第17話 タガタイ第一高等学校 3

翌朝、「ガン! ガン!」と扉を蹴る音と振動によって、マルは布団の下から跳ね起きた。

扉を開けると、昨日の女の人が食事を手に入って来た。そして机の上に、昨日と同じ様に、板に乗せられた食事を置いた。そしてマルの方に顔を向けて何か言った後、脇に挟んでいた物を差し出した。それはたくさんの紙を綴り合わせたものだった。マルは手に取ってパラパラとめくった。その紙は今まで見た事が無い程白く、目を射る程に輝いていた。マルが感激して

「ありがとう」

 と言うと、相手は浅黒い顔と対照的な真っ白な歯を覗かせてニッと笑った。

 女の人は、少々荒っぽいが親切な人だという事がだんだんマルには分かってきた。マルは女の人が来る度に、知っている限りのアジュ語を使って話をしようと試みた。

女の人は、自分の名前はニアダだ、と言った。年は恐らくヒサリ先生や自分のために料理や洗濯をしていたダヤンティと同じ位。ただしニアダはアジュ人なので色黒で背が高く、女性らしいしなやかなダヤンティに比べて男のように力強く歩き、てきぱきと動く。そして、マルの体のイボが消えるごとに、「どれどれ、見せてごらん」

 という風に腕を取り、

「ほうら、また一つ無くなった!」

 という様な事を嬉しそうに言うのだった。マル自身、イボが無くなる事はちっとも嬉しくなかったが、ニアダという女性に対してはだんだん気持ちが打ち解けてきた。

 ニアダはやがて、カサン語の本を持って来てくれた。マルは食事を終えると本を読んだり、もらった紙の綴りは「ノート」というものだろう、とマルは思った。家畜のように連れてこられたこの場所でこんな高級品を渡された事を不思議に思いつつも、頭に浮かぶ言葉を真っ白な紙に書きつけて過ごした。

しかしその間も、こんな思いが何度も去来した。ヒサリ先生は、今何をしているんだろう? おらの事が心配じゃないのか。それから数日前に目にしたあの不思議な少年達は……?

 マルはやがて、あの少年達がアジュ族の非常に身分の高い方々ではないか、と思うようになった。というのも少年達は、話に聞く貴族様や士族様のような服を身に着け、髷を結っていたから。

「という事は、おらはあの方達のために歌物語をするんだろうか? でもなんで遠くの村に住んでいるおらがわざわざここに? それにおらはアジュ語では歌えないのに……)

 七日もすると、全身のイボはほとんど消えて無くなっていた。ニアダは地下室に閉じ込められて以来初めて、マルの腕を取って地上に連れ出してくれた。久しぶりに浴びる光の下で、マルは呆然としていた。そこにはスンバ村で慣れ親しんだ川も森も見えない。柵に囲われた中庭には、スンバ村で見るより薄い光が土の上に降り注いでいる。そして、今まで鎧のように自分を守ってくれていたイボはもう無い。その事に、マルはまるで身ぐるみ剥がされたような不安を覚えた。

しばらくすると、ニアダは椅子を持って来てマルを座らせ、まるで悪魔の鎌のような大きな鋏でマルの髪を刈り始めた。ニアダは鼻歌を歌っていたけれど、マルはただただ恐ろしかった。

(そうだ。これは牢獄に入る前の儀式なんだ)

 カサンの小説では、囚人はみんなこんな風に髪の毛を刈られるのだ。髪の毛がすっかりなくなると、今度は着ているボロまで脱がされた。本当に身に着けていたもののすべてが無くなってしまったのだ。マルは悲しいのと恥ずかしいのとで、少女のように両腕で体の前を覆った。ニアダはマルをそのままレンガ造りの小屋の中に連れて行った。そこには小さなボートのようなものが一つあり、そこには水がたっぷりためられている。ニアダに促されてその中に入ったとたん、固い布とツルツルした石で全身をきつく擦られた。水はたちまち雨季の川の水のように濁った色に変わった。ニアダは水を抜き、新たな水を汲み入れ、再びマルの体を擦り始めた。ニアダのその様子は、まるで大きな魚を手に入れて料理するダヤンティのようだった。

(お、おら、まさか切り刻まれた料理にされちゃうの!? まさか……まさか! この人は親切な人だ……親切な人だ……)

恐怖の余り、自分がなぜこんな事をさせられるのか尋ねる事も出来ない。

濡れた体が布で拭われた後、用意されていたのは今まで身に着けていたぼろではなくカサン式の服だった。あれほど憧れたカサン式の服だというのに、ニアダに着せてもらっている間、マルは情けない気分でいっぱいだった。カサン人の少年用に仕立てられたらしい服はマルには大き過ぎ、裾や袖は折り返さなければならなかった。着付け終わったマルの全身をサッと見回したニアダは、

「ハッハッハ」

 と体を揺すり、大声で笑った。そしてマルの腕を取って再び建物の中に入った。

 マルが連れて行かれたのは、今までいた地下室とは別の部屋だった。

「さあ、見て」

 ニアダはその様な事を言って指さした先には、一人の少年が立っていた。小柄で痩せたその少年は、不安を湛えた目をいっぱいに見開いて自分の方を見ている。

(おらみたいな子がいる!)

 マルが話しかけようとした瞬間、気が付いた。その少年は自分自身なのだ。目の前にあるのは「鏡」であった。このような全身を映す磨かれた鏡というものを、マルは今まで見たことが無かった。すぐ横で、ニアダが可笑しそうに何か喋っている。しかしマルは自分の姿を見詰めたまま呆然としていた。ピカピカの鏡に映った自分の姿は惨めだった。身に着けたばかりのカサン式の服は全く似合っていなかった。それもそのはず、カサン人は一般的に肉厚でがっちりした体形だが、鏡に映った姿はあまりに小さく痩せていた。あれだけ頭をカサン語でいっぱいにしてきたというのに。イボで覆われて自分の本当の顔が分からないのを良いことに、自分がカサン人のような顔だという空想に浸って楽しんでいた。しかし、目の前の鏡に映った顔に、カサン人的な所は何一つ無い。アマン人らしい顔でもなかった。肌の色は褐色と言えたが、スンバ村の友人たちよりも薄く、そのためいかにもひ弱に見えた。そして小ぶりな鼻や口、尖った顎、耳といった、ピッポニアの「白ねずみ」の顔の特徴が、髪を刈られたため余計に目立って見えた。丸い黒い目はアマン人的と言えたが、その目はこぼれそうな涙で膨らんでいた。マルは愕然とした。それ以上自分の姿を見る事に耐えられず、目を閉じた。

その後、ニアダが運んで来てくれた食事に手を付ける気にもなれず、いまだ自分のものと思えないイボの無くなった手をぼんやりと見詰めていた

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