルの目からドッと涙が溢れ出した。ああ! ヒサリ先生に会えた喜びもつかの間だった! ヒサリ先生は結婚してしまった! もうヒサリ先生の傍にいる事など、永遠に叶わないのだ!
「マレン」
いつの間にか、シンが横に立っていた。
「友よ、泣くな!」
「君までそんな残酷な事を言うの!? 立派なカサン帝国臣民の男は泣いちゃいけない、なんてみんな言うけど、そんなの無茶だよ! どうして泣いちゃいけないの? 人間じゃなくなれとでもいうの?」
「そうじゃねえ、よく聞け、お前は詩人だ! そうだろ? お前の言葉はいつだってあの先生と共にある。そしてあの先生に教えられた言葉がいつもお前についている。つまりお前と先生はいつでも一緒って事じゃねえか! 俺もな、カサン人には色々文句言いてえ事もあるが、あの先生は間違い無くいい人だ。なんてったって美人だしな! それに、俺とお前を繋ぐものがカサン語だって事、これは紛れもねえ事実だ。俺達同じアジェンナ国民なのに、おれはアジュ語、お前はアマン語と使う言葉が違う。カサン語のお陰で俺はお前の書いたいろんなおもしれえ物語が楽しめるんだもんなあ。そしてそのカサン語の先生はあの人だろう? あの人は俺とお前の橋渡しをしてくれたようなもんだ」
「ありがとう」
マルはシンの言葉を聞きながら、いくらか勇気を得た気がした。
(そうだ。ヒサリ先生とおらは、ずっと心は一緒なんだ!)
マルとシンの二人は、並んで寮に向かって歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます