第68話 リュン殿下の来訪 3

寮に戻るまでの間も、シンはしきりに

「いひひひ」

 と抑えようにも抑えられない笑いを口から漏らしていた。部屋に入るやいなや、またしてもシンは

「ハハハハ」

 と声を立てて笑った。

「ねえ、何がそんなにおかしいの?」

「リュン殿下がお前を王子と間違えたからさ!」

「リュン殿下はなんであんな事言ったんだろう。おら、何て返事していいのか分からなくて困ったよ」

「いいじゃねえか! 『私が王子です』って顔してりゃ。あの教室に王子がいるって聞いたら、そりゃ誰だってお前だと思うだろうさ!」

「どうして! 王子様の真似だなんて、とんでもない! 王子様っていうのは強くて、黄金の甲冑を身にまとって白馬にまたがって敵陣に突っ込んで行ったりするんでしょ。おらはこんなにチビでひ弱なのに……」

「でも教科書を読む態度は、敵に立ち向かうみたいに堂々としてたぜ」

「リュン殿下は恐ろしい敵じゃないよ。授業を聞きに来たんだ。おらは村で歌物語をみんなに聞かせていたように読んだんだ。王子様の真似なんて考えた事も無い!」

「そうだとしても、お前は全体の雰囲気が王子みてえだからなあ。品があってにこにこしていて、だから俺はお前に何でもして差し上げたくなるのさ! お前がシーツをきれいに敷けなければ俺が敷いてやるし、お前の裸足が床で冷たそうだからこのスリッパも作ってやったし。でもいつも君はにっこり笑って『ありがとう』って言うだけ」

 マルは真っ赤になった。

「おらは不器用でシンのために出来る事が少ないから、詩や物語でお礼したつもりだったんだけど……」

「えっ!? あれはスリッパのお礼だっていうわけ? お前の霊感の賜物だって思ってたけどな。まあ、そんな情けない顔するな。俺はお前のためにいろいろ出来る事が本当に嬉しいんだよ。な、マレン王子!」

「そんな言い方やめて! 本当にやめて!」

「そうだな。お前は詩人だ。『王子だと? ふざけんな、王子なんてくだらねえ、俺は詩人だ!』って思ってんだろ? 本当は。まあ実際に王族の連中なんてのはな、どいつもこいつもいくじがねえし野蛮で下品でお前の持っている気品のかけらもねえよ」

「ちょっと待ってよ!」

 マルは友の過激な発言に驚き、慌てて周りを見回した。こんな発言が人に知られたら、不敬罪で捕らえられてしまう。

「いい加減な事言わないでおこう! 王族の方々が一体どんな人達かなんて、おら達知らないんだから」

「俺は知ってるぜ」

 シンの真面目な返事を聞いて、マルはハッとした。

「ねえ……そういえば、さっき、シンは教室に王子がいるって言ったよね? それって、それって、まさか……」

「うん。そのまさかだよ」

 シンはおもむろに両手を頭に置いたかと思うと、猿の面をズルズルと引っ張り上げた。するとその下から、浅黒い、彫の深い美しい顔が現れた。

「ヤーシーン王子!」

 今、マルの目の前にあるのは、写真や似顔絵で見たことのある、ヤーシーン王子その人であった。マルは、相手の顔をじっと見つめているうちに感激で体が震えてきた。

「なんだよ! おめえ、珍獣を目の当たりにしてるみたいに俺を見てるな!」

「おら、君と会った時、なんだか、どういうわけだか昔からの友達に会ったような気がしたんだ! それは君がヤーシーン王子だからなんだね! おら、小さい頃タガタイからやって来た物乞いのおじいさんから、君の話を聞いたんだ! 君の弟を生んだ二番目のお妃とその親族にそそのかされた王様に命を奪われそうになったって本当なの? それから王宮を逃げ出して森をさまよってたなんて……」

「ああ、俺に同情して秘かに俺の歌物語を歌ってる詩人達がいるのは知ってるさ。まあ、だいたいお前が聞いた通りだな~。王宮のスキャンダルなんて、隠そうと思っても案外すぐ外に漏れるもんだよ」。

「そんな……そんなつらい目にあってきてどうしておらに話してくれなかったの!? 君がそんな目にあってきたなんて!」

「ごめんな。お前の事を信じられないかったわけじゃねえ。いつかは話そうと思ってた。ただな、俺の過去はこんなに血なまぐせえ。一方お前はみんなに愛されてきた。分かるんだよ。お前を包む何とも言えねえようなあったけえ雰囲気から。もし打ち明けたら、お前が俺や俺の過去を怖いとか嫌だって思ったりしねえか、俺を避けるんじゃねえかって気になってた。今じゃ安心してお前に話せるけどな」

「君はすごいよ……本当にすごい! あんなにつらい目にあってきて、どうしてこんなに優しいの!? 明るくて前向きなの!?」

「まあ、アホだからな。親父や弟もアホだが俺は輪をかけてアホ。アジェンナ王家の者は代々アホ。腕っぷしは強いがみんなオツムが弱いときている。それでピッポニア人につけこまれて手の上で踊らされてきたってわけさ。それからな、おっと、ここから先は秘密だぞ……」

 シンはマルの耳元に口を近付けて言った。

「カサン帝国にとっちゃあそれが面白くねえ。カサンの連中はアジェンナ王家がいまだにピッポニアと通じてるんじゃねえかと疑ってる。だから廃嫡されたアホな俺をまるめこんでカサンの思想を植え付けて徹底服従させた上で親父や弟の代わりに王位につかせようとしている。俺がこんな面白くねえ学校にいるのはそういうわけだ」

「えっ、それじゃあ……」

 マルはそう言ったまま言葉を失った。聞きたい事はいっぱいある。けれどもうまく口に出来ない。

「お前の言いてえ事は分かるぜ。つまり俺のやろうとしている事はクーデターや革命と同じじゃねえかって、そう思ってるだろ?」

「ううん。君を殺そうとするような王様は王様でいちゃいけないと思う。それに王族はそもそも最初に生まれた子が王位を継ぐのが決まりでしょ? シンが王位を継ぐのは正しい事だよ。君の弟だって説明すれば分かってくれるよ!」

「あのな、いいか、俺は私的な感情で王位につきたいわけじゃねえ。弟がその地位にふさわしければ、喜んで王位はくれてやる。しかしそうじゃねえ。あいつが王位についたら永遠に大国のあやつり人形のままだ。だがな、俺は違うぞ。カサン帝国に服従するポーズは取るが、実際にはそうはならねえ。俺が王位についたら、ピッポニアやカサンの連中に奪われた力をちょっとずつアジェンナに取り戻す。そしてこの国の民を守る。……お前だから、こういう話をするんだ」

 マルは話を聞きながら戸惑った。彼は今、すごく大事な、そしていくらか危険な事を話している。

「いいか、俺がお前にこんな話をするのはお前が友達だから、だけじゃねえぞ。お前が詩人だからだ」

「…………」

 詩人である事と友の告白に、どんなつながりがあるのだろう? しかし彼の言葉と強いまなざしが、マルをじっと引き付けて離さない。

「俺は危険な事を考えてるんじゃねえ。俺自身もこの国も、誰にも支配させねえって事だ。俺は誰に対しても復讐なんか考えちゃいねえ。親父にも親父をそそのかした王妃にも。弟にも不自由させるつもりはねえ。ただ王位は継がせない。王は俺だ。お前はアジェンナの民だ。王とは何だ。民とは何だ。お前は分かるか?」

「それは……」

「民とは国の一部だ。民が死ぬという事は国の一部が死ぬという事だ。民が豊になれば国が豊になる。王とはなんだ。王とは国が危機に陥れば民を守り国の身代わりになって命を投げ出す者だ」 

「そんな!」

 マルは思わず声を上げた。

「おらは君が死ぬ位なら王になってほしくないよ!」

「だがな、どんな人間にも役割ってもんがあるだろ? お前にはなるべく長生きしてこの国の物語を後世に伝える役目があるんだろ? 俺はいざとなったら国の代わりに死ぬ。それが俺の宿命さ。そんな顔するなよ! 俺は何も今死にてえわけじゃねえ。女も抱きてえし酒も飲みてえ。生きてやりてえ事は山ほどある。ただな、いざとなりゃそうする事が俺の宿命だって事さ」

 シンの言葉に悲壮感はない。あくまで明るく、向こう見ずな若者が大言壮語を吐いているようにも聞こえる。しかし冗談めかした言葉の中に鋼のような真実が含まれている事をマルは知っていた。この友の言葉は常にそうなのだ。

「俺は王子、お前は詩人、俺とお前がこうして出会ったのは偶然じゃねえ。神の思し召しさ。俺がもし死んだら俺の物語を人に語り伝えてくれりゃ本望だなあ~。何も美辞麗句を述べる必要なんてねえ。ありのままを書いてくれりゃいいんだ。女好きでアホな男だったと人々に伝えてくれていい」

「…………」

 マルはそれに対して返事が出来なかった。「うん」なんて答えたら、本当に彼が死んでしまうような気がしたから。

丁度その時、廊下をパタパタと走って来る足音が聞こえた。

「おおーっと!」

 シンは一瞬で再び猿の面を装着した。

「あいつらにはまだ秘密だ。それにしてもあいつらの足音はでかくてすぐ分かるぜ! まあ俺らの躾がいい加減だからだけどな」

 言い終えた瞬間、扉が勢いよく開き、ワック・リムとコイ・タイが飛び込んで来た。

「先輩! 聞きましたよ! リュン殿下が先輩の朗読に感動して、涙を流されたんですってね!」

「そんな噂が流れてるの? 嘘だよ。リュン殿下は涙なんか流してなかったよ」

「でもリュン殿下はマレン先輩を『アジェンナ王子』って言ったんでしょ?」

「そんな事まで伝わってるの?」

「そうです! 俺はマレン先輩が南の村の出で王子じゃないってこと知ってますよ! でもマレン先輩は王子様っぽい雰囲気ですからね!」

「おいおい、おめえら、本物の王子がどんな人間か知って言ってんのか!」

 シンが茶化す。

「知りません! でもなんとなくマレン先輩みたいに穏やかで、品があって、にこにこしながら王宮の窓辺で『光輝け、わが国よ~』とか歌ってるイメージです……」

「おいおい、そんな下手な物真似で許してくれるのはハン・マレン先輩位しかいねえぞ!」

「分かってますよ」

「それよりおめえ、ラーレ王子の話知らねえか? 向こう見ずで、自信家で、一人で巨大ワニに立ち向かってあっさり殺されちまうすっとこどっこいな奴がいただろ?」

「あ、そういえばそんな王子様いましたよね! なんかラーレ王子はシン先輩っぽいです!」

「言ってくれるじゃねえか、この野郎!」

 部屋じゅうが笑いに包まれる中、マルの心はしんと冷めていた。顔には笑みを浮かべつつも、先ほどの友の言葉が頭の中に響いて止まなかった。

(おらはヤーシーン王子の物語をおら自身で完成させたくない。それが悲劇になるならなおさら。友達の英雄譚なんて書きたくないよ。それがおらの宿命だとしたら、神様はひどい。そんな宿命は引き受けたくないよ。神様、どうか神様お願い……)

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