第81話 再会 5

これから、二人はただちに荷造りに入る。マルにはトアンに発つ前に、一週間の猶予が与えられている。マルはこの間スンバ村に行ってみようと決意した。その事をシンに告げると、なんとシンは

「俺も一緒に行っていいか? お前の生まれ育った村がどんな所か、この目で見てみたくなった」

 と言い出したのだ。マルは勿論快諾した。スンバ村に戻るのは楽しみだが、友と一緒の帰郷ならもっと楽しい。明日は、夜が明ける前にここを発ち、南部のアロンガに行く一番の列車に乗っているはずだった。

 二人で並んで寮の部屋に入ろうとした時、いきなりバタバタという足音が近付いて来た。

「ハン・マレ~ン!」

 マルがハッとして声の方を向、ものすごい勢いでやって来たニアダにいきなり抱きしめられた。

「ニアダ!」

「坊ちゃん! あなたがいなくなって、私は寂しい!」

「ニアダ、これまでありがとう。ここに来て最初に会ったのがあなたで良かった! あなたがいないととても心細かったと思う! ニアダ、手紙を書くよ。アジュ語はあまりうまく書けないけど、頑張って書くよ」

「そんな事いいんですよ! 坊ちゃんは大学でしっかり勉強しないと!」

 ニアダはマルを抱きしめたまま、背中をポン、ポンと叩いた。

「ニアダ! どういう事だい? 俺との別れは寂しくないのかい!?」

 隣でシンが不満そうに口を曲げた。ニアダはようやくマルを離し、シンを抱いた。

「やれやれ、随分おざなりだな! こいつにするのとは大違いだ! まあ、しょうがねえや。どういうわけか、みんながこいつを好きになっちまうんだもんなあ」

 ニアダともう一度マルの手を握りしめ、去った。

その後入れ替わるように現れたのはエルメライだった。

「エルメライ! 君はタガタイ大学に行くんでしょ?」

「そうだ。君はトアン帝国大学に行くんだってね。すごいな。羨ましいよ。カサン本国で勉強出来るだなんて。だが気を付けろよ。随分寒いらしいからな」

「うん。おらも小説で読んだ『しもやけ』って痛いのかなとか、凍死ってどんな気分がするんだろうって思うと恐ろしいよ」

「君の体が心配だ。カサン人のようにしっかり肉を食べて、たくましい体にならなくてはな」

 エルメライはマルの胸の辺りをじっと見つめながら言った。

「ありがとう」

 マルはエルメライの差し出した手を握り返した。スンバ村にいた頃は、彼の手を握るどころかこんな風に優しく声をかけられる事など想像だにしなかった。かつては冷たい少年だと思っていた。しかし打ち解けてみると、繊細で寂しがり屋で優しい青年だと分かった。

(古い歌物語に出て来るような、完全な悪人など果たしてこの世にいるのだろうか?)

 マルは去って行くエルメライの背中を見ながら、そう思わずにはいられなかった。

 出立のための荷造りはなかなか進まなかった。何しろ同室の後輩達は、分かれを惜しんで話したがってやまないのだ。

「マレン先輩はトアン帝国大学に留学でしょ? でもシン先輩はどうするんです?」

 ワック・リムが尋ねた。

「まあ、とりあえずはアジェンナじゅうの女に会いに行くね。こんなに長い事、牢獄みてえな場所で我慢したんだからな!」

「でもこの大学の卒業生が大学に行かないなんて、聞いた事が無いですよ!」

「それなら俺が栄えあるその第一号に輝いてやるさ!」

マルは、シンがこれから自分が王位に就くために何等かの活動をするのだろう、という事は漠然と感じていた。もちろんそれは私利私欲のためではなく、アジェンナの人々のためだ。この学校での、カサン人のアジェンナ人に対する抑圧や差別を知ったマルには、シンの気持ちはよく理解出来た。しかしシンが具体的にどうするつもりなのか、マルには分からなかった。向こう見ずに見えるシンが無茶をせず、無事でいてくれる事をマルは願うばかりだった。

 四人のお喋りは一向に止む事のないまま夜は更けた。消灯時間が近づいた頃、部屋の扉を叩く音がした。

(誰だろう? おらに別れを告げに来る人が他にいたっけ?)

シンが、サッと立ち上がって扉を開けた。扉の向こうに、タク・チセンの大きな体が見えた。マルは驚いた。

「おやおや~? カサンの岩石君、こないだの決着を付けに来たか?」

 とシン。

「いいや。ハン・マレンに話がある」

(おらに!?)

 マルは驚いた。

「お前もか! やっぱり! みんなそう、みーーーんなハン・マレンが好きなんだ!」

 しかしマルは緊張の余り固くなった。自分に対し常に厳しくそっけない態度を見せてきた彼が、一体何の用で卒業の日に自分に会いに来たのか。マルが恐る恐る彼の前に進み出ると、タク・チセンは、

「ちょっといいか」

 と言ってマルを廊下に連れ出した。

「お前はトアン帝国大学に行くそうだな」

「う、うん……君はキヌイ大学に行くんだってね」

 マルは言った。「東のトアン、西のキヌイ」カサン帝国内ではそう呼ばれ、二つの双璧をなす名門校として知られている。「お前なんかがトアン大学に行くのは納得がいかない」タク・チセンにそう言われるかもしれないと思ってマルは身を縮めた。

「お前は文学を専攻するのか?」

「うん」

「トアン大学には良い先生がいる。頑張りたまえ」

 タク・チセンから思いがけず優しい言葉をかけられほっとした。

「俺はジャーナリズムを学ぶ。かつては文学も志したが諦めた。俺はもう詩や物語を書く事も無いだろう」

「どうして? おらは君の書いたものが好きだ」

「お前はそんな事、本当に思っているのか?」

「え!?」

 タク・チセンは口元に少し笑みを浮かべたように見えた。

「俺はお前の書いた物を読んだ時、ショックの余り言葉が出なかった。こんな天才が世の中にいるのかと思った。カサン語を母語としないお前にこんな物が書けるとは」

 マルは胸がいっぱいになり、何と答えていいのか分からなかった。

「お前が中途半端な才能の持ち主だったら、俺は嫉妬でおかしくなったことだろう。しかしそんな気すら起こさせない程、超越したものをお前に感じた。俺はお前と同じ教室で学べた事を嬉しく思う」

「おらは……才能とか、そういう事はよく分からない……優しい妖怪達がおらにしてくれる話をそのまましているだけなんだ……でもおらの書いた物を読んだ人が楽しい気分になってほしいんだ。誰かが悲しい思いをしたり、君が書くのをやめてしまったりしたら残念だよ」

「俺に同情する気か? そんな事は無用だ。俺には新しい目的が出来た。それに俺は文学以外の事は、たいがいお前よりも出来るからな」

「それはそうだけど……」

「そうか……お前には妖怪の話が聞こえるのか……。だからお前の書く物は土の匂いがするんだな。そして読めば読む程アジェンナの地の豊かさというものを感じる」

 タク・チセンは一瞬、遠いまなざしをした。ふと、シンがマルの後ろから口を挟んだ。

「そうだ! 君にもそれが分かったかい!?」

 タク・チセンはシンの方に視線を移した。

「……俺は、アジェンナの王子だ」

 シンの言葉はいつものふざけた調子とは全く異なり、まるで目の前の大柄なカサン人の青年に対し、静かに刃を向けるかのようであった。

「君はこいつの書いた詩や物語を読んで分かっただろう? アジェンナの民は偉大だ。お前らカサン人がこの地を蹂躙し、俺達を見下す事は許さない」

「おや? 君は彼の書いた詩や物語が、この国の素晴らしさをアピールするための道具だとでも言うのかい?」

「いや、そう言うつもりはないが……」

 タク・チセンに静かに返され、シンの方が口ごもった。

「気が向いたら、お前が書いたものをこの住所に送ってよこしてくれ。感想を書いて返す。しかし甘い事は書かないぞ。俺はお前の一番辛辣な読者になるだろう。自分では書けないくせにな。それでもいいなら」

「喜んで!」

「ハン・マレン、お前とはまたどこかで会える気がする。牢獄の中かもしれんがな。俺もお前も変わり者だから」

 タク・チセンはそのまま背を向け、去って行った。

「やれやれ、まったく! 図体もでかけりゃ態度もでかい。どこまでも人をむかつかせる奴だ。見ろよ、あの背中。二足歩行してる猪そのものじゃねえか!」

 シンが悪態をつく横で、マルは感激して立ち尽くしていた。

「しかし、あいつがお前の才能に打ちのめされて筆を折ったってのはなかなか愉快じゃねえか。冷静な顔してやがるが、さぞかし悔しかっただろうな! いい気味だ! さて、と、明日の今頃はスンバ村に向かう列車の中か。ああ、お前の故郷に行くのが楽しみだ。いい女がたくさんいるんだろうなあ」

 マルもまた、もうじき戻る故郷の事を思った。みんなどうしているのだろう? ナティ、テルミ、カッシ、メメ、ダヤンティおばさんも! 懐かしい人達! 「イボイボのマル」のイボが無くなって、ピッポニア人みたいな顔のいかにもひ弱なおらを見て、みんな何て言うだろう? そう思うと、マルは何だか情けない気分になった。

(でも、どう思われたって怖くないや! ヒサリ先生がおらを受け入れてくれたんだから!)

 それから、スンバ村に行った後はいよいよヒサリ先生の故郷へ行くのだ。ああ、カサンの空は一体どんな色をしているのだろう? せっかく会えたヒサリ先生がまた遠くに行ってしまう。けれども今日、ヒサリ先生に会って確信した。

(どこにいても、おらの心はヒサリ先生と一緒だ。ヒサリ先生にたくさんおみやげを書いて送るんだ。でも、待てよ? カサンにはおらにお話しをしてくれる妖怪がいるんだろうか?)

 そんな事を思いつつ、マルの胸の中から期待と不安とで出来た七色の雲が大きく膨れ上がっていた。

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