第74話 テルミの結婚 3

やがて、司祭が到着した。

かといってここに集っている人々は静かになるわけでもない。相変わらずお喋りが続く中で、テルミとその家族が部屋の奥に設えられた祭壇の前に座った。バナナの皮でこしらえた祭壇には、恐らく先祖と土地の霊に捧げられる供物で溢れている。褐色の肌と豊かな白髪と口髭の対照も鮮やかな司祭が、厳かに祭壇の前に進み出た。

ヒサリには聞き取れない言葉を唱えている間、テルミと新妻、家族の者はじっと頭を垂れて聞き入っていた。しばらくすると、そこに集っていた人々も次第に腰を下ろし、司祭の言葉を聞きながら途中で祈りの言葉を呟いたり頭を下げたりしている。そのタイミングは不思議な位揃っている。皆は儀式の作法というものを自然に心得ているようだった。ヒサリは少し離れた位置からその様子を見詰めていた。司祭の言葉は、ヒサリを忘我の境地に誘うかのようだった。同時に戸惑いと微かな居心地の悪さを感じた。ダビの結婚式はまるでこんな風ではなかった。ここの人達は、外から来たヒサリが、何年たっても共有出来ない「何か」を持っていると思わせる瞬間がある。今がまさにそうだ。そしてその事が、ヒサリをいくらかおののかせるのだった。

ヒサリにはいくらか長く感じられる儀式が終わる頃には、夜がすっかり更けていた。そして儀式の終わりを待ち構えていたかのように、中庭には楽師達がどっとなだれ込んで来た。一団の中から真っ先に飛び出して来たのは、派手な服と手や首にじゃらじゃらぶら下げた装飾品でおめかししたミヌーだった。

「テルミ、おめでとう!」

 そう言うなり、妖艶な仕草でテルミの横に座り込んだ。少女のように幼く見えるテルミの妻は、警戒心もあらわにテルミの肩に腕を回して夫の体を引き寄せた。

中庭の松明の明かりの中で、楽隊が賑やかな音を奏で始めた。その真ん中で、大柄な踊り子が、クルクルと周り、髪を激しくなびかせ、腰を大きく動かしながら舞い始めた。まるで大木が枝で天を、根で大地をかきまわしているかのような力強い雄大な踊りだった。踊り子が力強く地面を踏みしめる度に、足首に付けた飾りがジャラン、ジャランと響く。それはあたかも、地の中で眠っている精霊を起こす合図のようであった。ヒサリはしばらくそのダイナミックな舞に見入っていたが、やがてその踊り子がシャールーンである事に気が付き、驚いた。

(あの鈍重に見えた子が、見事に舞い、人々を魅了しているわ!)

なんと立派な美しい踊り子になったことだろう! 彼女の鍛えられた肉体が描き出す線は躍動感に溢れている。その動きは生命の炎が燃えているようで、その姿は若くしなやかな太い生命そのものだった。テルミへの、彼女のこれ以上無いお祝いだとヒサリは思った。

ミヌーの方はというと、今は全く踊りをやっていないのだろう。床に座り込んでくつろぎ、酒や菓子を口にしているその姿は、既にダンサーの体型ではなくなっていた。やがて酒に酔った人々が立ち上がり、楽師の演奏に合わせてぐるぐる回って踊り始めた。宴会がだんだんどんちゃん騒ぎの様相を呈してゆく中、テルミと若い妻は、まるで小さなろうそくの炎のような形にぴったりと体を寄せ合っている。

(ああ、マルがこの場にいたら、きっと美声でここにいる人達を楽しませるだろうに……)

 ヒサリは思った。慣れない酒を飲んだせいか、体が少し浮き上がったようで、頭の中がぼうっとしていた。

「ところでマルは戻ってないの? 友達の結婚式でしょう?」

 そんな鋭い声に、ヒサリはハッと頭を上げ、声のした方を見た。ラドゥの妹のスンニが兄に向って言っているのだ。ラドゥがそれに答えて妹の耳元に何か囁く。

「ええ! そんな! カサン人は私たちからマルと彼の歌を奪うの!? あんまりじゃない!」

 ラドゥが妹をたしなめるように何か言う。「カサン人の先生がいるからそんな事言うな」とでも言ったのだろうか。スンニがサッと振り返ってヒサリの方を見た。その硬いまなざしに、ヒサリは一瞬で酔いが冷めた。ヒサリは立ち上がって外に出た。よく晴れた空で、今にも落ちて来るのでは、と思う程おびただしい星が見える。

(マルはタガタイで空を見上げる事があるだろうか)

 タガタイでは、星はあれほど美しくは見えないだろう。都会で見上げる空のように、あの子の心もくすんでしまったのではないか。そう思うとヒサリの心は沈むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る