第73話 テルミの結婚 2

「オモ先生!」

 声を聞いてそちらを向くと、花婿の衣装を着たテルミがちょうど家の中から出て来たところだった。

「テイ、おめでとう!」

 ヒサリはテルミをカサン名で呼びなから、手を広げて教え子に近付いた。ダビの婚礼衣装に比べると、テルミのそれは白い布に簡単な刺繍を入れただけの、質素な昔ながらのものだった。しかしそれがかえって彼の若さとみずみずしさを引き立てている。かつてマルが、「自分達妖人は派手な婚礼衣装を着たりしない」と教えてくれた事がある。ダビはその昔ながらの慣習を破り、かなり豪華な婚礼衣装を身にまとった。今、目の前のテルミの服装を見ながら、ヒサリは

(これが昔ながらのこの人達の婚礼衣装なのね)

 と思った。質素ではあるが決して貧相とかみすぼらしい感じはしない。ダビもテルミも自分らしい衣装を選んだ、と思った。

「ユアン! ユアン! 先生だよ!」

 テルミが振り返って言うと、家の中から花嫁の衣装を着た少女が現れた。小柄で、まだほんの子どもに見えた。

「先生はタガタイに行ってしまうんですね。寂しいです。手紙を書きます」

「私も書きますよ。あなたはこれから当面アロンガに駐留しているのカサン軍の施設で暮らすのでしょう」

「はい。幸い、妻も一緒に入れるそうなんで」

「それは良かった」

 カサン軍付属の看護学校に行ったテルミは、学費無料で勉強した代わりに卒業後三年間の軍での勤務と非常時の応召が義務付けられている。看護師の給料は非常に良く、スンバ村森の際地区の基準からは考えられないような豊かな生活が約束されていた。スンバ村の多くの貧しい家庭の子がテルミの出世をうらやましがり、学校に通う子の何人もの親から「うちの子も看護学校に入る事が出来ないか」と相談を受けた。しかしテルミは得意がったり調子に乗ったりする様子も無く、かつてと変わらない素朴な笑みをヒサリに向けている。

「タガタイでマルに会ったら、どんな様子か知らせて下さい。でも、マルはもう私たちの事は忘れたでしょうかね」

「そんな事ありませんよ。あの子は絶対、私たちの事を忘れたりしません」

「そうですね。先生、もしタガタイに行かれたら、マルに渡して欲しい物があるんです」

 テルミはそう言って家の中に入った。やがて、現れた彼が手にしていたのは、みすぼらしい弦楽器だった。それはかつてマルがよく持ち歩いていたものだった。

「マルがこれを見て、この村や私たちの事を思い出してくれたらなって思うんです」

「分かったわ」

 ヒサリが楽器を受け取ろうとしたとたん、楽器はストンと地面に落ちた。

「ごめんなさい!」

「ごめんなさい!」

 ヒサリとテルミは同時に言った。ヒサリには何だか、楽器が自分の手から勝手に飛び出したように思えた。ヒサリとテルミは、しばらく地面に落ちた楽器を見詰めていた。

「先生、ごめんなさい。やっぱりこれは、マルがスンバ村に戻る事があれば私が渡します」

「そうね。その方がいいわね。渡せるかどうか分からないから」

 ヒサリはテルミに言った。タガタイ第一高等学校の卒業式には招かれたが、楽器を持ち込む事は出来ないだろう。

 中庭の向こうに、水牛に引かせた荷車が現れた。荷台には酒樽や笊に乗せた干し魚や炊米の飯や果物などが溢れんばかりに乗せられている。

「テルミ!」

 水牛の向こうから現れたのはラドゥだった。

「おめでとう。これはおらと仲間からのお祝いだ」

「すごい……こんなに! ありがとう!」

 テルミが感激して声を震わせた。

「さあ、どこに運んだらいい?」

 ラドゥの妹のスンニが荷台の上の物を抱えて運び始めると、その場にいた者は次々と手伝い始めた。その中に、色黒の女性、ネビラがいるのに気が付き、ヒサリは声をかけようと近付いた。ネビラは教え子のメメの母親だ。最近見かけぬメメの様子を聞きたいと思ったのである。

「今日はメメは?」

「メメは来ない」

「え!?」

「しばらく前に家を出ちまった」

「行き先は……」

「カサンの軍隊じゃねえかと思う。近頃夜な夜な一人で森のそばまで出かけて行っては体を鍛えたりしてたからね」

 ヒサリは、マルからかつて、メメがカサンの軍隊に入りたがっていると聞かされた事を思い出した。

「どの部隊か、所属は分かりますか? 一度彼と話をして考えを変えるように説得してみましょう」

 ヒサリは言った。アジェンナ人がカサンの軍隊に入っても、雑兵としてひどい扱いを受けるだけだ。そして彼はネビラのたった一人の息子であり、ネビラがどうしても葬儀屋の仕事を継がせたがっているのを知っていた。

「あの子は頑固者ですから、先生の言う事は聞かんでしょうね」

 ヒサリはネビラの話を聞きながら思った。

(メメはもし私に会わなかったら、カサン軍に入りたいなんて気は起こさなかったのかしら。迷い無く葬儀屋の仕事を継いだのかしら)

 ネビラは無口な女だった。気丈な彼女の、感情を全く顕にしない浅黒い彼女の横顔を見ながら、ヒサリは言葉を失っていた。葬儀屋として数え切れない程の死骸を扱ってきた彼女には安易な言葉を寄せ付けない何かがあった。

思いにふけるヒサリのそばにテルミが寄り、声を掛けた。

「先生、こんな暑い所で立ち話もなんですから、どうぞ家の中にお入り下さい」

 家の中には、先祖と土地の霊に結婚を報告するための祭壇が設けられていた。祭壇のほとりで、テルミの母親のメームとヒサリのもとで炊事や掃除洗濯をしているダヤンティが座って話をしていた。この二人は仲が良いのだ。ダヤンティの後ろには息子のアディが立っていた。幼い頃から「村一番」と言われてきた美貌にはさらに磨きがかかっている。村のほとんどの若い娘は一度は彼に惚れるものの、脈が無いとみんな諦めてしまった。彼の眼中には役人の娘のハーラしかいないのだ。メームはヒサリを見るなり、サッと立ち上がった。

「まあ、先生! よくいらっしゃいました!」

「おめでとうございます。幼い頃から見ている息子さんの晴れ姿を見る事が出来て、今日は本当に嬉しいです」

「うちの頼り無い息子をこんなに立派にしていただいて」

「いいえ。息子さんは本当に努力家で優秀ですよ。でも、彼が産婆の仕事を継ぐ事が出来なくなって、申し訳なく思っています」

「いえいえ、産婆の仕事ならあの子の妹に継がせますから。それよりもあの子が立派な看護師になって国にご奉仕出来るなんて本当に光栄ですよ」 

 メームの屈託ない笑みを見た瞬間、ヒサリは心はいくらか軽くなった。

「あらっ、ダビが来た」

 ダヤンティはそう言って肩をすくめた。

「嫌ねえ。花婿より目立つ格好をして来るなんて」

 さっそく嫌味を言うダヤンティ。

「まあいいじゃない。あの子は昔からああいう子ですから」

 返すメームの言葉にも少々皮肉がこもっていた。

 ヒサリはふと、ここに決して来る事の無い教え子の事を思った。マル、ナティ、カッシ、ニジャイ……。ナティはもう数年前から行方不明。カッシはこういう晴れがましい場所には決して現れない。ひときわみすぼらしい格好をした山の民のカッシは皆に避けられている。温和なテルミ親子も、どこかカッシを避けている様子だった。カッシは幼い頃からだらしなく勉強も出来ず、常に水煙草を手放さず、カサン帝国人らしい振る舞いをついに身に着ける事が無かった。しかしカッシはヒサリの小屋が爆破された時、助けてくれたのだ。善良な若者だという事はよく分かっている。自分が何かカッシのために出来る事は無いか、と思わずにいられなかった。何とかまっとうな仕事に就かせてやりたかったが、彼自身が一向に乗り気でないのだ。それからナティ。あの子は一体、今、どこで何をしているのだろう? 

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