第71話 ヒサリの危機 3

カッシは暗闇の中で一人考えた。

(オモ先生はいい人だ。山のもんのおらに、仕事見つけてやろうって言ってくれるんだもんな。でもオモ先生は知らねえんだ。おら達山のもんが工場や農園で仕事したら、どれだけばかにされ、いじめられるかって事を。山のもんはろくに仕事しねえ、なんて言われてまともに金も払ってもらえねえ。あぶねえ事させられてけがしてもお構いなし。ひでえ時にゃ死んでも、『死にやがったぜ、役立たずめ! 早くこの邪魔くせえ死体を持って行きやがれ!』って唾でも吐かれておしめえだ。それに比べて魔法の実を栽培して売りゃはるかに手っ取り早く金になる。オモ先生は、魔法の実を砕いて吸ったらみんななまけ者になって働かなくなるって言う。みんなが働かなきゃ立派な橋も建物も出来なくて、カサン人は困るんだろう。でもあの魔法の実を売らなきゃ、おら達山のもんが困るんだ……。おらはオモ先生にもっとはっきり、ニジャイ達の名前を出しゃよかったのかな……あいつが反カサンゲリラの一味だって事も? でもそんな事したら、あいつらにばれちまう。あいつら、魔法の実のお得意さんだし、怒らせるわけにいかねえんだ。山のもんの生活がかかってるからな。……ああ、でもあの調子じゃ、オモ先生、逃げねえだろうな。どうすりゃいいんだ? それにしても、おらには不思議でならねえ。みんながカサン人がどうとかアマン人がどうとかやたらと気にしてんのが。くだらねえや。ナニ人だろうとおら達山のもんをバカにしてんだから。おらが山のもんの他で信用出来るっていったら、この世に三人しかいねえ。マルと、ナティと、それからオモ先生だ。オモ先生はおっかねえけど、おらに食べ物をくれて読み書きを教えてくれた。ニジャイはオモ先生がカサン人だから悪者だ、とっちめてやんなきゃって言ってる。ニジャイはあれだけオモ先生の世話になっておいて、あの人がカサン人ってだけでそんな悪口を言う。頭おかしいんじゃねえか。まあ、あいつは金に目がくらんだんだな。反カサンゲリラ様にはピッポニアからたんまり金が入って来るらしいからな。ニジャイは言ってたな。いずれまた、ピッポニアとカサンの間で戦争が起こる。そうしたらピッポニアが勝ってもう一度ピッポニアがアジェンナの親分になる。だからピッポニアに味方しといたほうがいいって。だけどナティは違う事言ってたな。アジェンナは「一人立ち」しなきゃいけねえって。結婚しちゃいけねえんだって。カサンの旦那にもピッポニアの旦那にも言いなりにならねえって。まあ、おらにはどうだっていい。誰も、山のもんをいじめなくなりゃそれでいいんだ。おら、その時ひょいと思いついて、ナティに言ったんだ。もし山のもんが「一人立ち」して山のもんだけの国を作ったらどうかなって。そしたらナティ、頭抱えて考え込んぢまったな。ナティはそういう事まじめに考えるからいい奴だ。ナティは今どこ行っちまったんだろう。元気かな。マルがいなくなってよほどショックだったんだろうな……)

カッシはそんな事を考えながら、オモ先生の高床式の部屋の床下の一か所に積まれている新聞や雑誌に近付いた。

(オモ先生は、おらがこれを持って帰るのは何か包むためだと思ってるんだろう。おらがちっともまじめに勉強しなかったから。おらがこれを読むために持って帰ってるって知ったら驚くだろうなぁ。でも、おらは知ってる。ここには役に立つ事がいっぱい書いてあるんだ。おらが新聞を読んで知った事を山の仲間に伝えたら、みんなびっくりして、『おめえはこんだけ先を見通す力を魔女か何かから授かったのか』って驚いてたけど。カラクリはそういうことさ……。カッシは背中の籠を下ろし、ありったけの新聞や雑誌を詰め込んだ。

その時だった。建物を支えている柱に、何か見慣れぬ線が巻き付けてあるのに気が付いた。カッシはランプを手に取り、持ち上げてそれをしげしげと見つめた。その線は柱からさらに地面を長く這い、草むらの中に消えていた。

(こりゃどう見ても、森の生き物でも妖怪でもねえ。人間が仕掛けたもんだ……)

 この時、カッシの頭に浮かんだのは以前雑誌で読んだ「導火線」というものだった。

(まさかニジャイが!?)

 本当に、ニジャイが世話になったオモ先生にこんな事までするのか。信じられない! ……しかしそんな事をのんびりと考えている暇は無かった。シュウシュウという異様な音と、何か物を燃やすような匂いがしてきた。

「まずい!」

 カッシはとっさに床下から飛び出し、梯子段を駆けあがった。

「先生! 先生! 先生!」

 カッシは大きく扉を開けた。

「すぐ出て!」

「何ですって!?」

 カッシは部屋に飛び込んで、あっけにとられた表情でカッシを見返しているオモ先生の腕を取った。

「何? 何なんです!?」

 カッシはオモ先生にすがりつき、その体を引きずるようにして梯子段を駆け下りた。二人は草むらの中に駆け込んだ。その時だった。闇を砕くようなすさまじい轟音が響いた。二人はバッタリとうつ伏せに倒れた。カッシは、木の破片のようなものがバラバラッと背中に降り注ぐのを感じた。自分が果たして生きているのか死んでいるのかも、しばらくの間分からなかった。体の下の草のチクチクする感覚と、握ったオモ先生の手のぬくもりから、ああ、自分はどうやら生きているらしい、と思った。カッシの耳に、数人の若者達の、妖怪の叫び声のような、狂った声が飛び込んで来た。

「やったぜ! カサンのクソ女をやっちまったぜ!」

「脳みそも体もブッ飛んでバラバラになってるだろうな!」

「チクショー、バラバラにする前に一発ヤッときゃ良かった!」

 声がだんだん遠ざかり、完全に聞こえなくなった所で、カッシは顔をゆっくりとオモ先生の方に向けた。ランプもどこかに吹き飛び、真っ暗な上に、煙とゴミのために目がチクチクし、周りが見えない。しかし地べたから自分の心臓の音が聞こえてくる。生きている事は分かった。オモ先生に声をかけようとすると、握った先生の細い腕が震え出した。いつも力強く話すオモ先生の腕はこんなに細いのか、と驚く程だった。腕の震えは次第に大きく、激しくなり、カッシは思わず手を離した。同時に、オモ先生の嗚咽交じりの声が聞こえてきた。

「どうして……どうしてなの……? どうして私を殺そうとするの? 私の何を憎むの? ここの人達のために、ずっと、精一杯やってきたのに……」

 その声の調子は、いつもの冷静で勇敢なオモ先生のものとは打って変わって、弱弱しく、風に揺れる灯のようだった。

「先生、ケガはしてねえですか? 先生……?」

 カッシが声をかけても、オモ先生はとりとめの無い事を口走りながら震えるばかりだった。オモ先生の震えと恐怖が伝わったのだろうか。周囲の木々の葉までザワッ、ザワッと不穏な音を立ててずっと止むことが無かった。

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