第62話 罰を受ける 4

マルはタク・チセンの少し後ろを歩いていた。タク・チセンが不意に立ち止まり、マルの方を振り返って言った。

「なぜお前は心にもない事を平気で言う。お前は本当に、今後一切ピッポニアの本など読まないつもりか」

「…………」

 マルには返事が出来なかった。この先がどう、などという事は何も考えていなかった。ただテセ・オクムから「ヒサリ先生を悲しませるな」と言われたら、「はい」と答える以外無かった。タク・チセンはマルを見下ろしながら言った。

「俺はお前が嫌いだ。お前は感情に流される人間だ。お前には思想が無い。それなのにお前の書く物は人の心を打つ。ハン・マレンとは違う人間がお前の中にいるんじゃないかという気がする程だ」

 マルはその場に打ち込まれた杭のように立ち止まった。タク・チセンはそのまま足早に立ち去って行く。……これほどはっきりと「嫌い」と言われるとは。カサン人は、何事も曖昧にしがちなアマン人に比べて、一般的に好き嫌いをはっきりと口にすると言われている。その事が分かっていても、つらかった。泣きたい程につらかった。タク・チセンの姿が見えなくなってから、マルはようやく重い脚を引きずるように歩き出した。ぽっかりと空洞のような心を抱えたまま、校舎を出て寮へと向かう。全身にのしかかる夕日が重い。

(でも、タク・チセンはおらの書いたものを読んだって言ったよな?)

 マルがふと顔を上げると、目の前にモク・イアンが姿があった。白い、そばかすの浮かんだ顔に、またあのニヤニヤ笑いを浮かべている。マルは彼をよけようとしたが、モク・イアンが彼の前に立ちふさがり、そうさせなかった。

「君はなんで本を渡した犯人として俺の名前を出さなかったんだ?」

 マルは彼のからかうような口調に面食らった。

「君の名前を出した方が良かったっていうの?」

「そういうわけじゃないが、普通はそうするだろう? 俺に無理やり押し付けられたって言えばお前は許され、俺が罰を受ける。教官もきっとそうなれば満足する。俺はお前と違ってカスだ。成績も悪いしな」

「おらは君って人が分からないよ」

「まあそう拗ねるなよ。俺はなお前がどんな奴か、こういう時どうするか、興味があった」

「あんまり二人でこうして話しているのは良く無いと思うよ。おらはさっき、汚れたピッポニアの血を引いてるって言われて教官に殴られたし、君も目をつけられるかもしれない」

 マルはそう言い、寮へと急いだ。

 部屋に戻ると、シンも後輩達もいないたった一人の部屋で、マルは再びヒサリ先生の事を思った。そして先ほどタク・チセンにかけられた言葉。さらには故郷スンバ村の友、ナティの事までも。

(そういえば……ナティはしじゅう怒ってたな。あの頃は、なんであんなに怒ってんだか分かんなかった。でも、今は分かる。おらには思想も信念も無い。どうしたら人に笑ってもらえるかとか、嫌われないだろうとか、そんな事ばかり考えてきた。ここでもそう。どうすればタク・チセンに認められるだろうとか、そういう事ばかり。ほんのお子様なんだ。それに比べてタク・チセンは一本筋が通っている。国家とか、もっと大きな事を考えている。ナティだって、国家なんてこと口にしなかったけど、世の中の不正に対していつも怒ってた。それに比べ、自分はどうだ? やっぱりおらは物乞いの子なんだ。人を楽しませる事ばかり考えてきた。こんな所にいるべきじゃない。早く退学を考えた方がいいんだ)

 マルは退学を心に決め、机に向かうとテセ・オクムにその決意を手紙に書いた。自分がこの学校にふさわしくない事やその理由、さらには自分の生い立ち、自分が国家や社会の事を考えるのではなく人に一時の楽しみを与える歌物語を語る事を生業とした家系に生まれたことなど。ここに有無を言わさず連れられてきた頃に比べたら、今ならもっとしっかりと自分の考えを書く事が出来る。

 やがて、二人の後輩が戻って来た。

「先輩!」

 二人はマルの方に駆け寄って言った。

「処分はどうなりましたか!?」

 マルは、自分が退学を決意した事を二人に言う事が出来ず、ただこう告げた。

「どうなるかは分からないよ。教官達が決める事だから」

 二人はマルの両側から挟んで次々言った。

「僕達、先輩達が辞めなくてもいいように教官に言います!」

「俺達、一番尊敬しているのがマレン先輩とシン先輩なんです!」

「ありがとう。でも決定が簡単に覆ることはないよ。ピッポニアの本を持っている事はとても重い罪だからね」

「でも、僕達成績がいいし、教官の信頼もあります! 俺達が頼めば教官も気持ちが変わると思います!」

 マルは微笑んだ。何という自信! 彼らのその屈託のなさ、前向きさをマルは好ましく思った。

「とりあえず私の事はいいから、その『教官からの絶大な信頼』を維持するために、これからも真面目にしっかり勉強することだよ」

 マルはそう言って後輩達を机につかせた。

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