第61話 罰を受ける 3

教務室の扉を開けると、中にいた六人の教官達がいっせいにマルとタク・チセンの方を見た。その厳しい視線に射すくめられそうになりつつ、マルはその中にテセ・オクムの姿があるのに気付き、ハッとした。

テセ・オクム。ヒサリ先生の知り合いで、おそらくマルをこの学校に入るよう手配した人だ。しかしその生徒がこんなとんでもない事をしでかして、後悔している事だろう。

テセはマルとタク・チセンを目にするや、いきなり口を切った。

「おや、タク・チセン君もかね? ピッポニアの本を所持していた不届き者の生徒は」

「いいえ。私はハン・マレンがピッポニアの本を持っていたというだけで処分を受ける事に納得がいかず反論を述べたまでのことです」

「全く困った奴らだ、お前らは」

 テセ・オクムはそう言った後、そこに居並ぶ教官達をぐるっと見回して言った。

「いやはや、どうする? 学年で特に成績のいい二人を退学処分にするかね?」

「たしかに二人の成績はいい。しかしこれは若気の至り、などという言葉ではすまされませんぞ。ピッポニアの本の所持を禁じる法律も既に施行されているわけですからな」

「しかもハン・マレンにはピッポニアの血が流れている!」

 教練のヒン先生が突如声を荒げた。

「ああ、それに関してだが、彼は全くピッポニアとは縁の無い環境で育った事は私が保証しよう。彼は幼い頃両親を亡くし、オモ・ヒサリという優秀な先生がしっかりと彼の面倒を見たからね」

 テセ・オクムは言った。マルはヒサリ先生の名前を耳にしたとたん、心臓がキューッとと絞られるような気がした。先生は元気だろうか? もう結婚はされたのか? あのハンサムな恋人と。ヒサリ先生からのそっけない手紙に対し返事を書かないでいると、やがて手紙も途絶えてしまった。出来る事なら今、ここでテセさんにヒサリ先生についてあれこれ尋ねたい。

「ピッポニア人の書いた書物を読み、彼らの思考を探る事の何が問題なのか、私には分かりません」

 タク・チセンは教官達の前で怯む事無く自分の主張を繰り返した。

「ええい! ピッポニアの本を読む者の中には、邪悪なピッポニアの文化に染まり、ピッポニアに傾倒し堕落する者がいるから問題なのだ!」

 ヒン先生が激しく靴音を立てた。

「そんなはずありません。我々は何のためにここでカサン帝国の精神を学んでいるのでしょうか。それとも、ピッポニア人の書いた本はたやすく我々を感化させる程優れているというのですか」

 マルは、六人もの大人を前に正々堂々と持論の述べるタク・チセンの姿に驚嘆し、思わずクラスメイトの横顔に見入った。その胆力と勇気には、ただただ感心するより他無い。教官達は、一瞬この大柄な生徒の力の籠った発言に気圧されたように押し黙った。

数秒の沈黙の後、口を開いたのはテセだった。

「ハン・マレン君、オモ先生は田舎で伸び伸び育った君がこの学校でうまくやれるか、随分案じておられた。しかし君は成績も良く素行も良い生徒だと聞き、その事をオモ先生に伝えたところ、安心しておられた。しかし君はここにきてとんでもない事をしてくれたものだ」

 テセの言葉の一つ一つが、マルの心の襞を震わせた。ヒサリ先生がおらの事を案じてた? 本当だろうか? あんなにそっけない態度でおらをここに送り出し、あんなに無味乾燥な手紙を送ってきたというのに。

「この度の件は残念だ。どうしてピッポニアの本なんか読もうと思ったのかね」

テセに続いて、カサン語のカク先生がマルの顔にいかつい顔を向けて言った。

「これは誰かに渡されたものではないのか。お前がこんな大それた事をするとは信じられんのだが」

 カク先生は声も大きく、出来の悪い生徒には容赦ない恐ろしい先生だが、マルにいつもカサン語で最高点を付けてくれる。

「君はアジェンナ人にもかかわらず、まじめにカサン語に取り組んでいる。私は正直、誰かがお前を陥れようとしてこんな本を持たせたのではないかと疑っている。誰かに渡されたなら正直に言いなさい」

 カク先生は、マルが免罪に価する回答をするのを期待している。マルの頭に、モク・イアンの顔が浮かんだ。確かにあの本を自分に渡したのは彼だが、彼自身がろくに読んでもいない本を熱心に読んだのは紛れもなく自分なのだ。その気になれば彼に突き返す事も出来たのだ。自分でしたことの責任は自分で取らなければならない。それに、タク・チセンが横にいると、自分までがいくらか勇気を分けてもらえている気がした。マルは教官の目をまっすぐ見返しながら答えた。

「いいえ。私が読みたいと思って、買いました。私は本狂いのような所があって、何でもかんでも、本の形をしたものなら読みたくなってしまうんです」

 「本狂い」という言葉を聞いて、カク先生は少し笑ったようにマルには見えた。

「オモ先生をこれ以上悲しませたくないだろう。こんな事は二度としてはいかん」

 テセの言葉がしんしんと身に沁みる。

「はい。もう決していたしません」

 マルは、自分の声が震えているのが分かった。恐怖ではない。もはや罰を受けるかどうか、退学になるかどうかなどどうでも良かった。久しぶりにヒサリ先生の名前を聞いて、胸がいっぱいだった。自分はヒサリ先生に対し、あまりに恩知らずな事をしてしまったのかもしれない。手紙に返事も書かないなんて……。

「先生、私にはどうしても納得がいかないのですが」

 タク・チセンがなおも食い下がった。

「お前の言いたい事は分かった。ただ他の者はみなお前程優秀な者ばかりではなく、簡単に悪の思想に染まってしまうという事だ」

 マルはカク先生の言葉を聞きつつ、先生たちもみんなタク・チセンの言う事が正しい事が本当は分かっているのだろうと思った。しかしここでは、正しい事をする事が許されないのだ。

「君達の処分については再び協議の上で報告する。とりあえずいったん寮に戻りなさい」

 マルは頭を下げ、教室を出た。

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