第76話 テルミの結婚 5

ナティがテルミの家を離れ、森の方に向かって歩みを進めている間、どこからか絶え間なく、ギャア、ギャア、という吸血鬼の鳴き声が聞こえていた。

(うるせえ! チックショウ、何だよ、こんな日に! テルミの結婚を呪う気か?)

 ナティは歩きつつ、ふとこんな事を思った。

(待てよ、俺達はずっと、妖怪をやっつける事ばかり考えてきた。でも一番の妖怪はカサン人じゃねえか! 吸血鬼もこっちの仲間にして、カサン人をとっちめて追い出しちまう事、出来ねえもんかなあ……)

 こんな事を思い、ナティの内に、急におかしさが込み上げた。この時、ナティは自分の横を、スーッと、ナティの三倍もの背丈の「長おばけ」が通り過ぎるのを感じた。

「なあ……お前も、そう思わねえか? まあ、お前はけんかが嫌いなおとなしい奴だもんなあ。でもカサン人ってのは下手するとお前の住処まで奪いかねねえぞ。そうなりゃ、さすがのお前だって怒るだろ?」

 ナティはさらに進んで、森にさしかかった。下に生えている草をかき分けると、小さな道が現れる。少し前まで、森なんて恐ろしくて、近寄るのは山の民くらいのもんだった。しかし、カサン人の決して近寄らない森は、ナティと仲間達にとっては格好の「隠れ場」であった。とはいえ、せいぜい森の入り口までだ。森の奥深くに入り込む事はナティや仲間にとっても恐ろしくてとても出来ない。

 やがて、一軒の小屋にたどり着いた。そして梯子段を上がり、手にしていたランプの明かりを消した。そっと扉を開けて中に入った。

中にいる者に気付かれないように入ったつもりだったが、すかさず、

「戻ったな」

 という声がした。それはナティの耳を掠める細い矢のようだった

「ああ」

 ナティは溜息のような返事をして、扉のすぐそばにしゃがんだ。男の体がぬっと迫って来るのが分かった。

「お前の想い人にはやっぱり会えなかったろう?」

「想い人? そんなんじゃねえや」

「フフン」

 相手は嘲るように笑った。

「なんで、どいつもこいつもあいつのことが好きになるんだろうなあ。あんなにみっともねえなりをしているくせに。お袋もそうだった。お袋は口じゃあいつが泣き虫だの甘ったれだのと文句を言ってたが、心の底じゃあいつが可愛くてしょうがねえのは知ってたさ。まあ、あいつは末っ子だし、お袋は目が見えなかったからな」

 ナティがそのまま倒れるように床に横になったとたん、骨ばった手にがしっと腕を掴まれるのを感じた。肉のこそげ落ちた骸骨のような手だ。

「何だよ」

 ナティは不機嫌に体を揺らした。

「お前も分かったろう。あいつはもう帰って来ねえ。諦めろ」

「オムー、あんたが何を言いたいのかは分かってる。俺はな、体は女のようになったかもしれねえ。でも別に男を抱きたいなんて思っちゃいねえ。マルがもしイボが無くなって戻って来ても、そんな事思わねえよ。マルは俺にとってそういう存在じゃねえんだ。俺はこの世のどんな男とも、抱き合いてなんて思ってねえよ」

「だが、逆は大勢いるぜ。お前はこの闘いに全てを捧げると言ったな。金も無いお前が捧げられるものといったら何だ。それはお前のはしっこい所とカサン語力、それからお前の身体だ」

「チッ、どこまで残酷なんだ。お前って男は。そんな事言われるくれえなら、俺もマルの病気をもらってイボイボになりゃ良かった」

 ナティは吐き捨てるように言った。

「お前に指令を与える。お前の仕事は敵を誘惑して体を重ねて、重要な情報を聞き出す事だ。これは仕事だ。ちゃんと仕事をしろ。そして仕事の前に、そして仕事に入る前に、あいつと血を分けた兄弟とやっておくのも悪くなかろう」

「関係ねえや。兄弟であろうとなかろうと。正直あんたはあんまりマルの兄弟のような気がしねえ。まるで似てねえしな」

「そうだ。例えるならあいつは光で俺は闇だ。だがな、俺達は似ている所もある。闇を持たない人間がいるか? 今ならあいつもお前の目にしたとたん、男の目になってお前を抱こうとするだろうよ」

男の手がそろそろと太ももに這い上がって行く。ナティは抵抗しなかった。その代わり、自分の思いの全てを遠い場所にいる幼馴染に向けていた。

(マル、マル、お前、今どうしてる? お前も女とこういう事してるのか?)

 やがて、骨ばった男の体がぎしりナティの上にのしかかってきた。ナティは目を閉じた。瞼の裏では、幼馴染が、少し臆病そうな笑顔を浮かべてナティの方をじっと見ているのだった。

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