第46話 トップ争い 7

カサン語では毎回トップ、他の教科もだんだん上位を取れるようになってきたマルだったが、教練に関してはビリからほんの少しでも浮上する事が出来なかった。

教練の時間は、毎度校庭を全員で走行する事から始まる。集団のお尻にやっとのことでくっついて走るマルに、ヒン先生から罵声が飛んだ。

「そこのチビ! 人より脚が短いなら人の二倍脚を動かさんか! だいたいお前はなんでそんなに小さいんだ!」

 あまりに無茶苦茶な事を言われて、マルは恐怖を通り越しておかしくなった。

走り終えてぜいぜいと肩で息継ぎをしているマルの耳に、まるで風の囁きのようなこんな声が耳に飛び込んで来た。

「ハン・マレンが小柄なのは無理もない。彼にはピッポニアの血が流れているから」

 マルはハッとして振り返った。その声の主は、モク・イアンという生徒であった。その声は、小さくともマルの心臓をわしずかみにし、ねじり上げるようだった。

「ピッポニアの血が流れている」

これは今、マルが最も触れられたくない事柄であった。カサン帝国の敵であるピッポニアの血を引く自分は、彼らに対する呼び名「白ねずみ」が示すような、小さな体とねずみを思わせる顔つきをしている。そして今、耳障りな事を口にしたモク・イアンという少年もまた、アジェンナ人だが、ピッポニアの血を引いている事は明白だった。彼の肌の色はマルより白かった。そばかすだらけの顔にはいつもずるそうな笑みが浮かんでいる。そして彼の髪の色はこの土地の者らしい黒ではなく、藁のような色だった。

マルが生まれた頃にはまだ、アジェンナ国じゅうに旧宗主国であるピッポニアの人々が多くいた。ピッポニア人の男の中には、同じピッポニア人の妻の他にアジェンナ人の妾を持ったり、中にはアジェンナの女性を性のはけ口にする者がいた。そうして生まれた「混血児」が、マルから上の世代にはかなりたくさんいた。彼らは周りからいくらかの侮蔑を込めて「白ねずみ」と呼ばれる。

しかしマルは、彼らは自分が同じ境遇だとは全く思わなかった。マルの母ちゃんは赤ん坊の時にピッポニア人の親に捨てられた。そして物乞いをしていたおじいちゃんとおばあちゃんに拾われ、アマン人同様に、アマン人として育てられたのだ。

(もし彼がおらのピッポニア人みたいな顔を見て親しみを感じたんなら、先生のいない所で話しかけてくれたらいいのに、なんでわざわざ周りに聞こえるように言うんだ!)

 教練が終わり、寮に戻る時にもモク・イアンはマルに馴れ馴れしく近付いてきた。

「君、どうやら随分おかんむりのようだね。

でも事実だろう? お前の父親はピッポニア人だろ? お前の顔を見りゃはっきり分かるよ」

「いいや。おらの父さんはピッポニア人じゃない。アジェンナ国のアマン人だ」

 マルは相手の顔をキッと見据えて言った。

(おらは嘘を言ってない。母ちゃんはピッポニアの血を引いていたけれども、父ちゃんはアマン人だ)

「おい、嘘をつくなよ、ハン・マレン!」

 するとシンがいきなり横から口を挟んだ。

「なあ、お前それ以上こいつをいじめるなよ。おれはこいつの顔はかわいいって思ってるぜ。でもこいつにはそれがコンプレックスなんだから、あんまり触れてやるな」

「俺はなぜハン・マレンがピッポニアの血にコンプレックスを持っていて隠そうとしているのかが分からないな」

「ピッポニアと聞いて嫌な思いをする先生もいるんだから。なにも先生に聞こえるような所でそんな事を言わなくてもって思ったんだ」

 マルは言った。

「君は誤解してるよ。君はなぜ毎月のように朝礼で表彰されるか知ってるか? それは君がピッポニアの血を引いてるからだよ」

 マルはあまりに意外な事を言われて、あっけにとられたままモク・イアンの顔を見返した。ピッポニアはカサンにとって敵国だ。そんな事はあり得ない。

「……いいか、カサン人ってのは、アジェンナ人の事を劣った野蛮な猿に近い人種だと思っている。そんな輩がよりにもよってカサン語でカサン人より上の成績を取るなんてさすがに彼らのプライドが許さない。そんな生徒は抹殺したい。お前が純粋なアジェンナ人なら、連中はお前にこれ以上勉強する機会を与えなかったはずだよ。しかし君にはピッポニアの血が流れている。だから良い成績を取る事が許されてるのさ」

「どうして!」

「カサン人にとってピッポニア人は確かに憎むべき敵だ。しかし一方で、ピッポニア人が優れた技術や文化や軍隊を持っている事を知っている。カサン人のピッポニア人への憎悪は憧れや羨望の裏返しだ。カサン人達は劣った植民地人のお前がカサン語のトップで全く面白くないが、お前の顔を見てこう自分に言い聞かせてるんだ。『そうだ。この生徒はピッポニアの血を引いている。だから賢いんだ』って。俺もそう思ってるよ」

「そりゃ随分トンチンカンな考えだぜ」

 シンが横やりを入れた。

「仮に百人ピッポニア人集めたところで、こいつみたいに詩や物語が書ける奴なんて一人もいねえよ。それに、こいつの頭の良さがピッポニアの血のせいだっていうんなら、なんでお前の成績はぱっとしないんだい? せいぜい俺と同じ位じゃねえか」

「がつがつ勉強するまでもないからさ。ここの教官達のやり方はばかげているよ。俺は故郷のマラータイで、ピッポニア人の父の館で教育を受けた。ピッポニア人はこんな野蛮なやり方はしない」

「君のお父さんはピッポニア人なのに、今もマラータイにいるの!?」

 マルは思わず尋ねた。カサン帝国の敵であるピッポニア人は、今、カサン帝国内に暮らすのは難しいはずだ。

「いるよ。父はカサン帝国に忠誠を誓い、臣民になった『特別ピッポニア人』さ。だから俺はこの学校に入学出来た」

「でも、ここの教育が嫌ならなぜここに来たの?」

「出世出来るからだよ」

 モク・イアンはあっさりと言った。

「あたり前だろ。お前は違うのか」

「こいつとお前を一緒にするな。言っとくがこいつも俺も出世なんてちっちぇぇ事は考えてねえぜ!」

 シンがついにマルとモク・イアンの間に割って入った。

「そう。おらは別に出世なんかしたくない。おらは無理やりここに連れて来さされたんだ。本当はおらは故郷の高等学校に通って先生の資格を取るつもりだった」

「へえ、お前って奴は変わってるな」

 モク・イアンはニヤニヤとマルの顔を見ながら言った。マルは、もう彼と話す事も無いと思いシンと並んで歩き出そうとしたその時、モク・イアンが再び背中の後ろから呼び止めた。

「おい、君は本が好きなんだろう? ピッポニアの小説は読んだことがあるかい?」

「まさか! ピッポニア語なんて読めないし」

「カサン語で読めるよ。翻訳がたくさん出ているからね」

 モク・イアンのその言葉は、それまで彼が発した数々の言葉以上にマルを驚かせた。カサンの敵であるピッポニアの小説をカサン人が翻訳していて、それが読めるというのか。

「もちろんここじゃ大っぴらに読めない。でも俺は何冊か持っている。今度貸してやろうか」

「おいおい、こいつに変な物よこすんじゃねえ。罰を受けるのはこいつだろ!」

 シンが口を挟んだ。しかしマルはじっとモク・イアンの瞳を見返した。その瞳は緑色だった。母ちゃんと同じ緑の目。しかし、盲目だった母ちゃんのそれとは違って、光を宿している。妖しい企みを秘めた光。

(カサン人が翻訳したピッポニアの本。そんな物が本当にあるのというの……? 一体どんな内容なんだろう……!?)

「おい! そこで立ち止まって話すんじゃない!」

 教官の声に、マル達はピタッと会話をやめ、寮に向かって足を速めた。

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