第21話 タガタイ第一高等学校 7

部屋に近付くうちに、マルは自然に猿顔の少年にしがみついていた。

部屋は真っ暗だった。二人の恐ろしい先輩はまだ戻っていない事が分かると、マルは安堵して少年から体を離した。少年は部屋に入ってすぐの所にある机の上のランプに明かりを灯すと、部屋の中に四つある寝台のうち手前の一つに腰かけ、

「おう、座れよ」

 と自分の座っている横を叩いた。マルは改めて相手の姿を見返した。顔は猿だが、北部のアジュ人らしい浅黒く艶やかな肌で、無駄な肉は無く引き締まっている。

「座れよ」

彼に再び促され、マルはその言葉に従った。

「お前、そんな情けねえ顔してねえで笑えよ! だって、お前超ラッキーな奴だぜ」

「どうして」

「俺と一緒の部屋だからさ!」

 マルは溜息をつきかけたが、すぐに彼が自分のために殴られたのを思い出した。

「本当に大丈夫? 痛くない?」

「見ろ! この肌の色と艶を、どっこもケガしてねえだろ? あんまり殴られてると、だんだんコツが掴めてくるんだよ。相手から受ける力をいかに軽くするかっていう」

「毎日殴られる? もう嫌! 嫌だよ! ここは何? 牢獄?」

「まあ落ち着けよ。確かに牢獄みてえな場所さ。だから俺とお前の協力が必要なのさ! 俺たちゃいわば、運命共同体ってわけよ! でもな、組む相手が高慢ちきなカサン人や気取ったアジュの貴族様じゃおめえだって嫌だろ? ほら、おめえも見ただろ? 髷を結った頭を油で固めてピラピラした服着た連中を。まあでもあいつらもみんな今じゃ俺らと同じ囚人服みてえな制服着て頭を丸められてるけどな」

 マルは相手の様子を改めてじっと見つめながら思った。もしかしたら彼は自分と同じ妖

人なのかもしれない。アジュ人とアマン人の違いはあっても。彼の喋るカサン語はマルが聞いた事のないようなものだったが、本で読んだ事はある。それは「ごろつき」と言われる人達の喋り方だ。マルはヒサリ先生から、決してそんな話し方をしてはいけないと教わってきた。けれども彼は平気で荒っぽい話し方をする。ナティのように先生の言う事を聞かない生徒だったのかもしれない。それから、彼の服の袖の下からは、浅黒い肌に彫られた入れ墨が見える。ナティの父ちゃんがやっぱり、全身に入れ墨を入れていたけれど、それは邪悪な妖怪から身を守るためだ。だとすれば、彼も妖怪ハンターかもしれない!

「お俺の名はタオ・シン」

「おら、ハン・マレン」

「よろしくな、ハン・マレン。俺はお前を見た瞬間、『こいつはラッキー』て思ったぜ。俺達、多分相性バッチリだ。運命の相手だって、ピピッときたぜ」

 マルは、ひ弱な自分の事をそんな風に言ってもらえた事は素直に嬉しかった。

少しばかり緊張がほぐれた所で、マルはさっきから一番気になっている事を口にした。

「ところで、君はどうして猿の面を被ってるの?」

「うむ」

 シンは少しもったいぶったように腕を組んで言った。

「これにはちょっとした訳があってな、俺はあんまり顔を人に晒したくねえんだ」

 マルは猿顔の横顔を見ながら思った。もしかしたら顔に傷があるんだろうか?

「でも、どうして猿のお面なの?」

「こりゃな、俺の森の義兄弟からもらったもんだ」

「森の義兄弟?」

「そう。それがつまり、猿の精だ。猿の精のボスと俺は、盃を交わした仲って訳さ」

 マルは驚いた。猿の精は狂暴で恐ろしい妖怪だ。その猿の精と杯を交わす人がいるなんて、聞いたことが無い。

「どうやってそんな事が出来たの? 猿の精は君を食べようとしなかったの?」

「うむ。普通はそうさ。話せばなげーけどな。俺のクソ親父はどーいう訳か、ガキの頃から俺を目の敵にしてよぉ、家にいられなくなっちまった。そんで家を飛び出して、森の中をウロウロしてた。だが森の中ってのはヤベエ連中がたくさんいるだろ?」

「うん、うん」

 マルは幼い頃、ヒサリ先生に怒られてヤケになって森に迷い込んだ事がある。あれは恐ろしい体験だった。森ワニに食われそうになったけれど、幸い自分には醜いイボがあったので、森ワニに吐き出されて命が助かった。

「物語じゃ、たいがい、敵と言ゃあ最初に小者が出て来て、一番恐ろしい奴は最後に出て来るだろう? ところが俺の前にしょっぱなに現れたのが猿の精のボスだったっつーわけよ。猿の精っていうのは言ってみりゃ森のキングだぜ。俺はこいつはチャンスだって思ったね。こいつ叩きのめしときゃ、他の森のヤバい奴らはみんな俺にひれ伏すって分かったからね」

「最初に会ったのが最強の相手で、そんな風に思えるなんて、なんか凄い……凄いよ!。それで、どうなったの?」

「取っ組み合う事一時間。ついに俺は奴を地面に組み伏せて首を絞めてやったよ。すると奴の赤い顔が紫になり、しまいにゃ青になって、参りましたと言いながらポロポロ涙を流したから手を放してやった」

「エエー!」

 マルは驚いた。猿の精のボスと取っ組み合いをして勝つなんて、そんな事があるのか。

「つまり俺は森の王である猿の精のボスに勝った。だから森じゅうの妖怪が俺の前に跪いたって訳さ」

「へえ……君ってすごい。本当にすごいんだね!」

「別にすごかねーよ。俺は喧嘩はそう簡単に負けねえしな。それに猿の精のボスってのが、案外腕っぷしが強くなかった。ただな、そいつは頭が良くてカサン語が喋れたんだよ。だから俺はそいつからカサン語を教わった。つまり俺のカサン語は猿の精仕込みって訳さ。それがまたお世辞にも上品とは言えねえカサン語で、おれもこんなでたらめなカサン語喋ってるってわけよ」

「へええ! 猿の精がカサン語喋るだなんてびっくりだな」

「猿の精の社会ってのは強い奴には絶対服従。そのルールが徹底している。ほら、カサン人ってのは偉そうにしてるだろ? だからカサン人には従わなくちゃ、カサン人の言葉は覚えなきゃって思ったんだろうよ。それが連中と俺らの違う所さ。だから俺は猿の精に徹底的に思い知らせてやったよ。俺が奴らより強いって事をな」

「へええ」

 マルはあっけにとられてぽかんと口を開いていた。物語でも、こんなに凄い話はめったにあるもんじゃない。

「猿の精のボスは恭しくこの面を俺にくれたぜ。これは優れものさ。なかなかのフィット感だし息苦しくもねえし蒸れる事もねえ」

「でも、こんな物付けてたらここの人達に怒られない?」

「怒られるもんか。だってそもそもカサン人達には俺らが全員猿に見えてんだから」

「ええ!」

「本当さ。アジェンナ国の土人はみんな猿みてえなもんで俺の事もちょっと猿顔が濃い奴だ、位にしか思ってねえ。ほら、俺達から見るとピッポニア人はみんなにネズミに見えるしカサン人はイノシンに見えるだろ? それと同じさ」

(カサン人がみんなイノシンだって!? まさか!)

 マルは思わず声を上げた。ヒサリ先生がイノシンに見えた事なんて一度も無い! しかし、ヒサリ先生の事を思い出した瞬間、マルの気持ちは沈んだ。

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