第57話 エピローグ(2)

 サーキスは涙をこらえると続けて言った。

「でも今回のことは俺が悪かった…。深く反省するよ…。それに今までの仕事がぬるかったんだよ。仕事ってのはこういうもんだぜ…。

 それからパディ先生は、医者を名乗れば誰でも医者になれるこの国のシステムが気に食わないって…。自分の時は試験でしこたま勉強させられたんだぞーって。そんなの俺に言わないで王様にでも言えっての」


「あのね、サーキス。これから先生はあんたにとことん厳しくするからフォローしてあげてって、先生から言われてるの」


「別にいいよ、これくらいどうってことない。俺が怒られただけで患者さんが助かるならその方がいいし。

 …ところで前々から思ってたけど、カカシのリリカの欲しい知恵ってお医者さんの知識じゃないか? お前は病気を見ても変に驚いたりしないし、つまらない質問もしない。かと言って出しゃばったことも言わない。それはお前の頭に医学の知識が根付いているからだ…。お前はお医者さんになりたいんだろ? 違う?」


「ご明察。やるわね、その通り。みんな、あたしのことを看護師さんとか受付の人とか呼ぶけれど、パディ先生だけはあたしのことを助手って言ってるでしょ? あたしは人の命さえ助かりすれば呼ばれ方なんてどうでもいいのよ。やっぱり、あんたはわかってるわね。見込んだ通りよ。


 でも、人間の体を外側から学習するのってあんたが思う以上にたいへんなの。基本的に習ったことしか覚えられない。血流も見れるわけがないしね。後から現れた僧侶さんに一部の知識を追い抜かれることがしばしばあるわ…。別にどうってことはないけどね。いや、悔しいかな…。…ところでよかったら今日、酒でも飲まない? 奢ってあげるわよ」


 夕方、サーキスとリリカは前回と同じ大衆酒場へとおもむいた。ごった返す店内の中、二人は店の隅のテーブルに座った。


「今日はただお礼が言いたくてあんたを誘っただけなの。先生の心臓のことのね。

 正直に言うとパディ先生も私も、もう無理かもって思っていたの。日に日に心臓の音が弱っていくし、咳や鼻血は止まらない…。色んな偶然が重なって先生は生きることができたわ。一番の功労者はあんたよ。


 あんたが居てくれて色んなことが良くなった。たまに思うの。あんたの足の裏に腫瘍ができなくて、そのままサーキスがスレーゼンを素通りしてたら、今頃ここはどうなっていたんだろうって。想像するとぞっとするわ…」


「ははは。こっちこそお前には世話になってるぜ。リリカがいなかったらファナと結婚できてないよ。名字も家もないままだぜ」


「フッ。今更だけどファナはあんたが来る前に『僧侶の彼氏が欲しい!』って意味がわからないことを言ってたのよ。職業で彼氏を選ぶのもどうかなって思ってたけど、『僧侶って人を癒すためになったんでしょ⁉ 考え方から優しいよね! それに怪我をしたらタダで治してくれるしね!』だって。そこにちょうどあんたが現れた。とりあえずファナに見せとけって感じだったわ」


「おいおい⁉ 初対面の奴だぜ⁉ 自分で言うのも何だが、知らない奴を会わせて危なくないか⁉」

「あたしは人を見る目が肥えてるの。先生もね。あんたもそうでしょ? 初対面でフォードさんを悪い人って思わなかったでしょ?」


「おー…」

「それでもね、あんた達の初デート、トマトの収穫の時は二人っきりにしたら危ないかなって雨の中、傘を差してあんた達を遠くから見てたのよ。五分ぐらい見てたかな? 二人とも普通に仕事してて、あたし飽きて帰ったわ。でも結局、恋が実ったのはあんたの努力よね」


 サーキスは真っ赤な顔で照れた。そして、リリカの心は感謝の気持ちでいっぱいだった。

(あんたには何度でもありがとうって言いたいわ。あたしの大切な人を助けてくれたもの。でも、あんたに面と向かって何回もありがとうって言ってたら、あんたはうっとうしがるでしょ。だから心の中で感謝を言うわ。ありがとう。

 それからギーリウス、バレンタイン寺院のサーキスの仲間、サーキスの師匠、師匠の奥さん、サーキスを優しい人に育ててくれてありがとう)


 次の瞬間、聞き覚えのある声が聞こえた。声の主は甲走って言った。

「やっぱり! こんな所で! サーキスとリリカがデートしてる!」

 それは大きくなったお腹を抱えたファナだった。伸びた髪をアップしている。隣には結婚式で一度会った彼女の友達がいた。バネッサという名前のファナの友達が腕組みをしてこちらを睨んでいる。


「バネッサから聞いて来たんだ! サーキスとリリカが二人っきりで酒場に入って行ったって! 来てみたら本当だったー!」

「デートじゃないぜ! ちょっと、別にいいだろ…。職場の同僚と酒飲むぐらい…」

「じゃーリリカ! 私もー友達なんだからー、誘ってくれてもいいじゃない⁉ それを秘密にしてるなんてー!」


「妊婦をこんな所に連れて来られるわけないでしょ⁉」

「お酒飲むならナタリーおばさんの所でもいいよねー⁉」

「酒の種類が違うわよ!」

「さっきから言い訳ばっかり! 本当に何もなかったらこんなに言い訳しないよね⁉ だいたいサーキスとリリカは仲が良すぎるよ!」


 ファナは大泣きし始めた。

「うえーん!」

 サーキス達は酒場の中で注目の的になっていた。隣の中年が野次を飛ばした。

「僧侶の兄ちゃんが浮気してるぜ! ぶわははは!」


「何で俺のこと知ってるんだよ⁉」

 また違うオヤジがサーキスをののしる。

「嫁さんとセリーン様がお怒りのご様子だぜ!」

「ギャハハハ! 俺、こんな生の修羅場初めて見た! ワハハ!」


     *


「…っていうことがあったんだ」

 翌日の、日も暮れた病院の診察室。昨日のことを頭の痛そうな顔でサーキスが言うと向かい合って座るパディはクスクスと笑った。彼の腕はアザが至る所にできていた。

「女房の妬くほど亭主モテもせず…ってね」


 今日はサーキスの宝箱トレジャーの使用回数が余っていたため、パディの心臓の診断を行うところだった。

「それだぜそれ! その後、ばあちゃんがカンカンでさぁ…。『うちの孫娘を泣かせて許さないよ、この婿養子! 次に泣かせたらレオの家に引っ越しだよ!』って、犬と一緒に住まないといけなくなるよ。トホホ…」

「でも、ファナ君から君は好かれているよね。リリカ君の話とはちょっと違うね」

 その通り。サーキスは自分が思っている以上にファナから好かれていることを知った。それを認識できて昨日のことは少し嬉しい事件でもあった。

「へへへ…。あ、それとゲイルさん! 今どうしてる?」

「手紙のことだね。ペストがひと段落したから帰国するって。よかった…」

「おー、それは何よりだ!」


 サーキスはパディのズボンの裾を上げてむくみがないか足首を触った。足はワーファリンの作用で腕と同じくアザができていた。薬で血液がサラサラになった体は内出血しやすくなっていた。机や柱に足をぶつけて所々にアザがあった。


「うーん、アザがいっぱい。ぶつけないように気を付けろよ、先生。リトゥス・ニューブンソン…」

 サーキスは回復呪文を唱えてアザを治した。

「た、頼んでないのに…。ありがとう」

「次は心臓を視るぜ」

 サーキスが宝箱トレジャーを唱えてパディの心臓を視る。正常な心臓の大きさは握りこぶしほど。彼の心臓は大動脈弁の故障により一度、その三倍を超え、心不全による気絶で最大で五倍まで膨れ上がった。現在は四倍ほどの大きさ。心拍数も正常よりも少し早い程度だ。人工弁も問題なく開閉している。


「うん。前回よりもまた心臓が小さくなってるよ」

「えー⁉ そうなの⁉」

 パディが手放しで喜んでいる。サーキスはそんな彼に快く思ったが、その逆もまたしかり。患者を悲しませることもある。言葉の責任の重さを思い知り、自身をいましめた。


(ふと思ったけど、そもそもこのチュルチュル頭の人がリリカのことをはっきりしないからこっちにファナからとばっちりが来たんじゃないのかあ? 先生はリリカのことが好きなのか? リリカのことどう思ってるの? 何か違うなあ…)

「先生、話が変わるけど」


「何?」

「リリカからキスされた時、嬉しかった?」

「ゴホゴホッ! ゲホッ! うぅ、心臓が! 心臓が苦しい! ぐわああぁぁ!」

(このおっさん、これからも困った質問は心臓でごまかすのかな…)


 受付からの扉が開いてリリカがこちらの部屋に入って来た。

「えっと、すみません。こんな時間に患者さんです。腹痛を訴えていますがどうしましょう?」

「僕はいいけどサーキスは…」


「大丈夫だ。昼間はギルが手伝ってくれたから宝箱トレジャーがあと一回だけ使えるぜ」

「よかったわ。それじゃあ先生、問診票を見てください」

 リリカがパディに問診票を手渡した。彼女は仕事があるのか二人にまざらずにそそくさと受付に戻って行った。パディがそれを声に出して読む。


「スプリウスさん、四十六歳。名字は空欄。住所も無し。職業、無職。しばらく前からお腹が痛い…か…」

「ちょっと見せて…。ふーん、ローマ人だな」

「よくわかるな」


「わからない方がおかしいけど…」

「そうなのか…」

 パディが扉の方へ向かいドアを開け、患者を呼んだ。

「スプリウスさーん! どうぞー!」


 診察室に入って来たその男を見てサーキスは驚いた。その中年は熊のような大男でかつての自分と同じく髪は伸び放題、長い無精ひげを蓄えていた。背中の盛り上がった筋肉、青い瞳はよほど腹が痛いのだろうか、うつろで弱々しい。ギーリウスの二十年後を彷彿とさせるその顔の頬には五センチほど切り傷がある。


 紛れもなく自分が探していた師匠、ユリウス・バレンタインだった。

 師匠はこちらに気付きもしないで腹を押さえて苦しそうな顔をしている。不謹慎ながらサーキスはその姿がおかしくてしょうがなかった。自然と笑顔がこぼれる。涙も両目から溢れ出す。


(俺が僧侶を辞めて医者になったって言ったら怒るかな? ハハ! 構ったことか! 怒らせておけ!)

「親っさん! 俺だよ! サーキスだよ!」


 了


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病院の僧侶(プリースト) と家賃という悪夢にしばられた医者 加藤かんぬき @waisibo

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