第22話 タガタイ第一高等学校 8 

その時、部屋の外からドシドシと廊下を走って近付いて来る足音が聞こえた。

「おっ、猪二匹が戻って来たぞ! さあ、立ってお出迎えだ。これがここのばかばかしいルールだ」

 マルがシンに促されて寝台から立ち上がると、間もなく扉が大きく開かれ、先程自分に向かって侮蔑的な言葉を投げつけた二人の先輩が入って来た。改めて見る二人は体が大きく、肩が張り、胸が厚く、いかにもカサン人らしいがっちりとした体形だった。先輩達は立ち止まり、ニヤニヤと笑いを浮かべながらマルと猿顔の少年を見詰めていた。マルは、視線によって全身に穴が空けられたように感じながらその場に立ち尽くしていた。

「全く、この部屋の新入りは二人とも土人とはな」

「黒猿に茶色いねずみか」

やがて二人の先輩は自分の寝台に近付き、まるで自分の小屋の匂いを嗅ぐ動物のように顔を近付けて調べ始めた。

「どうです? 俺のベッドメイク、完璧でしょう?」

 先輩たちは、ピッタリと敷石のようにシーツの敷かれた寝台を眺めまわしてた。しかし、文句の付けようが無いと思ったのだろう。次は机の前にやって来た。

「おい! 机の隅に埃が残ってるぞ!」

「はい、かしこまりました!」

 シンは先輩の轟くような声に怯える事も無く、ごく自然な様子で部屋の隅に行き、桶にためてあった水で雑巾を濡らして先輩たちの机を拭いた。マルにはただただ、先輩たちの荒々しい声を聞きつつ、震えが体から滲み出るのを感じていた。

(これはカサン社会にある『序列』というものなんだ……)

『序列』については、カサンの小説で何度も読んだ。カサンの社会には『序列』があるから、学校でも仕事の場でも、先輩は後輩をいくらでもいじめてこき使って良い事になっているらしい。マルはシンの手際の良い動きを見ながら、自分にはとてもこんな風には出来ない、と思った。シンは再びマルの横に戻ると、そっと耳打ちした。

「ここじゃな、下級生は上級生の奴隷だ。おまけにきゃつらはカサン人でこっちはアジェンナ人。カサン人はアジェンナ人を野蛮人だと馬鹿にしてる。隙あらば俺らをいじめようとしてやがる。ここで大事なのは要領だ。お前要領悪そうだからな。とりあえずお前は俺のやる事をそっくりそのまま真似てりゃいい」

 マルは声も出せぬまま、ただ頷いた。

その時、扉を叩く音がした。

「ハーイ!」

 シンは素早く扉に向かって開き、廊下の女性から籠を受け取った。

「ありがとう! マダムはいつもきれいだね。籠を抱えても最高だよ。今度は俺をその両腕に抱えてよ!」

 シンは女性にそう言うと、籠を受け取りながら唇を突き出して女性の顔に近付けた。恰幅のいいアジュ人女性は

「よしなさい」

と言うなりバタンと扉を閉めた。

シンは籠を部屋に持って入り、部屋の真ん中の机の上にドサッと置いた。マルが中を覗くと、中には自分が今着ているのと同じ服や下着が入っていた。シンは籠の中の服を素早く取り出した。

「洗濯に出して戻って来た服をたたむ。これを俺達下級生がやんなきゃならねえ」

「服をたたむってどうするの?」

 ずっとボロを着っぱなしだったので、服をたたむとはどうする事なのかよく分からなかった。

「はあ……!? お前、服を自分でたたんんだ事ねえのか!? お前、王子様か何かかよ!?」

 シンはそう言いながら、マルの目の前で「服をたたむ」をやって見せた。

「そんなに小さく折っちゃうの? そしたら着られないじゃない」

「これは替えだからだよ。寝台の下にしまっといて、今着ているのを脱いだ時に代わりにこれを着るのさ」

「どうして替えがいるの? 体は一つなのに」

「おいおい、お前……! 修行僧かよ! いいか、ここは清潔第一だ。服は毎週洗う。洗濯に出した時にもう一枚を着るんだよ。いいか、服に皺が寄っていても汚れていてもいけない。シーツはビシッと敷かなきゃいけない。これは後でコツを教える。まず服を一緒に畳んでみようぜ。ほら、ここをこうやって、こんな風に」

 マルは見よう見まねで服をたたんでみたが、まるでうまくいかなかった。マルの手はイボが無くなってもうまく動かないどころか、手にした服はツルツル滑ってまるでいう事を聞かない。

「全く……お前ときたら!」

 シンは呆れかえってマルの様子を見下ろした。

「貸してみ。こうするんだよ」

 シンが器用な手つきでまっすぐ服を折りたたむのを、マルは呆然と見つめていた。机についていた上級生達が、二人の珍妙なやり取りに気が付き、振り返って自分達の方を見ているのが分かった。二人ともニヤニヤしながら自分の方を見ている。マルはとっさに「いじめられる!」と思った。スンバ村でパンジャやエルメライやサンにされたみたいに。しかもこのカサン人の上級生達は、体ががっちりして大きい、確かに彼らはシンの言うように猪に見える。

シンがきれいにたたんだ服を先輩達と自分の寝台の下の引き出しにしまうと、得意げに上級生達に言った。

「どうです? 早いもんでしょう?」

「黙れ。お前はいちいち一言多い。土人は黙って仕事してろ!」

 マルは下を向いて唇を震わせた。あれほど憧れたカサン人が、こんなひどい事を言う人達だなんて、信じたくなかった。

シンに促されて寝台に腰を下ろした後も、不安と悲しさでいっぱいだった。イボの無くなった体は服を着ていても裸のようだ。それどころか、心の中の不安や恐れまで剥き出しになって風に晒されているようだ。シンはチラッと上級生達の方を見て、もう彼らが自分達の方を見ていない事を確認すると、マルに顔を寄せてこう言った。

「腹、減ってねえか? 俺、食う物持ってるぜ」

 マルは首を振った。

「お腹は空いてないけど、紙と鉛筆が欲しい」

 彼になら甘えられる、と思った。

「紙と鉛筆? あるぜ。それ、今俺が一番見たくねえもんだけど。どうするんだ?」

「妖怪達がいろいろお話してくれるのを書く。すると気持ちが落ち着くんだ。ここでも、姿は見えないけど妖怪の声が聞こえる。ていう事はこの部屋にもいるんだね」

「おいおい、おめえ、おっかねえ事言うな」

「おっかなくはないよ。ただここにいるのは随分陰気な妖怪みたいだ」

「おめえ、頭の方大丈夫か? ここに来て頭がおかしくなる奴はいるけど始めから頭おかしい奴は珍しいな」

「おかしいのかも。おら以外に誰も妖怪の話なんか聞こえないみたいだから」

 シンは

「ヒハッ」

と変な笑い声を立てた。

「あんな……俺も実は、ちょこっと妖怪の言葉分かるぜ」

「本当!?」

「女の妖怪限定だけどな」

「ああ、そう言えば、猿の精にカサン語習ったって言ってたよね」

「正確に言えば猿のキングの愛人にだよ。どんな生き物も……いや、妖怪でも頭がいいのは女。オス猿は『ウキーッ』とか『ウギャー』しか喋れねえからな……ほらよ!」

シンは机の上に神と鉛筆を出すと。マルに向かって突き出した。マルはシンから受け取ったそれを手にし、壁から聞こえて来る妖怪の湿った声を綴り始めた。

それは一人の少年の物語だ。川べりの道を歩いていると、突然力強い男達の腕に捉えられ、牢獄に送り込まれる。少年の名前はオムー。ああ、オムー! 兄さん! おらが兄さんの事を忘れかけていた罰として、壁の妖怪はおらにこんな話をするのだ、きっと! マルは、オムーの物語を書いてその罰を受ける事に没頭した。自分はこれまで、オムー兄さんの事を思う度に、どこか後ろめたい思いがしていたのだ。今、マルの手から溢れ出す言葉はオムーの物語であり自分の物語でもあった。さっきまであれほど喋っていたシンが、呆れたように黙りこくって自分を見ているのが分かった。

(シンはおらを気違いだと思っているかもしれない。でもそれでもいい。これがありのままのおらなんだもん。隠したって仕方ない)

マルは思った。

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