第75話 テルミの結婚 4
カッシは太い木の根っこに腰を下ろし、幹によりかかって、水煙草の竹筒を手にし、吸い始めた。
テルミの家の方からは、笛や太鼓や歌、人々の笑う声が聞こえてきた。自分は決してあの場所に行く事が出来ない。それでもいいんだ。こうやって一人であの音を聞いているだけで、なんとなく愉快な気分になれる。たった一人で聞く方が気が楽だ。誰かから「山のもんはこっちに来るな!」「インチキまじない師の子!」なんて事も言われずにすむんだから。
マルはテルミと仲が良かったはずだが、テルミの結婚を知ってるんだろうか? 知っても戻って来れねえかもな。どうやらマルは偉くなるためにタガタイに行っちまったっていうから。ああ、それにしても、きれいな星空だ。怖い位にきれいだ。でもこれはテルミにとっちゃあんまり良くねえんだな。あんまりきれいな星空の日に結婚したもんは早死にするって言われてるから。テルミに悪い事が起こんなきゃいいが……。
こんな事を考えているカッシの耳に、カサッと草を踏みしめる音が聞こえた。カッシはサッと顔を上げて周囲を見渡した。
(誰かいる!)
妖怪じゃない。人間だ。しかしカッシは恐ろしくなかった。夜闇の中で息を潜めている「ならず者」と呼ばれる連中はそう恐ろしくはない。カッシにとって怖いのは立派な服を身につけていたり、「権力」なんてものをぶら下げて歩いたりするような連中だ。ああいう奴らは平気でおら達「山のもん」を殺すんだ……。カッシはそのまま水煙草を吸い続けた。そのうち、地面がほんのりと明るくなった。
(近くに来たな……)
しかし、足音は聞こえない。よほどしなやかな足取りで近付いて来ているのだろう。
(一体何者だ……?)
カッシはいぶかった。
やがて、囁くような声がカッシの耳に届いた。
「カッシ? そこにいるのはカッシか?」
カッシは顔を上げ、声のする明かりの方に顔を向けた。光の中に、ほっそりとした体が見える。
(女だな)
カッシは思った。
(でも、誰だ?)
自分をこんなに親しみを込めて名前で呼ぶような奴は山のもん以外にいない。しかし相手が山のもんでない事は明らかだった。
「カッシだな、やっぱりそうだ! 俺はナティだよ、忘れたなんて言わせねえぞ!」
「ナティ!」
カッシは手にした竹筒をとっさに地面に落とした。男の子のようにふるまうナティが本当は女の子だって事は知っていた。だけどこの変わりようはどうだ! 体つきも顔立ちもすっかり娘らしくなり、長く伸びた髪を後ろで一つに束ねている。
「びっくりした。おめえ、すごく変わったな。おめえ、すごくきれいだ」
「おめえがそんなおせじを言うとは、そっちの方がびっくりだぜ」
「おせじじゃねえや」
「テルミが結婚するって聞いたんで、体を洗ってちょっといい服着て来ただけのことよ。でもな、ここまで来てどうもそういう気分が失せちまった。なんせ俺は嫌われもんだからな」
「なあに、嫌われるったって、おめえは山のもんじゃねえ」
「山の民かどうかは関係ねえ。人が嫌われるかどうかは結局人の持ってる性質によるんじゃねえのか」
「その山のもんの性質ってもんを、里のもんは嫌うのさ」
「俺はおめえも山のもんも好きだぜ。俺が嫌いなのはカサン人だ」
カッシはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「俺はどうもその、カサン人ならみんなまとめて嫌いっていう理屈がどうも分かんねえんだな。なんでナティはそんなにカサン人のことを目の敵にするんだ?」
「カサン人は俺らからマルを奪いやがったじゃねえか」
「でもカサン人にはいい人もいるぜ。オモ先生みたいな」
「オモ先生がいい先生か? あいつがマルにカサン語を教えたせいで、マルはタガタイに連れてかれた!」
カッシはこれを聞いて、ナティとこれ以上この事で言い争いをしない方がいいと思った。ナティの頑固な所はちっとも変わってない。
「ところでナティ、急にいなくなっちまって、今までどこで何してたんだ」
「俺は、仲間と一緒にいた」
「仲間って?」
「うん」
ナティは、ちょっとの間黙っていた。
「カッシ、おめえ、俺らの仲間になる気はねえか?」
「何の仲間だ?」
「カサンの連中の言いなりにはならねえっていう仲間だ」
「ニジャイの仲間ってことか?」
「いいや。奴らとは違う。ニジャイの仲間はピッポニアから金をもらって手あたり次第カサン人を襲ってるだけだ。俺達の仲間はそうじゃねえ。カサン人の言う事もピッポニア人の言う事も聞かねえ。俺達の事は俺達で決めるし、そういう国を作ろうっていう仲間だ。俺達のリーダーはマルの兄貴のオムーだ」
「オムー!? オムーは、マルの話じゃ勉強するために遠くの町に行ったって事だったが」
「勉強? とんでもねえ! オムーは少年矯正所って牢獄みてえな所に送られて、カサン人にひでえ目にあったんだ。マルも同じような目にあってるに違いねえ。だから俺達はカサン人の言いなりにはならねえって誓ったんだ。あのな、バダルカタイ先生も、俺達の事応援してくれてんだぜ。びっくりだろ? カッシ、俺はお前の事を信じてる。俺と同じで、みんなからいろんな事言われてるけど、本当はいい奴だって分かってる」
「ナティ、お前が良くても他はそうじゃねえ。おら、マルとは仲が良かったが、オムーはおらを嫌ってたし、バダルカタイ先生はおっかねえ」
「オムーがおめえを嫌ってるって? そんな事ねえ」
「嫌ってるさ。おらの母ちゃんは死んだマルやオムーの兄弟の魂を祈祷で呼び戻せなかったからな」
「バカなこと言うな。マルやオムーの一番上の兄貴のラハンが死んだのはおめえの母ちゃんのせいじゃねえ。カサン人が作ったダムのせいだ。オムーとマルの間のサーミも、カサン人がさらって行ったんだ。そういう事も俺たちはちゃんと勉強する。誰もおめえやおめえの母ちゃんのせいにしねえよ!」
カッシは首を振った。
「そうはいっても、やっぱりオムーはおらの事が嫌いだろうよ。マルとは違うさ」
「そうか」
ナティはそう言ったまま黙り込んだ。
「なあ、ナティ」
しばらくして、カッシが再び口を開いた。
「おめえ、ひょっとしてここに来たらマルに会えるって思ったんじゃねえか?」
「……そうだ」
ナティは言った。
「テルミはマルと仲良しだったからな。テルミが結婚するとなりゃ、あいつがお祝いの歌を歌いに戻って来るんじゃねえかって。
タガタイの学校に行った者はここには戻って来れない、そう聞かされてても、やっぱりここに来りゃ、マルの歌声が聞こえるような気がしたんだ。……聞こえなかったけどな」
カッシは頷いた。
「俺はいつか、タガタイに行こうと思ってる」
「タガタイはべらぼうに遠いだろ。その位おらでも知ってるぜ」
「タガタイに行って、あいつを取り戻す」
「でも、マルは石造りの建物の中に閉じ込められてんじゃねえのか? そして銃を持った兵士が見張ってるんだろ?」
「奴らが銃で脅すんなら、俺も銃を奴らに突きつけて先に撃つ!」
「そういう事は、マルが一番嫌がるだろうよ」
「分かってる。だから俺はマルが見てねえ所で、マルの代わりに闘う」
カッシは黙ったまま、一つ煙を吐いた。少し間を置いて、カッシは言った。
「ナティ、おめえがそんな事しなくても、マルはきっとここに戻って来るよ」
「なんでそう思う?」
「これに聞いたんだ」
カッシは懐に手を突っ込み、森の妖獣「一つ目猿」の睾丸を取り出した。
「これを転がして先々の事を占ってみたら、そういう答えが出た。ただな、テルミの未来については、あんまりいい事言わなかった。マルのは当たってほしいけどテルミのは当たって欲しくねえ」
「そのキンタマのお告げは絶対か? 変えられねえもんか?」
「変えられねえこともねえって思ってる。でもどうしたら変えられるかまでは、分かんねえんだな」
「そんなら俺が、運命は変えられるって事を示してやる。運命なんかに俺は左右されねえ」
カッシは黙って水煙草の煙を吐きながら、いかにもナティらしい、と思った。
「俺は待ってるぜ。お前の気が変わって、俺らの仲間に加わる気になるのを」
「まあ、気が向いたらな」
カッシは、ナティが去って行く足音を聞きながら思った。ナティは運命なんてもの気にしちゃいない。何でも自分で決められるって思ってる。おらはまるっきり自分じゃ決められねえ。おらは神様じゃねえもんな。何が正しいなんて分かんねえよ。……それに、これはおらだけの事じゃねえんだ。もしおらがナティ達の仲間になるって言ったら、山のもんを巻き添えにしちまう。なんせおらは近頃山の仲間から「予言者聖サティヤの生まれ変わり」なんて言われてるくらいだ。字が読めるばっかりに。おらがナティの仲間になれば、山のもんはみんなおらに続くだろう。でもそれがいい事かどうかはおらには分かんねえ……。カッシは懐から占いに使う布切れを取り出した。そして、口の奥でごにょごにょとまじないの文句を唱えつつ、その上に、二つの睾丸を転がした。月明かりとテルミの家から漏れ来る明かりに示された占いの結果は、カッシが今まで見た事のないものだった。
(ええ? 何だって? 『おらたちが、彼らを導く』って、さっぱり意味が分かんねえ……)
カッシは占いの道具を懐にしまった。そして天を仰いだ。
(ああ! なんてすごい星空だ! 今この手に長い長い棒があって、あそこに突き刺してかきまぜたら星がおっこちてきそうだ!)
そう思った瞬間、カッシの体がブルッと震えた。この先星が次々と落ちるような未来が待っているような、そんな不吉な予感に襲われたから。
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