安曇園

増田朋美

安曇園

少しずつ暖かくなって、春が近づいてきたなとわかる今日このごろである。寒い日もあるけれど、暖かい日を楽しみに、皆元気よく生活しているのであった。ただ、寒いなか、また違う意味で生活が大変な人もいるということもあるのであるが。

さて、そんなある日。杉ちゃんは、水穂さんにご飯を食べさせようと、奮戦力投していた。まさにその時。

「おーい、ちょっと失礼します。この中で、松井英子という女性がいるだろ。すぐに出してくれ。事情聴取するから。」

と、でかい声で言いながら、華岡が入ってきた。杉ちゃんも水穂さんも顔を見合わせた。華岡は、すぐに、四畳半にやってきた。

「確かに、松井さんなら、ここで利用しているけどさ。」

と、杉ちゃんは言った。

「いきなり、入ってきて、事情聴取すると言うなんて、ありえませんよ。事件がおきて、利用者さんに協力を求めるのであれば、理事長さんの許可をもらってからにしてください。」

水穂さんが、布団に寝たままそう言うと、

「あ、ああ、すまんすまん。まあとにかくさ、松井英子を早く出してくれよ。今、安曇園の全職員を調査しているんだよ。」

華岡は、申し訳無さそうに言った。

「残念ながら、彼女は買い物に出かけていきました。それに、彼女は確かに、安曇園で働いていた事はありましたが、彼女は、三ヶ月前に、安曇園をやめております。それでも、事情聴取するんでしたら、事件の概要をまず話してください。」

「そうだねえ。」

華岡は、水穂さんに言われて、一度頭をかじって、こう言い始めた。

「実は、昨日、安曇園と言う、障害者施設で、利用者の女性が殺害されたんだ。被害者の名前は、杉田美和。施設のベランダから転落したことが死因になっているが、転落した施設の窓が、小さすぎることもあり、自ら身を投げたのは、考えにくいので、俺たちは、他殺と見ているんだ。それで、杉田美和が、長らく安曇園を利用していたことで、俺たちは、安曇園の職員を中心に調べているんだよ。」

「はあ、わかったよ。その杉田美和という人が、殺害された話はいいから、なんで英子さんが、取調べされなければならないのか、それを話してください。」

杉ちゃんが話に割って入った。

「いやあ。そのね、松井英子さんが、発達障害と言うか、HSPというか、そういう物を持っていたようなので、それでなにか知っているかと思って、こさせてもらったんだよ。」

華岡は正直に答えた。

「まあ、そうだけど、そういうものがあったからと言って、いきなり事情聴取というのは困るぞ。少々強引すぎるんじゃないの?ちょっとさ、もうちょっと慎重に事件を調べるべきじゃないのか?それに、HSPとか、そういう物を持っているやつから、話を聞き出すには、そういう強引なやり方をすると、証言は得られないと思うよ。」

杉ちゃんは、呆れた顔をして華岡に言った。

「そうですよ。そういう強引なやり方で、彼女に近づいたら、彼女は怖がりますよ。確かに、事件を早く解決させたい気持ちはわかりますが、それは、警察なんですから、そこは我慢しなきゃ。」

水穂さんに言われて、華岡は、はい、といった。

「でも、なんとかして、彼女から、話を聞きたいんだ。一応、安曇園で働いていたことがあったわけだからな。一応、あの施設の事は、テレビのニュースでも、知っていると思うけどさあ。」

華岡の言うとおりだった。安曇園は、有名な障害者施設ではあるのだが、同時に、虐待施設としても有名である。なんでも、職員が、作業を怠けている障害者を叩いたりすることは当たり前であるらしい。でも、利用者の親御さんたちは、そうしてくれる施設を、ありがたい施設だと思ってしまうようなのだ。どうせ、自分たちの話を聞いてくれない精神障害のある人達を、そういう手段を使ってでも、動かすことができるのは、とても助かると思ってしまうらしい。なのでインターネットの口コミでは評価は高いが、利用者にとっては、とても傷つくことでもあるだろう。

「確かに、その施設は、少々行き過ぎであるとは、思いますが、そうはいっても、松井英子さんが、殺人を犯したことにはならないと思います。それを調べるのであれば、もう少し、話を聞いて、こちらにいらしてください。」

水穂さんがそう言うと同時に、只今戻りましたと言って、その女性、松井英子さんが入ってきた。

「ただいま戻りました。杉ちゃん約束通り、買ってきましたよ。お米は、キヌヒカリでいいんですよね?」

そう言いながら、松井英子さんは、四畳半へ入ってきた。10キロ入りのお米の袋を持っている。確かに、彼女は、太っているから、力持ちなのだ。それに、お米の銘柄にこだわるのは、やはり彼女の特性なのだろう。

「はいよ。ありがとうね。これで、お米は当分大丈夫だ。それでは、お昼のご飯は食べられる。」

杉ちゃんは、いつもと変わらず言ったが、華岡は、ちょうどやってきた英子さんに、

「あの、松井英子さんだね。ちょっと、教えてもらいたいんですが。あの、三ヶ月前に、安曇園で働いていましたね。その時の様子を教えてもらいたいんです。利用者の、杉田美和という人が、殺害されたというのは、ご存知ですね。」

と、華岡はすぐに刑事らしく、そういったのであった。英子さんは、華岡を見て、ああ、やっぱり来たなという顔をした。水穂さんがヨロリと布団の上に起き上がり、

「無理しなくていいですよ。あなたには、黙秘権もありますから。」

と、彼女に言ったが、

「ご、ごめんなさい。私は何も知りません。あたしは、確かに、安曇園ではたらいていたことはあるけれど、あたしが安曇園で働いていたのは、一ヶ月しかいなかったので。」

と、英子さんは言った。

「それでは、なにか、杉田美和と関わりがあったとか、そういうことではなかったのですか?」

と、華岡が言うと、

「はい。私は、安曇園で働いていたのは、一ヶ月だけで、すぐに、退職してしまいましたので、杉田さんとは、関わりはありませんでした。杉田さんは確かに、やりにくい人と言われておりましたが、私は、さほど彼女と関わりは持ったことはないですし。」

と、英子さんは答えるのである。

「うーん、それでは、俺たちが、思っている、犯人になりそうな、人物がみんな消えてしまったことになるな。」

と華岡は腕組みをした。

「あの施設の利用者の家族を調べたが、みんな、精神疾患者を扱ってくれる施設で、感謝しているということで、杉田美和を殺害する動機が無いんだ。そして、職員にも聞いてみたが、誰も、杉田美和に恨みを持っているものがいない。それで、もう一度聞きますが、杉田美和さんが、死亡した時刻、あなたはどこにいましたかね?」

「はい。私は、この製鉄所で、勉強していました。介護福祉士の資格を取りたいので。障害者施設はちょっと働けないから、今度は介護の方へいこうと思ったんです。」

英子さんは正直に答えた。

「じゃあ、あの施設が、どのような感じで運営されていたのか、それも話してくれませんか?」

と華岡が言うと、

「はい。安曇園は、私立の障害者施設です。社会福祉法人安曇園によって運営されています。だいたいああいう障害者施設というのは、大規模な精神科病院とか、そういうところが運営していることが多いんですけどね。でも、そういう大規模な施設の援助なく、施設長が、一人であそこまでのしあげたと言ってましたよ。」

と、彼女は答えた。

「ああ、ありがとうございます。そういうところまで調べているところは、さすが、繊細さんと言われるだけありますな。ありがとうございます。」

「それで華岡さん、その施設長さんの事は調べたの?」

と杉ちゃんが言うと、華岡はあ、まだだったと言った。

「施設長は何という名前だったかな。えーと。」

これには、杉ちゃんも大笑いだった。全く、華岡さんは、こういう所が、抜けているということもあるんだな、と、水穂さんも呆れてしまった。

「ええ、施設長は、衣笠善子です。衣笠駅の衣笠に、よしは確か善悪の善。子は子供の子。それであってると思いますがね。」

英子さんは華岡に言った。

「わかりました。じゃあ、衣笠善子を調べてみよう。ほんと、今日は、ご協力ありがとうございました。英子さんがちゃんと答えてくれなかったら、俺たち事件の事は、わからないままになってしまうところだった。」

華岡は英子さんに言った。そして、

「よし、署へ戻るよ。」

と言って、華岡は、急いで製鉄所から帰っていく。全く、華岡さんは、だらしないというか、そういうところが抜けているんだよなと、杉ちゃんは、でかい声で言っていた。英子さんの方は、ホント怖かったという顔をしていた。ある意味、彼女のような女性では、そうなってしまうのも、無理はなかった。水穂さんが、英子さんに大丈夫かと言っているけど、本当は、彼女のことではなくて、自分のことを話してほしいと思った。

それから、数日後。杉ちゃんたちがまた、いつもどおりに、製鉄所の食堂の中で、食事をしていた。そのときは、食堂の中に設置されていたテレビが、天気予報をやっていた。ちょうど、明日の天気は、晴れでしょうと、間延びした声でアナウンサーがそう言っているとき、ピピピとアラームが鳴った。何だと思ったら、ニュース速報だった。大体そういうものは、変な音がなるせいで、大体の人がテレビに向くようになる。テレビを見てみるとそこには、障害者施設にて殺害した疑いで、女性逮捕と書かれていた。名前を、衣笠善子と報じられていた。

「ということは、やっぱり、施設長が、杉田美和さんを殺害したんですか?」

と、英子さんは、そう言っている。

「なにか、気になることでもあるの?」

隣の席にいた杉ちゃんが、そう聞くと、

「ええ、だって、殺害する動機というか、それが無いんですよ。だって、施設長は、杉田美和さんを一生懸命世話していましたよ。彼女のお母さんだって、施設長を信頼していましたし。そんな施設長がなんで、彼女を殺害しなきゃならなかったんでしょう?」

と英子さんは、ちょっとパニックになったような感じでそう言っている。

「わかったわかった。とりあえず、薬を飲んで、ちょっと落ち着こう。」

杉ちゃんは、英子さんにそういった。大体そうなってしまうと、周りの人間にできることは、薬を飲んでもらうように催促するしか無い。それが時には通じなくなってしまうときもある。彼女は、そう言われると、わかりましたと言って、急いで、自分のカバンを開け、頓服としている薬を飲んだ。こういうとき液剤は水がいらないので役にたった。英子さんは、肩で大きな息をしてなんとか自分を落ち着かせようとしている。

「まあ、やったことはやったことだからな。それは、事実として受け止めよ。」

杉ちゃんはできるだけ軽く言った。重く話していたら、彼女が、余計に重い気持ちになってしまう。それはどうしても避けたかったのである。

「いずれにしても、杉田美和さんを殺害した犯人が捕まって、警察署前は、大騒ぎしであると思う。まあ、もうちょっと、落ち着くのを待ったほうがいいね。」

と、杉ちゃんは英子さんを見て、そういった。

それから、しばらくたって。杉田美和さんの殺害事件は、報道されなくなった。それよりも、スポーツの報道とか、そう言うことのほうが、報道されてしまうことになってしまうのである。他にも、大規模な事件は起きているし、杉田美和さんの殺害事件は下火になってしまったということだろう。

「おーい、杉ちゃん。また来たよ。ちょっとさ、なにか食べさせてくれ。もう、腹がぺっちゃんこ。」

と言いながら、華岡が製鉄所にやってきた。

「はいよ。じゃあ、カレーを作るから、しっかり食べろ。」

杉ちゃんは、食堂の冷蔵庫を開けて、人参と玉葱を出して、それを切り始めた。そして、お鍋に入れて炒め始める。そして、水を入れてグツグツと煮込み始めた。

「ああ、いい匂いだなあ。それで、俺たちは、今、衣笠善子を取調べしているんだが、彼女が実に曲者でねえ。彼女は、何も話さないんだ。確かに、黙秘ということはあるけどさあ。俺たちの事をバカにしているような感じだし。」

と、華岡はぐちを言い始めた。

「もう、そんな事で、いちいちこっちに来るのかい?」

杉ちゃんが言うと、

「だって、俺達の気持ちにもなってくれよ杉ちゃん。衣笠善子は、自分はやっていないと言うし、仮に、杉田美和が死んだとしても、悲しむやつは今はどこにもいないって、言うんだぜ。」

と、華岡は言った。

「そんなこと絶対ないって俺は思うのだが、なんか、俺の思い過ごしだったようだよ。杉田美和の葬儀にも、部下を行かせたんだが、彼女が殺されて、嬉しそうな顔をしているやつが大半で、親戚縁者も、みんなこれで良かったという顔をしていた。俺、そういう可哀想なやつもいるんだなって、話を聞いて涙が出てきちゃった。」

「まあねえ。確かに、障害のあるやつって言うのは、見返りを求めていたら、大損するのかもしれないが、それでもさ、生きている事に罪はないと思うよ。それに、華岡さんが、そんな繊細であるとは思わなかった。」

華岡の話に杉ちゃんは言った。それは確かに、繊細な人でなければ、涙が出てくるとは、ありえないかもしれない。

「まあ、俺はそうなんだけどね。それより、衣笠善子の自供を取ることに集中しなくちゃな。安曇園で、杉田美和が殺された日、最後に帰ったのは衣笠善子だったって言うし。それに他の職員は、杉田美和が、殺害される前に、日勤の職員は全員帰っていて、衣笠善子が、30分だけ一人で施設にいた事もわかっているんだ。」

と、華岡は言った。

「つまり、アリバイが無いってことか。」

と、杉ちゃんは言うと、

「はい、そうなんですよ。だから俺は、衣笠善子の犯行だと思っている。俺は、それが大事だと思っているからね。」

華岡は大きく頷いた。それと同時に、華岡のスマートフォンがなる。

「はいはい、華岡だ。え、まだ?そうなの?それでは衣笠善子、やっぱりだめか。つまり、事件当日の事は、衣笠善子しか知らないということね。はいはい、他の利用者は、全員、ちゃんと喋れないのね。」

ということはつまり、衣笠善子以外、正確な情報を話せるものはいないということだ。まあそうなっても仕方ない。安曇園はそういう人を預かっている施設なんだから。

「はあ、まだそんな事いってるの?世の中を成敗したとは、大間違いだよ。早く衣笠善子が、目を覚まして、ちゃんと、杉田美和という人間を殺害したということを認めさせろ。それで頑張るんだよ、俺たちは。」

そういう認識の違いも起こるのだろう。だって、衣笠善子たちの施設は、世の中に対応できなくなってしまった人を、世話して、なんとか生かしておくための施設なんだから。

「わかったわかった。できるだけ早く、衣笠善子が、事件を起こしたことを認めるように持っていってくれ。」

そう言って華岡は、スマートフォンを切った。杉ちゃんは華岡の前にはいとカレーを置いた。華岡はうまそうにカレーを食べ始める。

「うまいうまい、うまいなあ。杉ちゃんのカレー、レトルトカレーの何十倍もうまいぞ。こんな美味いカレーを食べれるなんて、幸せなことだな。俺は。」

という華岡を見て、杉ちゃんは、

「今度の事件の杉田美和さんは、カレーを食べることもできなかっただろうかな?」

と呟いた。

「なんか、やな女だよね。そうやって、僕らみたいな人を、ただ集めて、ご飯くれて、管理するだけって。僕らは彼女の家畜じゃありませんからねえ。」

そういう杉ちゃんを見て華岡は、

「じゃあ、一緒に来てくれるか?ちょっと、衣笠善子とやり取りしてくれたら、嬉しいかも。」

と言った。よしわかったと杉ちゃんも言ってくれたので、急いでカレーを食べ終えた華岡は、ワゴンタイプのパトカーを呼び出して、杉ちゃんと二人で富士警察署へ戻った。

二人が、警察署へ戻ると、部下の刑事たちが、待っていた。なんでも、衣笠善子は、杉田美和という人を殺害したのではなく、世の中のためを思ってやったと、自供しているようなのだ。杉ちゃんたちは、刑事たちの話を聞きながら、衣笠善子のいる取調室へ入った。確かに、目の前の被疑者である衣笠善子は、見てくれはきれいな美女だった。でも、どこか奢っていると言うか、そんな感じがした。

「衣笠善子さんですね。何回もお尋ねしますが、あなたが、杉田美和さんを殺害したときの様子を、もう一度話してください。」

と、華岡が形式的に言うと、

「それは大したことじゃありませんわ。ただ、役に立たない人を成敗した、それだけのことです。」

と、衣笠善子はぶっきらぼうに言った。

「それじゃだめですよ。そういうことではなくてですね。」

華岡が言いかけると杉ちゃんが、

「僕みたいな、バカをやっても、成敗したと言えるかな?僕歩けないけど、和裁やったり、カレーつくったり、そういう事、一生懸命やってるんだ。僕、歩けないからさあ。周りの人達に、一生懸命恩返しするような気持ちで生きてるんだ。それを、役に立たない人を成敗したっていうの?ちょっとおかしいんじゃないの?」

と、でかい声で言った。

「違います!あなたのような人と、彼女、杉田美和さんとは、度合いが違うんです!」

衣笠善子は、そう返した。

「違うって何がだ!言ってみな!」

杉ちゃんが言うと、

「だって、あの杉田美和さんは、暴れるだけで、わけのわからない言葉を喋るだけで、何もしないんですよ!そういう人は、ここにいて何になると思いますか!そういうことを毎日毎日しなければならない私だって、どんなに苦労しているか。わからないでしょう!」

と、衣笠善子は怒鳴った。華岡は、ああそれが動機かと、大きく頷いた。

「施設は、箱物だからね。」

杉ちゃんも、大きなため息をついた。

「結局、施設は箱物で、それに誰も触れないから、そういう事になっちまうんだよな。」




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安曇園 増田朋美 @masubuchi4996

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