第56話 エピローグ(1)

 これは僧侶だった青年が医者の道を志すまでの物語。


 ブラウン家の二階の寝室で、妻のファナがベッドに横たわりスヤスヤと眠っている。ダブルよりも大きいキングサイズというベッド。

 サーキスがブラウン家に婿入りした当初、屋敷の家具の豪華さに改めて彼は面食らった。タンスもクローゼットも高級木材のウォールナットという木で作られている。製造されて何十年も経っているのにそれらは色あせず、木目は美しい。


 金に縁がないサーキスは昔のブラウン家の生活を想像できなかった。昔フィリアが守ったものの価値の大きさを思い知らされる。

 夜明けで少し明るくなったサーキス達の二階の部屋で、彼はかつての旅仲間だったカイルの手紙を読んでいた。寺院での先輩。ブルガリアで旅をリタイアして、橋職人になった僧侶だ。


 その手紙の存在はサーキスがブラウン家に引っ越してから気が付いた。荷物を整理していると鞄の奥底から発見された。

 それ以来、サーキスは何度もその手紙を読むことになる。今日もカイルの手紙を読みたい、そんな気分だった。


『サーキス。俺だ、カイルだ。

 ここ、ブルガリアで旅をやめる理由、僧侶の俺が橋職人になればみんなが助かるみたいな高尚なことを言ったけれども、本当の理由はお前が想像している通り、橋職人の棟梁の娘と俺がいい感じになったからだ。


 それと俺が親っさんを探す旅を急がなかったのは、あの人を見つけられたとして、親っさんを困らせるだけじゃないかと思ったからだ。お前もそう考えていたんじゃないのか?

 たぶん親っさんと再会してもあの人は、自分の道を探せ、みたいなことしか言わないだろうって想像できたんだ…。


 寺院が崩壊したあの日、俺がお前を追いかけた理由、お前と一緒に行動すれば生存率が高くなるからって言ったよな? あれはちょっと嘘だ。お前に付いて行ったのは寺院の兄弟の中でお前のメンタルが一番不安定に見えたからだ。


 ギルはセルガーっていう友達ができた。たぶん心の支えになったと思うよ。一方、お前は寺院ではいつも一人で体を鍛えたり、呪文の勉強をするばかり。師匠の奥さんとも特別仲が良かったから、余計に心配だった。


 サーキス、お前は誰かの右腕や左腕となって初めて力を発揮できるタイプの人間だ。親っさん探しは無理に続けなくていいと思う。それより誰かの力になった方が人のために役立つと思う。


 それを依存と言うのなら、そんな奴、俺がぶん殴ってやる。人が服を作らないと俺は裸でないといけないし、誰かが麦を作らないと俺はパンが食えない。誰かの支えなしで生きていける人間はいないって。

 お前が奉仕できる人が見つかるといいな! 親っさんを探すよりよっぽどいいと思うぜ!』


 サーキスは小声で文句を言った。

「手紙でこんなこと書かないで直接、俺に言えよ。それといじめてごめんって書け、カイルのばーか!」

 彼は手紙を折って封筒に入れ、ファナも見つけられないような机の引き出しの裏に片づけた。


 サーキスはパディに行った手術により、僧侶の力は半減してしまっていた。マジックポイントは半分に。例えば彼が一番よく使う呪文、宝箱トレジャーなどのレベル三の使用回数は九回から五回にまで減った。他のレベルの回数も少なくなった。もう新しい呪文も覚えることはできないだろう。事実を確認した時、彼は少しだけ涙した。

 でも、もう迷わない。これからはパディのような医者を目指すだけだ。


     *


「むむむ…。こんなにいい家を借りていいのか…。それもそんなに安くして…」

 ここスレーゼン市。ギルはハゲ親父のフォードから不動産の案内を受けていた。二人の目の前には城を小さくしたような屋敷が。


「いいんだよ。ワシがお前さんの所に力を貸すとワシのイメージが良くなるだろ」

 ギルはあれからフォードの熱烈な説得により、孤児院ごとスレーゼン市に引っ越すことになった。ギルが引っ越しを決めたフォードの決定的な言葉は『スレーゼンに引っ越して来れば子供達に質の高い医療を受けさせてやれる』である。


 ギルはエントランスに入っただけでたじろいた。中央にはライオンの銅像、両脇に階段が二つも設置されている。頭上にはシャンデリア。少し中を進むとカウンター式の食堂があり、レンガ造りの巨大な柱が美しいアーチを彩っている。壁に暖炉、その脇には革張りのソファー。大きなソファーは座ってみれば体が沈む柔らかさ。


「すごいぞ…」

 二階もまわってみると子供達にも一人一部屋ずつ部屋を割り当てられそうだ。元々は上流階級者用のホテルだったらしい。

(むー…。ワシはなんか久しぶりに普通に不動産屋の仕事をしているなあ…。家賃の取り立てはたまにやるけど、家屋の紹介なんか最後にやったのはいつか覚えてないぞ…)


「あのね、ギーリウス。病院の近くで子供達の人数に合う家がそんなになかったんだ。どうだ?」

「いいぞ! ミスターフォード! 俺はここに決めた!」

「ふむふむ、よろしい」


(しかし、フィリップの話だとこいつの家では空中を飛ぶ不思議な籠手こてが子供達と遊んでいたなんて突拍子もないことを言っていたな…。一応、訊いておくか)

「ところでギーリウス? お前さんは空飛ぶ籠手って知ってるかな?」

「な、何のことだ⁉ し、知らないぞ…」


(図星な反応だ。詳しく調査する必要があるな…)

「ふーん。…では引っ越しはいつにするかね?」

 イステラ王国にあるギル達の家はフォード不動産が管理することになる。そしてスレーゼンでラウカー夫婦と子供達の新しい生活が始まるのであった。


     *


 その後のサーキスは結局、自らの手で手術は行うが、自分が医者であるとは名乗らなかった。理由は彼が医者としてのキャパシティーがまだ足りないこと。患者に病名を訊かれても答えられない。そんな理由からだった。


 あれからサーキスはパディの指導のもと、患者の手術に積極的に取り組んだ。初めに難度の高い心臓手術を乗り越えたサーキスは、今はパディの指示さえあればどんな手術でも不可能はなかった。自分自身の手で患者を切り、病巣を取り除くと患者達は誰もが喜んだ。サーキスはそれを目の当たりにして思う。自分は本当に病気を治している。喜びもひとしおだった。


 そんな状態でも彼は患者達には自分は僧侶兼看護師としか名乗らない。リリカもサーキスが医者になるならと白衣のオーダーまで考えていたようだが、サーキスから断られた。今日も彼は女神セリーンのナース服のままである。


 一方、パディはサーキスに期待もあり、日増しに指導の熱が入る。医者として生きて行くしか道のないサーキスにもう遠慮はない。どれだけ厳しく言っても逃げ出すこともないだろう。自分の全てを授けたい。そんな想いもあり、日に日に語気も強くなる。結果、サーキスは毎日、パディに泣かされるようになった。


「うえーん! うう、うわーん!」

 今日も病院の廊下の真ん中でサーキスが泣いていた。リリカは呆れた。

(ちょっともう。泣くなら場所を考えなさいよ! いい大人がもう…。この人、本当に親になるのかしら? お父さんになっても泣き虫は変わらないでしょうね)


 リリカはそんな彼に声をかけた。

「サーキス、さっきの患者さんは手術にならなかったの?」

「ううっ、熱があって延期になった…。今、患者さんは二階で寝てるよ…。それも、俺が熱をチェックしないで手術をやろうって言ったら…、先生に無茶苦茶怒られた…。患者さんを殺すつもりか⁉ って…。わかってたなら…先に言えよ…。わざと失敗させて怒るんだもん…。前は教え方が優しかったのに…」

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