第64話 罰を受ける 6

シンはなかなか部屋に戻って来なかった。別室での謹慎がなかなか解けないのだ。

通常、飲酒はピッポニアの本を読む事などよりもはるかに罪が軽いはずだ。建前とは違い、私刑や暴力やいじめがはびこるこの学校では酒やタバコにひそかに手を出す事は「男の元気の証」として許される風潮がある。そんな事よりも大切なのは「上に対する絶対服従」なのだ。これはカサン社会の多くの組織に見られる傾向だという事を、マルは多くの書物を読むうちに知った。シンの、「たかが飲酒ごとき」での長い謹慎は少々異様であった。

(きっと、問題は飲酒じゃない。シンの教官に対する態度だろうな……)

「シン先輩、寂しくて発狂してるんじゃないですかね!」

 と呑気に言っていた後輩のワック・リムやコイ・タイも、だんだん本気で心配し始めた。マルはただただ、彼が無事に戻る事を祈るより他なかった。

 十日後、ようやく謹慎を解かれて戻って来たシンを見て、マルは驚いた。彼の黒光りしていたたくましい体から肉がごそっとこそげ落ち、肌の艶も失われたように見えた。

「シン! 大丈夫だった? ひどく怒られた? ……ねえ、ご飯ちゃんと食べてた? 食事も満足に取れなかったんじゃないの? ああ、夕食のパン、持って帰れば良かったなあ」

 シンはいきなり、マルが手を置いた肩を揺らしつつ、

「ヒヒヒヒ……」

 という、軋むような笑い声を漏らし始めた。それはやがて、

「ハッハッハッハ!」

 という部屋を揺らす程の大声に変わった。マルはおずおずと友の目を見詰めた。一体どうしたんだ? ひどい折檻を受けて、頭がおかしくなったんじゃないか?

「友よ! 俺はカサンの手下でも、操り人形でもねえぞーー!!」

「シー! 静かに! 何があったの、シン!」

「俺がどうやら連中の期待通りの間抜けで脳筋デクノボーじゃねえってことで、こんなザマさ! でもな、俺は俺だ! 俺は言っといてやるよ! 俺は絶対に、永遠にお前を守る!」

「分かった、分かった、おらは君を頼りにしているし守られてる。それは本当だよ! 明日からまた君に守られるから、とりあえず、今日は何も考えず休んで!」

「俺はなあ、お前の顔を見た瞬間、もう胸がキューッとして盛大に飲みてえ気分なんだよ! ……ああそうだ、酒は飲めねえんだっけ、チックショウ! 全部取り上げられちまったもんなあ。今じゃ教官連中の腹の中かよ! ところでワック・リムとコイ・タイはどうした!?」

「風呂に行ってるよ」

「ていう事は俺らの風呂の時間は終わったってことだな!? チックショー! 謹慎明けだっていうのに! こんな汗臭い体で寝なきゃいけねえのか!」

 マルは、シンが案外元気で頭がおかしくなっているわけでもない事に気が付き、ほっとした。

「ところでお前の方はどうだ? 見たとこ手も足も付いてるし、相変わらずとぼけた可愛い顔だが、殴られたりしてねえよな?」

「一度だけ殴られたよ」

「何―! お前を殴っただとー! 許せねえ!」

 シンが吠えた。

「シーッ、シーッ、大したことないって。だって殴る事はここでは愛なんでしょ。人は殴られる事によって強くなるって……」

「おいおい、お前そんなカサン人の戯言信じてんのか? 机を殴れば机が強くなるか? 下手すりゃ壊れるだけだろうが!」

「信じちゃいないよ。ほんとはね」

 マルはシンと顔を見合わせて笑った。

「オモ先生は決しておらの事を殴ったりしなかった。一度だけ叩かれたことがあるけど、すぐに謝ってくれたんだ」

「またオモ先生が。オモ先生、オモ先生、お前よっぽどオモ先生の事を愛してるんだな!」

「そうじゃない! 全然そういう事じゃない! オモ先生は立派なカサン人だって言いたいだけ! タク・チセンも立派なカサン人。何人であっても、カサン人でもアジェンナ人でも、ピッポニア人であっても、立派な人とそうでない人がいるって事! そして何人であっても、気が合う人合わない人がいるんだよ。単にそれだけの事!」

「俺なー、お前の話聞く度に、オモ先生って人と話してみてえと思うんだよな。きれいな女性に悪い人はいねえからな」

 いきなり扉が開き、入浴を終えたワック・リムとコイ・タイが入って来た。

「先輩―――!」

「お前らーー、先輩をさしおいて爽やかになりやがってよー!」

「先輩の体、拭いてあげますよ!」

「いらんお世話だ! 俺は男には体を触られたくねえ!」

「退学処分にならなかったんですね! あー良かった! シン先輩とマレン先輩がいての学校なんです」

「おいおい、俺ら卒業したらお前らどうするんだよ!」

「そしたら俺達がシン先輩とマレン先輩になります! マレン先輩みたいににこにこしながら詩を口ずさんで、シン先輩みたいに助平な話を後輩にしてやります!」

「お前ら! 言ってくれるじゃねえか!」

 たちまち部屋の中は笑いに満たされた。マルは三人の様子をじっと見つめながら思った。シンはカサン人とは分かり合えない、なんて言ってるけど、そんなことない。シン自身がそれを証明してるじゃないか! ここにはアジュ人のシンやコイ・タイも、カサン人のワック・リムも、アマン人の自分もいて、こんなに楽しい時間を過ごしているじゃないか、と。

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