第51話 二つの心 4
マルはエルメライと毎日のように図書館で一緒勉強し、分からない所は教え合うようになった。エルメライが感情を抑制し、自分に必要以上に馴れ馴れしくしないようにしてくれていることが分かったし、ありがたいと思った。もし彼がシンの様な性格なら、人目もはばからずマルを抱きしめていたに違い無い。
次第にエルメライは、マルに対しこんな軽口をたたくようになった。
「お前の頭の中は一体どうなってる? でこぼこじゃないか。カサン語は完璧なのにどうして数学はこんなに出来ない?」
「おらの頭は舗装されてないでこぼこ道。君の頭は舗装されたきれいな道」
マルの口から自然にこんな言葉が出た。とたんにぐわっと頭を抱えて机に突っ伏した。
「おらにはどうして君が何でもかんでもに上手に出来るのか不思議でならないよ」
「俺にはお前の方が不思議だよ。どれ、どこでそんなに躓いてる? 教えてやろう」
マルが数学の課題で躓くたびに、エルメライが教えてくれた。何だか悪いなあ、と思ったけれども、エルメライは嬉々として教えてくれる。
「君の説明はすごくよく分かるなあ。先生になれるよ。君は本当にすごい! 勉強だけじゃなく教練だってよく出来るでしょ」
「まあね。俺は多分器用な人間だ。だがあのタク・チセンにはかなわない。あいつは化け物だよ。だけどタク・チセンにカサン語で勝つお前は一体何なんだ!?」
「カサン語だけだから。カサン語だけ勝ってもしょうがないよ。あああ、『カサン帝国の精神』で一番が取れたらなあ」
「勝つだの負けるだの、一番になりたいだの、ダビみたいな事言うなよ」
エルメライが不意に懐かしい名前を口にした。
「あいつ、ちょっとだけ俺達と同じ小学校に来ていたけれど、とにかく一番になろうと必死だったよ。今にして思えば、あいつの気持ちも分からんわけでもないがね。妖人の中からただ一人、橋を渡って平民達が行く学校に来てたわけだ。今の俺達と似たような立場さ。ただな、俺は一番になる事よりもっと大切な事があると思ってる。君には競争とか一番になるとか、そういう事はあまり似合わないよ」
マルはエルメライからこんな話を聞けて嬉しかった。今の彼は明らかに、かつての鼻持ちならない少年とは違う。
「うん……そうだね」
マルは答えながら思った。
(本当はおら、一番になりたいわけじゃない。ただ、タク・チセンに認められたいだけなんだ……。
「カサン帝国の精神」は、ほとんどの課題を作文で提出する。カサン語の授業で提出する作文はいつでも一番が取れるのに「カサン帝国の精神」で提出する作文では思うような評価が得られなかった。
(どうしてだろう? 『カサン帝国の精神』の方が、必死に教科書を読んで時間をかけて書いてるのに……)
エルメライにも読んでもらった。
「教科書と同じような事を書いてるからじゃないか?」
「でも、教科書と同じ事書かないと点が取れないよ」
「でもカサン語の授業では、もっと自由に書いて出してるんだろ? 君の個性的で独創的な作文が評価されてるんだと思うよ」
「『カサン帝国の精神』はそうはいかないよ。自分で勝手にってわけにはいかない。ねえ、君はどう書いてんの?」
マルが尋ねると、エルメライが自分の作文を見せてくれた。マルは一読して、彼の作文もそう独創性があるわけじゃない、と思った。
「たいして違いないじゃないかって思ってるだろ?」
「ううん、君の方がよくまとまってるよ」
「いいや、内容は別に君のと変わらないよ。ただ君は字が汚い」
「それを言われると……!」
手まで覆っていたイボイボが無くなったせいで、以前に比べて滑らかに字が書けるようになってはいるが、いまだにおせじにも字が上手とは言えない。
「それに、俺と君はアジェンナ人だ。いくら頑張ったって、カサン人より良い点数を先生が俺達にくれるはずが無い」
「そんな……! 結局、そういう事なの!? おら達がどんなに頑張っても、完璧なカサン帝国人にはなれないって事?」
「ま、そういうことだろうよ」
「そんなのおかしいよ!」
エルメライはマルの目をじっと見つめて言った。
「世の中はそう簡単に正義がまかり通る程単純じゃない、俺もその矛盾に乗っかって生きてきた。まっすぐに怒りをぶるけられるダビや君が時々うらやましくなる。君たちにはそうする権利があるのだから」
「……どういう事?」
「つまり君たちは、最も虐げられてきた者達だからだ」
「……そんな! そんな事、比べられる事じゃないよ! ダビもつらい思いをしたけど君もつらい思いをしたんだ。おらは……ぼーっとしてたからあんまりよく分かんない……だけど、誰だって怒りたい時は怒るべきなんだ……って、これは友達が言ってた事なんだけどね」
マルはナティの言葉を思い出しつつ言った。
「ありがとうよ。君は本当に心が大きい奴だ。俺は小さい時から、『川向こうに住む貧しい妖人達は気性が荒くて利己的で欲が深い』って聞いてきた。でもそれは嘘だな。完全に嘘。君を見て本当に、そう思う」
エルメライの瞳の億が、かすかに涙でにじんでいた。
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