第59話 罰を受ける 1
タガタイ第一高等学校の寮では、週に二度、入浴の時間があった。
下級生達は上級生達が入った湯で、まるで芋を洗うがごとくギュウギュウになりながら素早く入浴を済ませ、最後に風呂掃除をしなくてはならない。
しかし学年が上がるにつれてきれいな湯にゆっくり浸かる事が出来るようになる。湯をはった浴槽に入るのはカサンの習慣である。マルがスンバ村にいた頃は、みんな樽にためた水を体にかけるのがせいぜいだったし、マルはそれすらもほとんどしなかったが、今ではこの入浴の時間が大好きだった。柔らかい湯に体を浸していると、幼い事ナティと川辺で水遊びをした頃の記憶が蘇ってくる。記憶は川辺の妖怪達の声まで連れて来て、マルの頭に様々な物語を描いてみせる。それはマルにとって、何とも心地の良い時間だった。
しかし、一人で空想に浸っていられる時間は短かった。エルメライやモク・イアンがたびたびマルの方に寄って来て話かけてくるからだ。
ある日、エルメライが浴槽の水を静かに波立たせながらマルのそばにやって来た。あんまりしげしげと自分の体を見詰めているので恥ずかしくなって俯いていると、相手はそっと、マルに囁くように言った。
「君も、随分たくましくなったもんだな」
「そうかなあ。おらはちっともそうは思わないよ。君とは比べ物にならない」
マルはエルメライがかつてカサン語大会で素晴らしい弓の腕前を見せた事を思い出していた。すぐそばに見る褐色の腕の筋肉は、くっきりと彫刻のように美しく盛り上がっている。今は弓術の腕もさらに磨きがかかっている事だろう。
「俺は幼い頃から体を鍛えてきたからな。しかし君も、ここの教練で鍛えられただけのことはあるよ。ここの教育は厳しいし嫌になる事も多いけれども、確実に俺達の血肉になってる」
「…………」
マルは、エルメライの言葉に対し首肯する気にはなれなかった。他の授業はまだ多少楽しめる所もあったが、教練だけはいまだにマルにとって「地獄」でしかなない。
(おらはひねくれ者なんだろうか)
マルは思った。
(スンバ村にいた頃は、素直な良い子だって言われてきたのに)
いつしか、モク・イアンまでもがマルのそばにいた。しかし彼をあまり良く思っていないらしいエルメライは、鋭い目でモク・イアンを睨みつけて言った。
「俺はハン・マレンとは同郷だから言っておく。彼に妙な事を吹き込むのはよしてくれ」
「おや、それを言うなら俺はこいつと同じピッポニアの血が流れてるぜ。ほら、こいつの体を見てみろ。以前に比べ白くなってると思わないか? ピッポニア人ってのは年とるごとに白くなって、最後には肌も髪も体毛も真っ白になって死ぬんだ」
マルはそれを聞いたとたんゾッとして思わずモク・イアンから顔をそむけた。
「怖い事を言うな! 彼はアマン人なんだ!」
モク・イアンとエルメライは、マルを挟んで互いににらみ合った。マルはいたたまれず、そのまま湯の中にずぶずぶ沈んでしまいたい気分だった。少し離れた所にいたシンが三人のやり取りに気が付いて鮫のような勢いでやって来たかと思うと、二人に向かってバシャっバシャッと湯を浴びせかけた。
「いい加減にしろ! みんなハン・マレンを自分の方に引き入れたがる。こいつは人気者だからな! だがこいつの体はこいつのもの。こいつの書いた詩はみんなのもの。それでいいだろ」
シンはマルの腕をに自分の腕を絡めた。
「さあ、行くぞ!」
すでに入浴は交替の時間が迫っていた。マルは急いで浴場の外に出て、服を着た。
寮の部屋に戻ると、二人の後輩が入口の外に立ち、緊張した面持ちで二人の先輩を出迎えた。
「先輩、まずいです!」
「どうした? お前ら!」
「さっき教官が部屋に来て、持ち物検査されたんです!」
「本当か!?」
シンは小さく声を上げた。マルは恐怖で声も上げられなかった。時折抜き打ちの持ち物検査があると聞いてはいた。その時に備え、シンは鳥娘まで呼んで、授業の間はピッポニアの本を預かってもらっていた。しかし、まさか入浴の時間を狙って部屋の検査をされるとは! 全く想像していない事だった。マルの体が震えた。後輩達の表情から、最悪の事態になったと感じた。シンはさっそく寝台の下を確かめている。
「チックショー、酒が全部持ってかれたぞ! お前ら! 俺がお前らにもちょっと飲ませた事は絶対喋るな! そっちの方が俺の罪が重くなるからな! 自分らは何も知らんと言い張れ。早く風呂行って来い!」
後輩達が入浴に行ってしまってから、マルは恐る恐る自分の机の引き出しを開けてみた。……やはり。モク・イアンから借りた本は無くなっている。マルはその場に立ち尽くしたまま、恐怖で身動き出来なかった。ピッポニアの本を読む事は、恐らく飲酒とは比べ物にならない程の重罪だろう。
(ヒサリ先生、どうしよう、助けて! おらは迂闊でした!)
マルはとっさに心に中でヒサリ先生の名を呼んでいた。しかしここにヒサリ先生はいないのだ。
廊下を叩くような足音が近づいて来たかと思うと、部屋の扉が大きく開かれた。そこには見た事の無い男が二人立っていた。
「タオ・シン、立て! 一緒に来い!」
シンは立ち上がりざまに、マルの方を見てニヤリと笑った。
「しばらく戻れねえと思うが、鳥娘に会ったらよろしく言っといてくれ」
マルは当然自分も連れて行かされるものだと思っていた。しかし、男達はシンだけをまるで犯罪者の如く両側から腕を抱えて引っ立てて行く。
(どういう事……?)
マルは三人の後ろ姿を見詰めつつ思った。
やがて、後輩達が戻って来た。呆然と立ち尽くしているマルの顔を見て、
「どうなりましたか!」
と聞いてきた。
「シンは連れて行かれた。多分謹慎処分になると思う」
「やっぱりお酒はまずいですよね! 俺も先輩に忠告したのに!」
「お酒はまだいいと思う。私はピッポニアの小説を持っていた」
「ピッポニアの小説……! で、でも、別に反政府的だとか革命的な内容ってわけじゃないでしょう?」
「ただの恋愛小説だよ。でもピッポニア人の書いた小説を読んでいることだけでも、反政府的な行為とみなされるみたいだ」
「マレン先輩は大丈夫ですよ……!」
「もしかしたら謹慎どころじゃなく、もっと大きな罰を受ける事になるかもしれない」
警察につかまるのではないか。そんな恐ろしい事さえ、マルの頭の中をよぎった。
「マレン先輩は絶対そんな本読んでない、誰かが勝手に机入れたんだって言いますから!」
「そんな。かばってくれなくていいよ。ただ、聞かれたら『自分達は何も知らない』と、本当の事だけ言ってくれたらいいから」
マルは後輩達に努めて冷静を装いながらも、今にも警察が部屋にやってきて自分を連れて行くのではないかという気がして、恐怖の余り倒れそうだった。しまいに、どうにでもなれ、という気分が込み上げてきた。
(そうだ、伝説の英雄エデオンは敵に捕らえられて牢獄に入れられた時、サソリに襲われ生きた蛇の鞭で殴られ、それでも耐えたんだ。勇気を出さなくちゃ)
物語の主人公の事を思い浮かべ、気分が少しばかり落ち着くと、マルはシンの事を思った。学生が飲酒するのはありふれた悪事である。飲酒で謹慎処分を受けた生徒の話はいろいろと聞いている。期間はだいたい七日程度という噂だが、反抗的なシンはもう少し時間がかかるかもしれない。そしてその間、誰にも会わせてもらえないらしい。恐らくシンにとってこの事が一番つらいであろう。そしてマルも、シンがしばらくいないという事がひどく心細かった。思えば、タガタイ第一高等学校でシンのいない夜を過ごすのは初めてだった。いつでも、シンが守ってくれていた。しかしこれからしばらくは一人で耐えなければならないのだ
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