第37話 ヒサリの気がかり 3

翌朝、ヒサリは馬にまたがり、ロロという興行主の見世物小屋に出かけた。

ヒサリは、マルがかつてそこに好んで出入りしていた事を知っていた。教え子が好きだった場所を、もっと早く見ておくべきだったと思った。

 ロロのテントは、かつて遠くから見た時は、竹を組み合わせた骨組みに布を掛けただけの簡素なものだった。しかし今、ヒサリの目に見えてきたのは、壁にショーの中身を伝える派手な絵が描かれた板張りの立派な建物だった。ヒサリはテントの近くまで来ると、毒々しい程の色彩に目を奪われ、しばし立ち尽くしたまま、その外観に見入っていた。

「あらあ、先生!」

 独特のくねりのある声がした。テントの入り口からミヌーが姿を現し、ヒサリの方にしなしなと腰を揺らしながら歩いて来る。学校に来ていた頃にはしていなかった厚化粧を施し、胸元の大きく開いた赤紫の服を着ている。ヒサリは、少し見ないうちにミヌーが無邪気で気紛れな少女から大人の女になった事に驚いた。

「元気にしている?」

「ええ、元気よ。先生、良かったら中に入ってお茶でも飲んで行って下さいな」

 そう言ってスルリとヒサリの腕に自分の腕を絡ませ、板張りの小屋の裏に招いた。

扉を開けて中に入ると、そこにはテーブルを挟むように長椅子が向い合せに二脚置かれている。アマン人は通常椅子に座らず床にござを敷いてくつろぐ。ヒサリが不思議に思いつつ部屋の中を見詰めていると、ミヌーは、

「先生、お座りになって」

 と言い、テーブルの上にお菓子と茶碗を並べ始めた。菓子も茶碗もここで手に入れようとしたらいくらか値の張るカサンのものだった。その手際の良さは、人をもてなす事に慣れた女のそれであった。ミヌーは、カサンの茶を口にしつつ怪訝な表情をするヒサリの顔を見返しつつ言った

「先生、ここにはね、カサン人の兵隊さんもよく来るのよ」

「まあ、そうなの?」

「ええ。それで、私カサン語が話せるから、いつもお相手してるんです。カサンの兵隊さんってすごく気前が良くて、チップをはずんでくださるし、これもカサンの兵隊さんにもらったんです」

 ミヌーは服の袖をまくり上げてキラキラした腕輪を見せた。

(これはきっと、性的なサービスに対する返礼に違い無いわ)

 そもそも、「踊り子」と呼ばれる娘たちが裏でそういう仕事をさせられている事は、ヒサリもなんとなく知っていた。しかし今、見たくなくて目をそらし続けていた現実をつきつけられ、動揺を抑えきれなかった。そう、神聖なカサン帝国の軍人が、現地の娘達を相手にそういう事をしているという現実を。しかしヒサリは、ミヌーのにこやかな表情を前に、返す言葉を失っていた。ヒサリはいくらか息苦しくなり、窓の外を見た。

「先生、暑いでしょう?」

ミヌーはヒサリを扇子で扇いだ。ここの人たちが使う椰子の葉ではなく、高級な紙で出来た扇子で。

「そんな事してもらわなくてもいいのよ。それよりシャールーンは?」

「あの子は舞台の稽古。せっかくカサン語を勉強したんだから、カサンの兵隊さんのお相手すればいいのに、あの子嫌だって言うもんだから。フフフフ」

 ヒサリはミヌーが肩を震わせて笑う様子を見つつ、しん、と心が冷えてくるのを感じた。

(こんな事、思ってもみなかった……私はこんな事のためにこの子にカサン語を教えたわけじゃないのに)

 この時、扉が開かれ、一人の男が部屋に入って来た。褐色の痩せた体に、白くなった短い白髪と髭。もう若くないくせに、その年齢に不釣り合いな程けばけばしい光沢を含んだ服を着ている。一目で、ヒサリは彼が興行主のロロであろう、と察した。

「これはこれは! よくいらっしゃいました! オモ・ヒサリ先生! オモ先生が素晴らしい先生だという事はマルからも聞いておりますし、ミヌーがペラペラ器用にカサンの兵隊さん達と話すのを聞いても分かりますよ!」

 ヒサりは苦笑した。ミヌーは勉強熱心な生徒ではなかった。カサン語の作文に関しては、まともに文章を書く事が出来ないまま学業を終えた。しかし人には得手不得手がある。この子はどうやらカサン軍兵士とのお喋りは上手らしい。もしかしたら間違いだらけのカサン語を喋る様が男達にとってかわいいと映るのかもしれない。

「随分立派な小屋ですね」

「ええ。カサンの兵隊さんがひいきにしてくださるもんですからね。売上も上々なもんで。この子なんて随分、カサンの兵隊さんから小遣いをもらって、まあ賢いもんですよ」

 ロロとその隣で艶然とした笑みを浮かべているミヌーを前に、ヒサリは困惑していた。自分は学校で随分、「カサン語精神」などと立派な事を口にしてきた。しかしミヌーやロロは、ここで日常的にカサン軍の男達の剥き出しの欲望を目の当たりにしてきている。正直なところ二人はカサン人に対しどう感じているだろう? 恭順の姿勢を見せつつ、心の底では軽蔑しているのではないか。

「シャールーンはどうしていますか?」

「ええ、元気にやっていますよ。ただあの子はせっかくカサン語を勉強したのにちっともカサンの兵隊さんの相手をしないんですよ。困ったもんです」

「あの子の嫌がる事はさせないで欲しいんです」

 ヒサリはここぞとばかり力強く言った。

「ええ、だからあれには力仕事ばかりさせてますよ。そっちの方がいいって言うんだから。女のくせに変わった奴です。……ああ、今からあの子の出る音楽劇が始まります。あの子の様子を見たら、たまげますよ。でもあの子がそれがいいって言うんですからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る