第20話 タガタイ第一高等学校 6

自分のいる場所がアジェンナ国の首都タガタイである事は分かっていたが、どうやらそこは中心地ではなく街のはずれであるらしい。マルの体は森の奥へ奥へと吸い込まれていく。

 森は故郷スンバ村の森よりも木がまばらに生えていた。どうやら人の手で樹木の植えられた森のようであった。そのため、あっという間に森の奥まで入り込む事が出来た。ここに来て初めて経験した「寒さ」が、次から次へと襲って来る。様々な妖怪のうめき声や泣き声も降りかかって来る。

「あーら、人間のおちびさん、ここはあんたの居場所じゃないわよ。とっととお帰り」

 姿は見えないが、女の妖怪の声が聞こえてきた。

「猿の精の王様に食べられても知らないわよ」

 マルは答えなかった。マルはかつて幼い時、ヒサリ先生に怒れれて自暴自棄になり、森の中に入り込んで森ワニに食われかけた事がある。あの時は体を醜いイボが覆い尽くしていたので、飲み込まれなかった。今なら本当に食べられてしまうだろう。

「いいんだ、それでも」

 マルはそう口走った。

「ヒサリ先生に裏切られたんだ。生きてたって何の意味も無い」

 銀色の月の光が、森の中に降り注いでいる。マルはそろりと腰を下ろし、一本の木に背中をもたれた。

その時だった。一匹の猿が、木の上からクルクルッとしなやかに二回転したかと思うと、月光で少し輝く地面にストンと降り立った。

(あれが猿の王なのか……)

 すらりとした身体。浅黒い肌。まるで人間のようだ。

(あいつがおらを食うのか? だけどどうやって?)

 マルは「さあ、食え」というように目を閉じ、猿の精がやって来るのを待った。喉に鋭い爪を立てられたり噛みつかれたりするものだと思っていたが、一向にその気配が無い。マルがそうっと目を開くと、マルのすぐ目の前に猿顔があった。マルはギョッとし、思わず体を震わせた。

(怖いものか。おらはもう死ぬ覚悟は出来ている)

 マルは相手の顔をじっと見返した。相手もマルの顔をじっと見つめているようだった。その時だった。相手の手がスッとマルの頬を撫でた。浅黒い、人間の手が。

「ハン・マレンだな。こんな夜更けに森の中をウロウロすんな。危ねえぞ。さ、戻ろうか」

 耳にしたのはカサン語の囁き声。マルはカッとなった。こいつは猿の精なんかじゃない。猿の面を被った人間じゃないか!

「嫌だ! 戻りたくない! あんな所に戻る位なら、おらはここで死ぬ!」

「駄々こねんなよ。さ、戻るぞ。急いで戻らねえと大目玉食らうぜ」

「放っといて。君には関係無いよ」

「関係あるさ。俺はお前が来るのを楽しみにしてたぜ」

「どうして!? おら、君の事全然知らないよ!」

「君は俺のルームメイトだ。考えてもみろ! これまで俺一人であのごつい先輩連中の守りしてたんだぞ」

 相手はマルの腕をつかんでグイと引いた。恐ろしい程の力だった。マルは魔法にかかったように立ち上がっていた。しかしその体い残っている意志の力を振り絞って、

「イヤだ!」

 と叫んで体をよじった。

「残念ながら抵抗は無駄だ。お前のそんなひょろひょろの力じゃね」

「放してくれなきゃ、おらのイボイボ病がうつるぞ!」

「イボイボ病……? ああー! 思い出した! お前、あの時の!」

 マルも思い出していた。彼はまさしく、ここにやって来た日にマルを見るなり、大勢の少年の中でただ一人立ち上がり、「見ろ!

 イボイボ病の子だ!」と叫んだ少年である事を。

「どうした? 何でイボイボが無くなっちまった!?」

「注射を打ったから。でもイボイボが完全に治ったかどうか分かんないよ。離してくれなきゃ、きっとうつる」

「うつろうが何だろうが俺はお前を離さねえ。なあ……それより、お前童貞だろ? いかにもそんな感じだもんなあ。せっかくイボイボも無くなったんだし、女も抱かねえうちにこんな所で死ぬこたぁねえ。お前聞いた事ねえか? 十二歳以上の男が童貞のまま死ぬと妖怪になるって話」

 マルは、抵抗は無駄だと分かるや否や、ずけずけと言っている相手にずけずけと言い返した。

「そんなの嘘だ! おらは妖怪の事はよく分かってる。それに君ってデリカシー無い人だね」

「デリカシー? あるぜ。ただ俺は男にそんなもんは使わん」

「おまけに君は変人みたい。どうして猿の面なんか付けてんの?」

「おや、分かるか?」

「そりゃ分かるよ!」

「おかしいなあここに来て俺が面付けてる事一度もバレたことねえんだけどな。みんなこれが俺の本当の顔だと思ってる。……おっと、門のとこに、疫病神がおりまっせ。お前、何があっても口きくなよ」

 門の前には、マルが逃げ出した時にはいなかった大柄な男が立っていて、マル達の姿を見るなりいきなり吠えた。

「お前ら! こんな時間に外出か? 許可証は?」

「ありません!」

 猿顔の少年は胸を張って答えた。

「何いいい!? ありませんだと!? 無断外出は禁止だ! ここの規則を知らんのか!

?」

「こいつ、俺のルームメイトなんすけど、今日来たばっかりなんっすよ。そんで食堂の場所が分からずにうっかり外に出ちゃったもんで、連れ戻して来たんです。まああなたもそうでかい声出しなさんな。興奮し過ぎは心臓にきますよ」

「貴様ぁ、ペラペラとよくも……!」

 男がいきなり猿顔の少年を耳をねじるように引っ張ったかと思うと地面に突き飛ばした。そして手にしていた鞭で無茶苦茶に少年の体を打ち始めた。

「ああ!」

 信じがたい出来事を目の当たりにしてマルは一瞬茫然としたが、次の瞬間慌てて鞭を持った腕につかみかかった。

「やめて下さい! 私が悪いんです!」

 しかし、マルはあっという間に地面に突き飛ばされていた。猿顔の少年がすぐさまマルに近付き、マルを抱え起こした。

「次に規則を破ったらたたじゃすまんぞ!」 

マルと少年は、互いに体を支え合うようにして校舎に向かった。

「お前、大丈夫か?」

「君こそ。あんなにぶたれて!」

「まあ、どうって事ねえ。いつもの事だ」

「いつもの事……」

マルの口からそれ以上の言葉が続かない

そこには恐怖だけではなく、あくまで飄々とした様子の彼に対する驚きがあった。

「ごめん。おらのせいでこんな事に」

「そんな顔すんなよ。どうってことねえ。ただ、逃げるのはやめにしてくれ。ここにいる限り、同級生のルームメイトは運命共同体だ。分かるだろ?」

 マルは黙って頷いた……というよりも、驚愕の余りかっくんと自然に頭が落ちていた、と言う方が正しいが。

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