クローンディナー

横嶌乙枯

クローンディナー

「さぁ、君と僕の為に拵えさせたんだ。たんとお食べよ」


 色の白い優男が目の前に並べられた料理を私の目の前に差し出す。その笑みは、彼の後ろに飾られた絵画の聖母に酷似していた。

 一方の私は全くの逆で、すっかり血の気を失ってしまっていた。身体の最も奥深くにある何かが冷え切って全身が凍えてしまったようだった。

 網目状に焼き目を付かせ、下に敷かれたソースの赤ワインの香りがふわり漂うメインディッシュ。焼き締めた表面を見る限り、ナイフを入れれば滝のように肉汁が溢れてくるのだろう。常であれば此処で生唾を飲み込んだと思う。だが、今は吐き気しか湧かない。この肉は、「私」の舌のソテーだ。


「巷に流行っているような安肉じゃあない。きちんと生産元と打ち合わせて作ってもらった、君のクローン肉だ」





 私はけたたましく鳴り響くコールで飛び起きた。自らが発する音の振動で震える机上の携帯端末を掴み、受話器を上げているマークをタッチする。

 寝起きの掠れた声でもしもし、と呟けば男性が端末越しに語りかけてきた。

 昨日連絡が取れなかったことについての確認だったらしい。寝ぼけた頭で適当に返事をして電源ごと切ってしまった。暗くなる画面が最後に映していたのは「成宮さん」という文字。ああ、彼がかけてきてくれたのか。

 悪いことをしたな、とぼんやり思いながらふと視線を移したカレンダーは8の数字をハートマークで囲っていた。何か、大切な日であるらしい。そんなに深く眠りこけてしまったのだろうか、脳の機能の大部分を夢の中に置いて来てしまった気がする。それに、何だか酷く身体が怠い。

 電源を切ってしまった端末を拾い上げて再び画面に光を戻してやると、スケジュールにあらかじめ書いてあったのだろう。ホーム画面の上側に文字が表示されていた。


 東谷帝国ホテルレストラン・デート




 彼がキザったらしく指を鳴らすと、店の奥から台車を押して老年のシェフが出てきた。柔らかな笑みを浮かべて会釈をする。

 私たちのテーブルの横で止まった台車にちらりと視線をやって小さく悲鳴を上げる。


「当店へお越しいただきまして、誠にありがとうございます。本日のお料理ですが、東浄クローン栽培牧場で成宮様がご注文なされたクローン『伊藤美紀』を使ったフルコースを召し上がっていただきます」


 銀色のワゴンに乗せられている裸の「私」が濁り切った目を天井へと遣っていた。しかしその首は元の場所にはなく、すっぱりと綺麗に切り落とされて天を仰ぐようにして腹の上に置かれている。四肢は根元で切断されそれぞれラップをかけられて下の荷台へと乗せられていた。


「おや、そのまま持ってきてはくれなかったのかい」


 彼が片眉を吊り上げて訝し気にシェフを威圧した。シェフはさも恐縮しきった様子で頭を下げる。


「申し訳ございません。仕入れの際に事故があったようで、肉の品質を損なわない為に勝手ながら手足を切り分けさせて頂きました。数か所骨が折れてしまっておりますが、味は保証いたします」


「ふぅん、まぁ構わないよ。一番美味しいのはお尻の肉だから」


 吐きそうになるのを必死に堪えながら、彼に本当に食べるのかと問いかける。


「勿論さ。僕は常々思ってたんだよ。君も余さず食べ尽したい……ってね」


 どこか夢心地で言葉を返す彼とその言葉いちいちに頷くシェフを見比べる。酷く眩暈がした。

 暫しご歓談を、と言って再び奥へと引っ込む白い背中を見送ると、彼は私の片手を両手で包んで優しく微笑みかけてくる。背中がざわざわとした。ドレスが長袖でなければ、腕に浮いた鳥肌に気付かれていたかもしれない。


「僕はね、今日の為に何度もクローン栽培牧場を見学したんだ。実に興味深かったよ。君の現在の生体情報を送ってやると、今、僕の目の前にいる君と遜色ない個体を作り上げてくれるんだ。食糧枯渇が社会問題となって久しい世の中だ。こうやって食肉の開発に成功したんだもの。科学の発展ってのはすごいや。そう思わないかい」


 唇が震えていないか心配だったが、彼はそんな私の様子に気付かない。更に言葉を続けた。


「僕の愛した君により近付けるようにオプションを付けたんだ。君、人間ドックの時はいつもうちの病院に来てくれるよね? 検査の一つと言われて脳も解析されただろう? あの情報を使って、クローンに君の記憶を植え付けたんだ。取得した時までの記憶しかないのが残念だけれどね。あのクローンは捌かれる前まで、自分は『伊藤美紀』だと信じていたんだ! さぞかし旨味が出ているんだろうなぁ。クローンにはね、君へのメッセージも刻んでもらったんだよ。何て書いてあるかはお楽しみ」


 ナプキンで口元を押さえる。成宮はそんな私を自分の言葉で感動しているのだと勘違いしているようだった。

 やがて運ばれてきた料理は、人肉を使ったとは思いたくないほどに食欲をそそられるものばかりであった。付け合わせにばかり手を付ける私を叱ることなく、彼は此方の皿のものまでぺろりと平らげてしまった。

 そうしてメインディッシュが目の前に置かれる。「私」の肉。喉奥にまでせり上がってくるものを何とか押さえながら、食べてくれと促す彼にやっとのことで言葉を返した。


「まずは、貴方が食べて」


 私を愛しているんでしょう?

 酷い作り笑顔だったと思う。成宮は快く頷き上品にナイフとフォークで肉を切り分けようとした。

 その顔は恍惚の笑みを形作っていたが、ふとした瞬間に表情を一変させる。


「シェフを呼べ!」


 テーブルを拳で叩きながら怒号を張り上げる成宮に仰天してしまい、思わず立ち上がった。

 客の張り上げた声に同じように驚いた先程のシェフが恐々と近寄って来ると、成宮はナイフを入れただけの皿を老人に突きつけた。


「何だ、これは!」


「え、ええ、メインディッシュのソテーでございます」


「違う! 僕が聞いてるのはそういうことじゃない。僕が入れてくれと頼んだ文字が入っていないじゃないか! 僕はちゃんと牧場で確認したんだ。間違いなく『伊藤美紀』のクローンの舌にはメッセージが入っている。これは何の肉だ。食材を偽るとは何事だ!」


「しかし、しかしお客様。牧場は間違いなく『伊藤美紀』であると……」


 怒りに肩を震わせていた成宮がぴたり、と動きを止める。ホラー映画の化け物を思わせるほど緩慢に首を巡らす。その目を大きく見開いて私の方を向いた。


「じゃあ、君は誰だ」


 弾かれたようにその場を逃げ出した私は、動転して厨房へと駆けこんで鍵をかけてしまった。

 そこで見た本物の「美紀」は最早その原型はなく、ただの肉塊となって他の食材と共に置かれていた。頭部は顎が外され舌を丸ごと引き抜かれていた。堪らず吐いた。床の上に吐瀉物が広がる。彼女は昨日の夜、私がレストランへと運ばれるその車に轢かれ死んでしまったのだ。まだ生きていた私は、横転した車から逃げ出して、自分に植え付けられた「美紀」の記憶を頼りに、彼女のアパートへ行き……。


 恐らく椅子や机でドアを壊そうとしているのだろう。唯一の出入り口が衝撃と共に歪んでいた。絶望に項垂れ、汚れた口元を拭いながらふと横を見ると、だらしなく舌を垂らして嗚咽を上げる情けない自分の顔が銀色のシンクに映り込んでいた。

 その舌の中央には「Marry Me」と文字が刻まれているのが見える。


 何だか無性に腹が立ってしまったので、私は思い切り上下の歯を自分の舌に突き立てた。

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クローンディナー 横嶌乙枯 @Otsu009kare

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