第15話 タガタイ第一高等学校 1

 マルは箱の中に死体のように横たわったまま、骨にまで響く振動だけを感じていた。

訳の分からないままにこんな所に放り込まれ、タガタイに連れて行かされようとしている。(ヒサリ先生助けて!) と心の中で叫んだらヒサリ先生が本当に来てくれた。しかし次の瞬間、絶望に突き落とされた。ヒサリ先生は助けてくれるどころか、「タガタイに行きなさい、頑張りなさい」と言ったのだ。マルには信じられなかった。力の限りヒサリ先生の名前を呼び続けたが、ついに力尽きた。

マルは箱の中に体を横たえたまま、ぼんやりと考えた。自分はタガタイへ連れて行かれるんだ。どうして? どうして? 

マルはかつて、ニジャイから聞いたオムー兄ちゃんに関するある嫌な噂を思い出していた。

「お前の兄ちゃんはな、オモ先生に牢屋の送られたんだぞ」

 マルはもちろんそんな事は信じていなかったし、そんな事を言うニジャイに腹を立てていた。

しかし、マルはぼんやり感じていた。兄ちゃんは自分の意志でどこかに行ったんじゃない、誰かに連れ去られたんじゃないか、と。ヒサリ先生は、兄ちゃんが職業訓練学校に行ったと言っていたけれど、長いこと一度も戻らず便りもよこさないのはさすがにおかしい。ヒサリ先生は何かを隠しているんじゃないか? しかしマルは、あえて問い質そうとはしなかった。そして今、オムー兄ちゃんから目を逸らし続けたバチが当たったのだ。

 不意に、馬車が止まった。かと思うと箱の扉が開かれ、ザバッと藁が投げ込まれた。

「ほらよ。それから食べ物と水だ」

 御者の言葉はアジュ語だったが、そう言ったのはなんとなく分かった。再び箱の扉が閉じられ、馬車が動き出した。マルは藁の中に体を横たえた。

少し、落ち着きを取り戻した。そのとたん、悲しみが激しく押し寄せてきた。ヒサリ先生はマルに「頑張りなさい」と言ったから、この先行く場所で殺されることはないのだろう。でもおらは嫌だ。行きたくない。それなのにどうして助けてくれなかったんだろう? マルは箱の窓から差し込む光を見つめながら考えた。きっとヒサリ先生は、おらを助けたかったけど、どうする事も出来なかったんだ。ヒサリ先生よりも力のある人が決めたんだ。おらがカサン語大会で、言っちゃいけない事を言ったから? でもおらはイボだらけだ。おらを見たらタガタイの牢屋の人も嫌がっておらを逃がしてくれるんじゃないか? ああ! でもおらはイボイボ病を治す注射を打ってしまった! そして実際に、右手と左手のイボが一つずつ取れた後、その後から新しいイボが生えてくる気配が無い。ああ、イボが無くなる! もうじき無くなる! どうしてあんな注射を打ってしまったんだろう! イボが無くならないうちにタガタイに着けるだろうか? 

 マルは、ヒサリ先生にもどうする事も出来ない以上、自分の力でスンバ村に戻らなくては、と思った。

(兄ちゃんは丈夫な腕や脚を持っていたけれども、おらのぶきっちょな手や脚では橋もダムも作れない。おらを捕まえたって何の役にも立たないって、しっかり言うんだ)

 マルはこう自分に言い聞かせた。そして差し入れられた食べ物を少しずつ口にした。

 それから、どれほど時間がたっただろう。箱に取り付けられた窓によって、今が夜か昼かは分かった。しかし外の景色を見るためには伸び上がらなければならず、マルは床に体を横たえたまま、ほとんどの時間窓から見える空ばかりを見ていた。

 夜になり、まんまるな月が見えた時、マルの目からこらえていた涙があふれ出した。

「オモ・ヒサリは嘘つき! オモ・ヒサリは嘘つき! オモ・ヒサリは嘘つき!」

 突如、床から染み出すように、こんな声が聞こえてきた。マルはギョッとした。

「オモ・ヒサリは隠し事をしている! 悪い事を企んでいる!」

(影おばけだ!)

 影おばけは人の影に取りつき、影の主が思ってもない事をべらべら喋り出す妖怪だ。

「あっちへ行け! あっちへ行け! コラ! コラ!」

 マルが足でガンガン床を叩いた。せめてスヴァリがいれば気を紛らわす事が出来たはずだ。しかしスヴァリは置いてきてしまった。影おばけの声はマルが耳をふさいでも聞こえてきた。マルはゴロゴロと箱の中でのたうち回っていた。差し入れられた食べ物も、少し口にしただけで、ほとんど残してしまった。

箱から一度も出してもらえず、小便は箱の隅の穴から落とした。長い時間、箱の中で揺られているうちに、マルはすっかり弱り、ついにぐったりと箱の床に転がったまま動けなくなっていた。


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