第38話 ヒサリの気がかり 4
ヒサリはロロとミヌーに挟まれ、いったん外に出ると建物の面に回った。
入り口では二人の芸人が太鼓を鳴らしつつ呼び声を上げており、客が絶え間なく中に入って行く。
ヒサリは中に入るとすぐ、小屋の客席の一角にカサン兵士が六人座っているのに気付いた。席につくと、ほどなく四人の楽師が現れ、賑やかな音楽を奏で始めた。その後のショーの内容は、ヒサリも故郷で見たことのあるお芝居と似たような、一続きの物語だった。しかしヒサリが知っているものよりもはるかに賑やかで、歌や踊りや動物達のショーまで組み込まれたごった煮そのものといった愉快なものだった。客席は常に笑いに包まれていた。芸人達のそれぞれの芸はなかなかのものだったが、ストーリーは実にたわいもないメロドラマだった。ヒサリはその筋書きに驚いた。それはヒサリの恋人、アムトらカサン文化部隊所属の作家が大量に書き散らしている、カサン人の男とアマン人の女のラブストーリーにそっくりだった。二人の仲を引き裂こうとするのが、憎むべき「白ねずみ」のピッポニア人だ。そしてそのピッポニア人は、白塗におちょぼ口という珍妙なメイクとヘンテコなピッポニア風民族衣装で現れて、キイキイと耳障りな声を上げ、観客の笑いと憎しみを煽っている。ヒサリがいくらか呆れて舞台に見入っていると、ロロがそっとヒサリの耳元に口を寄せて言った。
「この話はですね、カサンの映画のストーリーを拝借したもんなんです。映画ってものをこの間アロンガで初めて見たんですが、ありゃ素晴らしいもんですなあ」
「私もそんな気がしました」
ヒサリはそう言って、食い入るように舞台を見詰めた。
(こんな出し物をしてカサン文化部隊何か見返りを得ているのかしら。きっとそうだわ。この男、相当に抜け目が無い)
ヒサリは、隣に座るロロの事がどこか恐ろしいと感じた。そしてカサン人へのお追従のようなショーを喜び、その後でアマン人の若い女を抱くカサン人兵士らの事を思うと、吐き気を催してきた。そして芝居小屋の目立つ席に座に陣取っているカサン兵たちが、実に愚かに思えてきた。
「それで。シャールーンはいつ……」
「ええ、もうじき出て来るはずです。ああ、出た出た!」
「え!? どこに?」
舞台では、象に乗った少女が体をくねらせながら色っぽい歌を歌っている。しかし象の上の少女は明らかにシャールーンではない。
「ほら、ほら、あそこですよ」
ヒサリはじっと目を凝らした。よく見ると、象と思ったのは、本物の象ではなく、床に膝をついた姿勢で組み合った二人の人間であった。一人の子は尻に象の顔の作り物を付け、腰を大きく揺らして鼻を動かしている。もう一人は尻に尻尾を付け、これまた必死に腰を動かしている。
「あの象の顔を付けて鼻を動かしているのがシャールーンですよ」
「ええ!」
「あの子は愛想は無いが力だけはあるのが取り柄ですからなあ」
ヒサリは呆然として、象の格好で少女を背負ったかつての教え子を見詰めていた。
「あの子と後で話が出来ますか?」
「ええ、もうじき出番が終わりますからね」
象が引っ込むと、ヒサリはすぐに席を立って外に出た。もうこれ以上ショーを見る必要も無い、と思った。そしてロロに案内されて舞台裏に回った。しかしシャールーンの前にヒサリがたどり着くよりも先に、老婆の激しい罵声が耳に入って来た。
(本当に、どうしようもないクズだよ、お前は! かかしの方がまだマシだよ。このでくの坊!)
(あれはジャイばあさん!)
ジャイばあさんはシャールーンとミヌーを学校に連れて来た人だ。このジャイばあさんがどれ程意地悪でシャールーンにつらく当たっているかという事を、ヒサリはマルの作文から知っていた。ヒサリはシャールーンとジャイばあさんの姿を目にするなり、二人に駆け寄った。
「やめて下さい! そんな風にこの子をがみがみ叱らないで下さい!」
老婆は、サッと振り返り、皴の間に埋まった濁った眼でジロリとヒサリを睨んだ。
「ああ、先生」
ハアハアと息を弾ませながら、ジャイばあさんは言った。
「先生が何と言おうとあたしはこの子を叱るよ。この子はカサンの兵隊さんの相手をしようとしないんだからね。舞台の外で仕事しないんじゃ、舞台の上でしっかり働いてもらうしかないんだよ!」
ヒサリは老婆の荒い語気よりも、その隣に立つシャールーンの強いまなざしに気圧され、言葉を失った。以前に比べ、随分大人びている。彼女の目に宿る暗い光は、ヒサリに「それ以上言わないで」とけん制しているようであった。
(でも、ロロもジャイばあさんも、シャールーンに男の相手をする事を強要していない。この事だけは救いだわ)
ヒサリはシャールーンに、
「元気で。体に気を付けて」
と言った。それ以上、かける言葉が無かった。
ヒサリが向きを変えて帰ろうとした時、
「マル……」
シャールーンが呟くように言った。ヒサリはハッとして振り返った。ヒサリはかつて、彼女が学校で口をきくのを聞いた事が無かった。ずっと見かけないマルの事がよほど気になるのだろう。
「ああ、あなたはまだ知らなかったわね。彼はタガタイの高等学校に行ったの」
「タガタイ……」
シャールーンはそう呟いたまま、目を大きく見開いた。
「さあさあ、ぐずぐずするんじゃない! さっさと踊りの稽古に戻りな!」
シャールーンはジャイばあさんに腕をグイと引かれ、うなだれたまま去って行った。その様子見ながら、ミヌーは何がおかしいのかクスクス笑っている。ヒサリはそれ以上ミヌーと話す気になれず、
「元気でね」
と言って小屋を後にした。
帰る道を、ヒサリは虚ろな気持ちで馬に揺られていた。自分はずっと、カサン語や学問が彼女達を解放する事に役立つ事を願っていた。しかし現実はそうなってない、という事をまざまざと見せつけられたのだ。
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