第41話 トップ争い 2

ある日、カサン語の時間、カク先生がいきなり黒板に「官服の下に青い下着を着る」と書いた。そして生徒の方に向き直り、いつものような恐ろし大声で

「この言葉の意味を知っている者!」

 と尋ねた。マルは知っていたが、挙手して答えるなどという出しゃばった真似など出来るはずもなく、黙っていた。すると先生は生徒を次々と指名し始めた。

「リン・チユン」

「分かりません」

「ジン・シエネ」

「分かりません」

「トイ・ユタ」

「分かりません」

 誰も答えられない。

「ええい、情けない!」

 先生はイライラと机を叩きながら言った。

「ハン・マレン、お前はどうだ!」

 マルはビクッと体を震わせたが、すぐに皆と同じように、

「分かりません」

 と答えた。

「お前らの頭はかかし以下だ! かかしの頭脳でこの神聖なカサン帝国が守れると思うか! 誰か分かる者はおらんのか!」

 その時、一つの手がスッと上がった。タク・チセンだった。

「やはりお前しか分からんか」

 カク先生の声のトーンがやや落ち着いた。

「私は知っています。けれどもハン・マレンも知っているはずです。彼は先日、この言葉が重要な場面で出て来る小説を読んでいましたから」

 マルはそれを聞いて椅子から飛び上がるかという程驚いた。それは数日前、図書館で読んでいた『忠臣ニレ』という本の事だ。その事にタク・チセンが気付いていたなんて! マルは興奮したが、教官の声を聞いて再び首を縮めた。

「ハン・マレン! 君は彼の言うように、知っているのに分からない、と言ったのか」

 マルは俯いたまま小声で言った。

「今、思い出しました。表面上服従しているふりをしていても、心の中では反抗している、という意味です」

「正解だが、今思い出したというのは本当か! 知っていて分からないと言ったなら、お前は授業を愚弄したことになるのだぞ!」

 マルは体を震わせながら、再び「今思い出しました」と言おうとした。しかし、とっさに口ごもった。タク・チセンは真実を知っている。もし自分が嘘をついたら、彼は自分をますます軽蔑するだろう。

「……知っていました」

「知っていたなら、なぜ分からないなどと言ったのか!」

 マルはうなだれた。今日こそカク先生に殴られる、と思った。その時だった。突如、シンが教室の張りつめた空気を破った。

「先生! あのー、ちょっといいですかー。なんで『官服の下に青い下着を着る』がそういう意味になるんですか?」

「青はキン王朝時代に南部シテ州の貧しい農民たちが身に着けていた色であり、彼らが引き起こしたシテの乱がキン王朝を最終的に滅ぼす事につながったからだ。そのため青は国家に対する反逆の色として知られている」

「でも、なんでシテの農民達は青い服着てたんです?」

「青はシテ州でよく取れていたケファという植物の花の色である。シテの農民達は、その花で服を染めていた。それ以上の事は自分で調べたまえ」

 カク先生はいくらかシンに対して苛立っているようだった。教官とシンのやり取りを聞きながら、マルは恥ずかしくてたまらなかった。

(また、シンに助けてもらった……)

 彼が先生の意識をマルから逸らすために唐突にこんな質問をしたのは明らかだった。

「ちょっと待って下さい」

 タク・チセンが突如手を上げ、当てられる前に勝手に喋り始めた。

「今、先生の言われた事は一般的に広く知られた事ですが、事実は若干異なります。シテ州というのはもともと非常に貧しく、人々に服を染めるという習慣はありませんでした。彼らが身に着けていた服とは、今日われわれが想像する服とは似ても似つかぬもので。おそらく、今のアジェンナの最も貧しい民が着ているようなものだったと思われます。シテ地区で最初に青い服を身に着け始めたのは山岳民族です。山岳民族と平野部の民との間には、深刻な分断がありました。彼らは民族も違います。山岳民族はもともとシテ州の平野部の民でしたが、大量に流入した多民族によって山地に追いやられました。彼らは山地の厳しい環境の中でも育つケファの栽培を覚えました。ケファは人々の神経に作用し快楽を与えます。彼らはケファの実を売り、莫大な富を得て、花で服を染めました。富を手にした山岳民族はやがて平野部の民を支配下に置き、中央の権力に抵抗するための武器を備えるようになりました。そして……」

 タク。チセンの言葉は早口で淀みが無かった。マルは彼の言葉を聞きながら、興奮しつつも圧倒されていた。

(なんてすごい知識の量だろう! きっと膨ものすごくたくさんの本を読んでるんだろうな!)

 マルは、タク・チセンの言葉を聞きながら、友人のカッシの事を思い出していた。カッシも山の民だ。そして今、タク・チセンが語ったケファというのは、カッシ達が栽培していた「魔法の実」に似たような物ではないか? しかしカク先生は、ついにタク・チセンの言葉を制止した。

「分かった。お前がよく勉強しているのは分かった。しかし今はシテ州の地理や歴史について学ぶ時間ではない。……カサン語の授業を続ける」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る