第11話 別れ 11
食事を食べ終えると、マルはラドゥと並んで小屋を出た。橋を渡った所でマルはラドゥと別れた。ラドゥは森へ。そしてマルは川べりを歩いて行く。これから昨日約束したナティに会いに行くのだ。心が軽くなったせいか、自然に歌が口から流れ出した。それはアマン語の歌だった。
「宝石の 朝露乗せた 木の葉揺れ 宮殿の廊下の川辺 一人行く 友に送られ 友の待つ道」
その時だった。背中のスヴァリがいきなり泣き出した。
「どうしたんだい? おら、君の嫌いなカサン語の歌じゃなくアマン語の歌を歌っているんだよ」
「もうじきあんたとはお別れになっちゃう! あたしには分かるの!」
「おらがアロンガの学校に行くかもしれないから? 大丈夫。おらはしょっちゅう戻って来るよ。そうだ、スヴァリもアロンガに連れて行くよ」
「そうじゃない! あんたはもっと遠くへ行っちゃう! あたしのついて行けない所へ! そしてしばらく戻って来ない!」
「そんな事ないって」
マルはスヴァリを撫でた。スヴァリが突拍子も無く妙な事を言い出すのはいつもの事だった。手を後ろに回し、スヴァリをしばらくさすってなだめていると、やがてスヴァリはピタリと口を閉ざし、何も言わなくなった。
マルがほっと安堵し、顔を上げた時、橋の上に立ってじっと自分を見ている男に気が付いた。マルの知らない男だった。背が高く、色が黒く、身なりが良い。おそらくアジェンナ北部から来たアジュ人だ。しばらくたってもマルから視線を離さない。マルは驚いた。赤の他人がイボイボで醜い自分のことを凝視するなんてめったに無い。さらに、川向うの橋のたもとに馬車が停めてある。しかしそれは普通の馬車とは違い、荷台ではなく箱のようなものが付いている。
そしてその馬車の影から、ビンキャットが姿を現した。この瞬間、マルはブルッと体を震わせた。幼い頃からマルはニジャイの父親のビンキャットが恐ろしかった。その姿を見る度に自然に体が震えてくるのだった。「怪しい人」を手当たり次第つかまえてどこかに連れて行くのがこのビンキャットだった。時には悲し気な声を上げたり抵抗したりしながらビンキャットに連れられて行く人を見る度に、彼らが何をしたにせよ、「かわいそう」という気がしてならなかった。そしていつの日か、自分がその「かわいそう」な人の立場になるような気がして仕方がなかった。ビンキャットは橋の上の男の傍に立ち、マルの方を指さし、何か言っている。恐怖はいよいよ本物になった。立ち上がり、逃げようとしたが体が動かない。たとえ逃げたところで、自分の足ではたちまち追いつかれてしまうだろう。やがて、ビンキャットがマルを手招きした。
(おらを呼んでる! でも怖がる事無いんだ。おら、なんにも悪い事してないんだから)
逃げる事は出来ない、と思ったマルは、心を決め、二人に向かって歩いて行った。マルが二人の前に立つと、ビンキャットはだしぬけに、
「あの箱の中に乗れ」
と言った。
「え!?」
「早く乗れ。これはカサン人の命令だ。カサン人の命令は絶対だから、つべこべ言わずさっさと従え」
「どうして? どこに行くの?」
「そんな事は知らん。とにかく命令だから乗れ」
マルはもう一人のアジュ人の男の方を見た。
「お前をタガタイ第一高等学校まで送るように指令を受けている」
男はカサン語で答えた。
(タガタイ!)
マルは、一瞬自分の耳を疑った。タガタイ。アジェンナ国の首都。気が遠くなる程遠い場所だ。なぜ自分がそんな所へ? 死んだ兄さんみたいに「ダム」を作りに行かされるんだろうか? 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
「ヒサリ……オモ先生に話をさせて!」
マルはビンキャットに向かって手を合わせた。
「ダメだ! すぐに乗れ!」
マルは逃げ出そうとした。しかし足がもつれて動かない。いきなり首に縄がかけられ、グイと引かれた。
(ああ、おらは家畜のように連れて行かれるんだ!)
箱の中に引っ張り込まれ、ギイッと悲鳴のような音を立てて扉は閉じられた。ジャラジャラという鎖の音とカチッという金属音。鍵がかけられたのだ。程なく、箱はガタガタと揺れ出した。その振動を骨に感じつつ、マルは自分の体を起こすことも出来なかった。扉の上には鉄柵のはまった小さな窓があり、そこから雲や木々の枝が箱の動きと共に次々過ぎて行くのが見えた。
(ヒサリ先生! 助けて! ヒサリ先生!)
マルは、幼い頃自分が森の中に入って行って妖怪森ワニに食べられそうになった事を思い出した。あの時、マルは真っ先にヒサリ先生の名を呼んだ。すると森ワニは自分を吐き出した。しかし今は、森ワニよりももっと恐ろしい何かにとらわれている……! マルはそんな恐怖に襲われ、体の芯から慄いた。
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