第58話 タガタイの街 5
マルとシンは、来た道を引き返し、朝通りかかった本屋に立ち寄った。
本がたくさんあるのは図書館と同じだが、ここでは「雑誌」がたくさん並び、プロマイドと同様美男美女が表紙を飾っている。みな信じられない程美しく、みんなカサン人だった。
(ああ、もし自分がカサン人でこんなにハンサムだったら、世の中に悲しい事なんて何もないんだろうな……)
書店の奥の方には雑誌ではなくて固い表紙の本が並んでいた。マルは棚の間をじっくり見て歩いた。学校の図書館にも、読み切れない程の本が並んでいる。しかしここには、図書館でも見た事のないような本が並んでいた。マルは面白そうなタイトルの本を見つけては手に取って、中を開いて見た。
「やれやれ、おめえ、よくこんな字ばっかりに囲まれて気持ちよくなれるなあ! 俺は、ちょっくら射的場に行って来るぜ。射的場にゃ、たいがいいい女がいるからな。俺が戻るまでここで待ってな」
シンはそう言い残すとさっさと本屋を後にした。
マルは貪るように、次々本を手に取った。
(うわあ、読みたい本がたくさん! でも一冊かせいぜい二冊しか買えないなあ……)
マルは、一冊の本の背表紙に目を止めた瞬間、ハッとした。そこには本のタイトルと著者名が書いてある。著者名は明らかに、ピッポニア人のものだった。
(ピッポニア人の小説……!?)
マルは手に取って、パラパラとページをめくってみた。
(間違い無い……! ピッポニアの小説をカサン人が翻訳した本だ……!)
読んでみたい、と思った。モク・イアンに借りたピッポニアの本は本当に面白かった。まだまだ面白いピッポニアの本がきっとある。マルは本を手に、アジュ人の初老の男が座っている机の前に向かった。男はマルに差し出された本を見た瞬間、
「アッ」
と小さく声を上げた。
「これは、棚にあったのかね?」
「はい」
「これは売れないね」
「ええ!」
「この本は売れん。これは処分する」
「そんな! 捨てる位なら私に売って下さい!」
「いいや、ダメだ!」
男はそのまま本を机の下の木箱に放り込んだ。
「ここで買った事は絶対に人に言いません。なんなら読み終えたらすぐ捨てます! 約束しますから!」
おじさんはギロッとマルの顔を見上げて言った。
「あんたまさか、ピッポニアのスパイじゃないだろうね」
「違います! 違います!」
「まあ、タガタイ第一高等学校の生徒ならそんな事はあるまいと思うが。だがね、こんな本持ってたら罪に問われるよ。あんた特にピッポニア人みたいな顔してるから、気を付けねえとしょっぴかれるぞ」
マルは驚いた。ピッポニアの本を所持することがまさか「犯罪」だとは。確かにピッポニア帝国はかつてアジェンナ国を征服して過酷な支配を行った。しかしピッポニアの小説は素晴らしい。素晴らしい物は素晴らしいと認めるべきではないのか。先日、モク・イアンはマルが本を返す時に耳元でそっと囁いた。
「カサン帝国の教師は皆、表向きはピッポニアの悪口を言うよ。でも心の中ではピッポニアに憧れている。それが現実さ。ピッポニアの文化はそれだけ優れているからね」
かつてアジェンナを過酷に支配した旧宗主国のピッポニアの人々が、同時に美しく優雅な物をたくさん生み出している。それは一体どういう事なのか。この謎を解きたい。そのためにピッポニアの本を読む事がなぜいけないのか。そう思っても、教官達にそんな疑問をぶつける事も許されない。
(そんなに危険な事なら、もうモク・イアンからピッポニアの本は借りるべきではないのか……)
本屋を出たマルは、射的場から戻ったシンと一緒にオート三輪を拾った。マルはもうぐったりと疲れ果て、車の中で目を閉じるともうすぐにでも夢の中に落ちてしまいそうだった。今日一日、目に映るもの全てが刺激に満ちていた。時には外部の刺激を遮断しないと、自分の体が弾けてしまいそうだった。それでも今日マルが目にしたのは、町のほんの一部に過ぎないのだ。しかし隣のシンは、
「やれやれ、都会ってのは夜が面白いんだよ。門限さえなきゃもっと遅くまで遊んでられるのにな」
などと言っている。
「シンはすごいな。町は面白いけど、何だか疲れちゃったよ」
「なあに、お前も夜の通りにずらっと並んだ街灯だの夜の盛り場に集う女達を見れば、またたくさん詩が作れるってもんだぜ!」
「そうかなあ……」
マルはうつらうつらしつつ答えた。とりあえず夜の街を見るのは学校を卒業してからの話だ。今は夜を待たずに寮に戻らなければならない。
寮の部屋に戻ると、さっそくワック・リムとコイ・タイの
「先輩、おかえりなさーい!」
という、待ち構えていたような声に迎えられた。
「先輩! おみやげは無いんですか?」
さっそくワック・リムが尋ねる。マルはそんな事全く考えていなかったので慌てたが、シンは
「あるぜー!」
と言って袋に入ったお菓子を取り出し、バラバラッと寝台の上に広げた。マルは感心した。シンはいい加減に見えてこういう気遣いは抜かりない。
「これだけじゃねえ。もっといい物あるぜ。ほら!」
シンは映画館で買ったたくさんのプロマイドも広げて見せた。
「うわあ~!!」
二人の後輩達は歓声を上げて、次々プロマイドを手にし始めた。
「おおお、トン・キン! かわいいなあ!」
「メイ・ビンちゃん、抱きしめてえ~! テン・テンちゃんもある!」
「おいおい、お前ら発情期の猫みたいに騒ぐな! 見張りが来るぞ!」
シンの静止も聞かず、後輩達はしばらくプロマイドを手にはしゃいでいたが、やがてワック・リムがひょいっとマルの方に顔を向けて言った。
「マレン先輩は誰が好みなんですか?」
マルが顔を赤らめて黙っていると、シンがすかさず言った。
「マレンはアン・ウンス一択だ。浮気はナシ!」
「へえー、マレン先輩、クールビューティーが好きなんですかー! てっきりあの怪物退治をした力持ちの女の子みたいな子が好きなんだと思ってました!」
彼はマルの書いた物語について言っているのだ。マルは故郷スンバ村で共に学んだ少女シャールーンをモデルにした物語を書いて後輩達に渡した事がある。後輩の言葉を聞いて、マルの脳裏に、ふるさとの景色や故郷の懐かしい人々の姿が次々と浮かんだ。シャールーンに続いてナティ、テルミ、メメ、そしてヒサリ先生の姿も……。この瞬間、ハッとした。この時、ようやく気が付いた。なぜ自分があれほどアン・ウンスに心惹かれたのか。それはアン・ウンスの引き締まった体つきやしなやかな身のこなし、長いまっすぐな黒髪、切れ長の美しい瞳が、あの人を思わせるからだ……。
「映画を見てきれいだなと思って買ったけど、別に好きって程でもないよ。これは君たちにあげるよ」
マルは大切に懐に入れていたアン・ウンスのプロマイドを寝台の上に出した。
「ええー、いいんですかあー」
「うん。構わないよ」
アン・ウンスの写真は、自分が胸で抱きしめていたため、少し曲がっている。マルはそれを目にしたとたんますます恥ずかしさが込み上げてきた。いたたまれず立ち上がってその場を離れ、机の前に座った。目の前の本を開いたものの、視線は文字の上を滑って行くばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます