第13話 かつて彼らが過ごした日々(下)

 思い出せば、今でも顔から火が出るように思う。

 見誤りにもほどがあるというか、ひたすらに格好がつかなかったと言おうか。

 それでも言い訳をさせてもらえるならば、自分も若かったのだ。

 誰も彼もが、若かった。

 そういう時代の、話である。

 


■■■■■




 父が死んだとき、自分は涙を流さなかった。

 悲しくはあった。痛みもあった。

 それでもそれは、身を振り絞るほどに泣くものではなかった。

 兄は既にドラゴンと契約して戦っており、自分は父の龍を受け継いで戦うことが決められていた。

 先祖代々そうして生きて来た。

 強い力を持つもの、ドラゴンに認められたのならば、その責務を果たさなければならない。

 人々の盾となって、護らなければならない。

 血脈ではなく、その気概を受け継いできたからこそ、この家は白銀龍と代々契約して来たのだから。

 

 母は背を押して見送ってくれた。

 だけど、弟は。

 十歳下の弟は、違っていた。

 兄さん、と泣きそうな顔で───いや、本当は泣いていたのだ───問うて来たのだ。

 大丈夫なのですか、と。

 無論だ、と自分は返し、家を出た。左の肩に刻まれた、龍の痣がやけに熱を持って疼く、そんな夏の朝だったことを覚えている。

 何が不思議というならば、見た目も性格も欠片も似ていないはずの男を見て、あのときの弟を思い出したことだ。

 

「どうした?」

「……なんでもありません」

 

 【蒼】と呼ばれるドラゴン乗り、レト。

 常に無表情で無口で、川底の泥のようなくすんだ色の髪を紐で束ね、優しげな女のような、涼しい目元をした若い男である。

 二十歳半ばにすら届かず、代々のドラゴン乗りの家系でもないというのに、前線で生き残り続けている戦士の一人であり、シャクラの現在の仲間。

 恐らくは、家族以外で最も親しい者たちのうちの、一人だ。

 このレトという男、口下手のせいで何度かもめ事を起こしているのだが、常に大事にはなっていない。

 それが何故かと問われれば、ひとえに彼の弟子で、後輩と名乗っている一人の少女の存在があってこそだった。

 ドラゴン乗りの長い歴史の中で、女が選ばれたことは一度もない。

 だが、今の時代には一人だけ、女がドラゴン乗りとなっていた。

 こちらもまだ若く、二十歳にも届いていない。出自は定かではないが、確かにドラゴンと契約を結び、戦士となっている例外だった。

 そんな出自不明経歴不明な少女・ジザの兄弟子で、師匠でもあるのがレトなのだ。

 だが、シャクラは一つ言いたい。

 彼らは一体全体、どちらが師匠でどちらが弟子なのだ、と。

 

「嬉しそうですが、何か良いことでもありましたか?レト」

「わかるのか?」

「ええ。少しは。あなたの弟子ほどではありませんが」

 

 二人揃って軽い負傷を負い、手当を受けて、龍舎と食堂へと向かう道すがらシャクラは尋ねた。

 膏薬付きの布が貼られた片頬を押さえ、包帯が巻かれた手を開いたり閉じたりしながら、レトが答える。

 

「ジザが、料理を作ってくれているそうだ」

「ほう」

「俺の故郷の料理だ。少し話しただけなんだが、まさか再現してくれるとは思っていなかった」

「それは……良いことですね」

 

 この無口をして『少し』というならば、本当に断片的だったに違いない。

 足りない言葉を汲み取り、或いは補って正しい答えを出してくるのがあの妹弟子なのだ。

 

「怪我をしたのだから、休んでいてしかるべきなのでは?」

「じっとしているのはあいつの性に合っていない。気が腐る。多少の運動なら問題ないと言われたから、あちこちに聞いてくれたそうだ。俺の同郷人も、ここには探せばいるからな」

 

 つまり、現在そこそこな怪我をして戦場に出るのは禁止されたジザは、この兄弟子から断片的に聞いた料理を補うために陣地を歩き回り、再現してみせた。

 それを食べられるから、現在レトはシャクラにもわかるほど満ち足りた顔をしているということか。

 何故この男を見ていると弟を思い出すのか、わかった気がした。

 纏う空気というか、言動の端々にでる種々が末のあの子に似ているのだ。

 さすがに能天気なお花こそ飛んでいないが、早春の日差しくらいのやわらかさは放っている。

 からくりのような正確さで剣を操り魔族を屠り、時には身を投げ出してでも人々を守るドラゴン乗りだが、話してみれば中身は素朴極まりない。

 龍の鞍から降り、剣を収めたレトは、人より少し不器用なだけの、誠実で純朴な男だ。

 

「……甘えられるようにと、考えているのでしょうかね」

「どういう意味だ?」

「知らなくて良い話ですよ、あなたはね」

 

 きょとんと首を傾げている姿を見ていると、疑問が湧いてくる。

 何故ドラゴンは、この男を乗り手に選んだのだろうと。

 いや、この男だけではないのだ。

 

「あ、先輩。シャクラさん、おかえりなさい」

 

 ひょい、と建物の陰から赤い髪が現れた。

 ドラゴン乗りの戦闘服を着、頭に包帯を巻いた少女、ジザである。

 褐色の頬には、うっすらと古い傷跡が残っており、そこだけ皮膚の色が違う。

 レトが言うには修行時代に負った怪我で、傷跡が格好良いとジザは屈託なく笑うそうだ。

 ジザは、口調や仕草は活発な少年のそのものである。繕っているというのではなく、ジザの自然な在り方だった。

 一度そのせいで、シャクラは思い出せば穴に入りたくなるような失敗をした。ジザは悪くはないのだが。

 帯剣したまま、ジザは草地を踏んで歩いて来た。

 先日に仲間の一人を庇って頭を打ったため、大事を取って休養を与えられていたのだ。

 

「怪我ですか?手と、顔?」

「ああ。だが平気だ」

「みたいですねぇ。だけど先輩、綺麗な顔に怪我こさえたら勿体ないスよ」

「ジザ……何度も言っているだろう。俺は、男だ」

 

 知ってますよ、とけたけた笑って、ジザはこっちですとシャクラの方も向いて手招きをした。

 そのまま一人だけ、早足で先へ行ってしまう。

 ぽん、とシャクラは残されたレトの肩に手を置いた。

 特に理由はない。ないが、強いて言うならば元気づけるためだった。

 

「……なんだ?」

「いえ、なんとなく」

 

 そうしたくなったからしたのだと言いながら、二人してジザの後を追いかけることになった。

 ひらひらと移ろう目立つ赤毛を追いかけて、辿り着いた先は食堂だった。

 野営地にいくつか設けられている食堂の中でも、特に気難しやと言われる料理人がいる場である。ただ、味は抜群に良い。

 ジザはそこの厨房へ、躊躇いなく入って行った。出て来たときには鍋を持っており、その横には金色の髪の少女が浮かんでいた。

 草を爪先で擦りながら、花の茎のような細い首を傾げている少女、フェイを見ると、心臓の鼓動が一瞬速くなる。

 ふ、と視線を感じればジザが赤い瞳を片方だけ、ぱちりと瞬かせた。

 その上空いている片手の指で、ちょいちょいと小さくフェイの方をジザは指さす。

 

「シャクラ、どうした?」

「何でもありませんっ!」

 

 赤くなりかけた頬を押さえるのと同時に、思わず大声が出てしまい、四人纏めてやかましいと料理人の男に怒鳴られたのは、完全にシャクラの失敗だった。

























 

 誰にでも思い出したらこう、変な声を上げてその場に蹲りたくなるようなできごとはある。

 そのはずだと言うと、後輩は首を傾げた。

 

「ああ、はい、うん……そういうのは、黒歴史って言えばいいんじゃないでしょうか」

「黒、歴史」

「そこまで深刻じゃなくて、単に思い出したら恥ずかしいってだけなんですよね?そういう失敗は、記憶を黒扱いして塗りつぶしときゃいいんですよ」

「……【黒】の」

「オレの名とは関係ないですよ、シャクラさん。真顔でボケをかまさないでください」

 

 どこで仕入れた知識なのやらわからないことを宣う後輩が作った料理は、確かに美味しかった。

 鍋三つ分あった、牛の乳と鳥の肉、野菜を使った煮込み料理は、四人がかりで食べればすぐに消えた。

 最後の一つは、材料を分けてくれた食堂の親父殿の分で、フェイとレトはそれを届けに一時離れていた。

 ジザとシャクラとで汚れた食器や鍋を水桶で洗いながら、何かのはずみでそんな会話になったのだ。

 ちなみにこの割り振り方は、クジで決めた。

 話しながら、黒歴史という言葉を初めて聞いたのだが、言われてみればしっくり来るような気がした。

 目下の黒歴史はといえば、数日前のことになるだろう。

 シャクラは、今隣で皿を洗っている少女、ジザのことを少年と間違えていた。

 間違えて、おまけに嫉妬までしていたのだから、思い出すと頭を抱えて忘れたくなる。

 嫉妬の理由は簡単だ。

 先程まで近くにいた金色の髪の少女、フェイに惚れたから。惚れたから、フェイとやけに親しく見えたジザが羨ましくなったのだ。

 蓋を開けてみればジザは少女で、この場では数少ない同性の友人だからフェイが何かと絡んでいただけだったのだ。

 しかも、レトに指摘されるまでシャクラはまったく気がつかなかった。

 

「一目惚れしたってのはわかりますよ。フェイ、かわいいですもんね。オレが会った女の子たちの中だと、一等かわいいと思います。ほんともう、凄い美少女ですもんね。妖精の王女様みたいで」

「あなたはあなたで、そういうあけすけなところが兄弟子の心配の種になっていると思うのですが」

 

 うぇ、とジザは首を縮め、そのまま切り返して来た。

 

「オレからしたら、心配なのはシャクラさんのほうなんですけど。フェイに一目惚れってのは大正解だと思うんですけど……そっから後のこと、何か考えてるんです?」

 

 手の中の皿を取り落とさなかったのは、普段の鍛錬の成果だった。

 

「魔族の首を捩じ切る女はおっかないって尻込みしてるやつらもいますけど、返り血を浴びてこそ美しいとかいうトンチキなこと言ってる輩もいますしねぇ」

「どこのどいつですかその馬鹿者は。性根を叩き直してやります」

「だから真顔で暴走しないで下さいって。オレがもう言っときましたから、大丈夫ですって」

 

 立ち上がりかけたシャクラの腕を、皿を洗うための海綿を持ったジザが抑えた。

 

「口説かないんですか?」

「く、くどっ……!?」

「だって、惚れたんでしょ?で、オレたち明日生きてるかもわからないじゃないですか。言えるうちに言っといたほうがいいって、オレは思いますけど」

 

 赤い瞳には、純粋に気遣いの色が浮かんでいた。

 まだ二十年も生きていないはずなのに、ジザは時折、人生をもっと長く生き、何もかもを突き放して見ている人間のようになる。

 だとしても、シャクラにはそれを受け入れる気はなかった。

 

「そのつもりはありませんよ。私は今のままでいたいのです」

 

 想いを伝えること、好きだということ、素晴らしいこととは思うが、同時に自分には縁が薄いとも思うのだ。

 あの家で育った自分にとって、想いを告げるというのは好いた者と結ばれるというだけに留まらない。

 必ず、子を儲けて家を継がせる行為が常につき纏う。

 子をつくり、次の世代を守り育てるために、彼らを守るために、龍と戦う戦士がいるのだ。

 戦士の役目は戦いにあり、戦えぬ者を守るためにある。それは、戦う才能を持って生まれた者の、責務だった。

 む、とジザが唇を尖らせる。

 

「そんなにお堅く考えなくても、好きだから好きって言うの、そんなに重いことなんですか?とばっちりで睨まれてたオレが、なんか報われてなくありません?」

「……過去の誤りについては、大変に申し訳なかったと思っていますが、こればかりは譲れません」

 

 正面から言えば、ジザはひょいと肩をすくめ真摯にシャクラの眼を見た。

 

「すみませんでした。ちょっとナマを言って煽りました」

 

 洗い物を片付けてしまいましょうか、とジザは手に持った海綿を掲げて振った。

 図ったように、その背後から青年がぬっと現れた。その隣にはフェイがいた。

 

「ジザ、シャクラ、終わったか?」

「まだですよ。先輩、おっさんは何て言ってました?」

「修行が足りん、だそうよ。でもほら、完食してくれたわ」

「それはよかった。だけどオレ、料理人の修行を積む予定はないんだよね」

 

 それにしたって嬉しいや、とジザは笑う。

 水桶の中に入っていた濡れた食器を、フェイが起こした風が持ち上げ、独楽のように回転させた。

 

「ほら、こうすれば早く乾くわよ」

「すっげぇな!オレ、それができないんだよな。前やろうとして割りかけたからなぁ」

「ジザ、あなた、魔力が多いんだから細かい制御をちゃんとしないとだめよ。壊すこと以外にも使える力なんだから」

「はいはーい。ありがとさん」

 

 ぱちぱちぱち、と子どものように手を叩いて喜ぶジザを見ながら、フェイがやわらかく微笑む。

 その笑顔を見ていると、思わず目を細めてしまうのだ。まるで、眩しい太陽を見たように。

 横から視線を感じれば、レトが無言で佇んでいた。相変わらず、何を考えているやらわからない顔である。

 フェイを見てあたたかくなった胸の底が、こう、一気にぬるくなった気がした。

 あっさりシャクラの想いを見抜いたジザと違って、レトは何も気づいていないらしいのだ。

 シャクラを捕まえ、何故ジザを邪険にするのだ、うちの妹弟子はお前に何もしていないだろうが、と正面から問い詰めて来る潔さはあるが、レトはそういう方面には疎い。

 疎くてよかったと、心底思う。

 顔に出ていないが、どことなく浮かれているふうな友人を見てそう思った。

 

「美味だったのですか、レト」

「もちろんだ。今度は俺が何か作ろうと思う。菓子などどうだろうか?」

「できるのですか?」

「簡単なものならな。子どものころに作っていたから、まだ何とかなるだろう」

「それならわたしも作ろうかしら」

 

 フェイがふわりと浮いて、こちらに近づく。

 子どもの時分といえば、シャクラはもう木の剣を手にして訓練に励んでいた。

 今でも作れる料理は焼いた肉くらいで、野外を生き抜く知恵はあっても食卓を彩る術は持たない。

 

「どうしたの?」

「いえ、なんでも。ただ、楽しいなと思いまして」

 

 料理のひとつもまともに作れない自分が恥ずかしくなった、とは言えなかった。

 咄嗟についた嘘だったが、フェイは楽しそうにそれを聞いて微笑んだのだ。

 

「そう。一昨日のあなたよりも、今日のあなたのほうが、わたし、好きよ」

「……からかわないで頂きたい」

「あら失礼ね。からかってなんかないわよ。正直に言っただけ」

 

 そのやり取りの後、自分はなんと答えたのだろう。

 シャクラにはもう、思い出せない。

 眩しい笑顔を浮かべるフェイの背後では、あの兄妹弟子たちが、どちらが鍋を洗う洗わないで何事か言い合っていたと思う。

 年齢に合わない無邪気さだったから、その光景は覚えている。

 だが結局、その後菓子を作るどころではなくなった。魔族が押し寄せる量が増え、そのような場合ではなくなったのだ。

 攻めてくる魔族の量には予測不能な波があり、あのときは偶々、それが落ち着いていた時分だった。

 

 あれから、失くしたものは多い。

 肉親の喪失にも涙を流さなかったはずの己なのに、二度と戻らなくなったあの日々を思って涙した。

 守れたものと失ったもの、その二つの量を測ったことはない。虚しい天秤の軽重を見て生きるのは、できようがないからだ。

 が、失ったものを忘れたこともまた、ない。

 

 そして今日、失ったものを決して忘れられないまま、それでも生きていかねばならない友を、シャクラは訪ねていた。

 魔族の侵入を阻む壁が編まれてから、既に二十年以上の時が流れた。

 だというのに、『あの日』から容貌になんら変化がない友人の病室の戸を、シャクラは一人で開け放った。

 気配に、元から気がついていたのだろう。

 部屋にひとつきりの寝台の上で、レトが身を起こした。

 怪我をした顔の半分には包帯が巻かれているが、そこにあるのはあの戦いの日以来、時が止まったような貌だ。

 確かにドラゴン乗りは寿命が並みの人間より遥かに長くなり、老いも遅くなる。

 だが、だからと言って何も変わりがない訳ではないのだ。

 今のシャクラとレトが並べば、確実にシャクラのほうが五つ、六つは歳上に見られる。

 恐らく、龍との契約が何らかの変化を齎したのだろうが、レトにそれをどうこうするつもりはないようだった。

   

「どうした?」

「どうしたもこうしたもありません。あなたが重傷を負ったというから、来たんですよ。何にやられたのですか」

 

 ジザがいのちと引き換えに結界を張った日に、自分たちはそれぞれ別の場所へと歩き出した。

 もう何年もそうして戦いながら、少しでも敵の情報を得ようとしている友が、いきなり重傷を負って入院したと聞かされたのだ。

 文字通りに飛んでくるのは、当然だった。

 

「お前の腕を斬り落とした魔族を、覚えているか?」

 

 怪我の惨さに、戸口で一瞬立ち尽くしたシャクラを気にしたふうもなく、レトは寝台の上で背を伸ばした。

 

「忘れるわけがありません。ではその傷は、そいつに?」

「そうだ。やけに俺ばかり狙うから、部隊から引き離して俺だけで迎え撃ったらこのザマだ」

 

 自ら囮を引き受けたのか、と暗澹たる気持ちになる。

 見舞客用の椅子に座れば、レトの怪我の様子がさらによく見えた。

 顔の半分と左耳は包帯に覆われ、それから左腕の怪我が特に重い。

 

「あの魔族……いや、魔将か。魔将は自分の腕を斬り落とした俺を、よくよく覚えていたらしい」

 

 北大陸へと向かう最中、魔族の大群に襲われた。

 その中に、あのドラゴン乗りを名乗る魔族が紛れていたのだ。

 

「幸いだったのは、俺を一対一で討ち取ろうとしていたことだな。あれの元になった人間は、騎士か何かだったのかもしれない。そういう礼に則った勝負に、やけに拘りを見せていたから」

 

 魔族とは、【混沌】に喰われたものの亡骸。

 だが魔将には、亡骸本来の意志が反映されているらしかった。

 傷の具合は脇に置き、レトはひたすらに交戦して得た魔将のことだけを語っていた。

 

「魔族に己の意志はほぼないはず。……ですが、あれは例外だと?」

「だと思う。思うに、生前の技量をより上手く使うためには、ある程度本来の自我や、記憶がなければならないんじゃないか。心技体と言うだろう?」

「技を体に出させるためには、ある程度心がなければならなかった、と」

 

 死後に亡骸を利用されるのみならず、自我まで再現されて傀儡にされるのだ。

 想像するだに悍ましい話だ。が、それゆえに今回は助かった。

 魔将はレトをその手で打ち倒すことに執着しており、己のドラゴンにあの破壊の光を使わせなかったというのだ。

 

「俺だけでは無理だったが、隊を立て直したリュイロンとレグルスが来てくれたからな。こちらも死なずに済んだ。あれを一人で屠るのは難しい。俺たちが培って来た戦いの技と、根本からして異なる」

 

 シャクラも、あの魔族の技量は知っている。何せ、片腕を斬り落とされたからだ。

 あれは、人を殺すに特化した技を持っていた。本分が、化物殺しではないのだ。

 シャクラは、義手によって見た目は並みの人間と変わらなくなったし、剣も握れる。

 それでも、昔のように剣を振るうことはできなくなってしまった。

 だから今では、ドラゴン乗りを育てる側に回ったのだ。

 

 ──────もし腕が、なくならなければ。

 

 そう思うと、狂いそうになることが度々、ある。

 膝の上に置いた手を握るシャクラの前で、白い包帯が目立つ顔のまま、レトは尋ねる。

 

「そういえば、フェイはどうしたんだ?」

「あちらも来ますよ。エラワーンで飛べる分、私のほうが早かっただけですから。……何故私にそれを聞くのですか?」

「いや、昔はお前たちは常に相棒で、共にいたからな。場所を尋ねるのがくせになっていた」

 

 魔術の研究が盛んな中央にフェイはいる。

 シャクラは、ドラゴンの住処が多くある山地に。レトは、魔族の調査隊が詰めている東部に。

 皆、ばらばらなのだ。今では。

 

「というかお前、まだフェイを口説いていないのか?」

「は?……はぁ!?」

 

 顔色ひとつ変えないままレトが言い放った言葉に、シャクラは完全に声がひっくり返った。

 既視感がある、このやり取り。

 

「なんだ。まだなのか。片想いを続けて早何年だ?お前もややこしいな」

「少し黙りなさい!」

 

 反射的に掌底をくらわすのをぎりぎりで理性が止めた。落ち着け相手は怪我人なのだ、と。

 レトは相も変わらず表情を変えないまま、淡々としていた。

 

「いい加減、一緒になってもいいと思うんだが。俺たちのように、魔力を扱える人間は老いるのが遅いし寿命も長いが、かといっていつまでも朽ちないわけではない。……何故それほど躊躇うんだ?」

 

 それをお前が言うのか、と言いそうになった。

 妹弟子を失くしてからずっと、拭いきれない虚ろさを瞳の奥に飼うようになったというのに。

 シャクラはかぶりを振った。

 

「今、それとこれとは関係がないでしょう」

「ないが、友人と久しぶりに話しているんだ。お前を問い詰める機会など、そうそうなくなってしまったしな。あと、単純に暇だ。皆、俺に安静にしろとしか言わない。そんなにヤワではないのに」

 

 片目のまま、レトがふ、と微かに頬を緩めた。

 

「俺はジザのように察しがよくないから、きっと色々見えていない。それでも、友人が幸せになった顔は見たい」

 

 いつまで片想いをこじらせてヘタレているのだ、と言いたくなるしな、とレトは肩をすくめた。

 しばし、沈黙の帳が下りる。

 破ったのは、シャクラのほうだった。

  

「あなたが、それほどまでに喋れるとは思いませんでした」

「お前、俺をなんだと思っているんだ」

「口下手、不器用、無表情の三拍子を見事に揃えた得難い友人と思っていますが、なにか?」

 

 軽口を叩き返して、シャクラも肩をすくめた。

 

「私をヘタレと言いますか」

「尻込みしているのは間違いないだろうが。何十年単位で」

 

 違いない、とシャクラは額を手で押さえる。

 寝台の傍らに置かれた剣が目に入った。赤い刀身が、わずかに見えていた。

 

「……ん?フェイが来たらしいぞ。コクヨウがそう言っている」

 

 契約龍から何らかの言葉を受けたらしいレトが、窓の外を指さす。

 昼下がりの光が、窓の外を満たしていた。

 

「迎えに行って来ますよ。この話はここまでで」

「またヘタレるのか」

「少し黙って休みなさい。次余計なことを言えば、水差しに眠り薬を仕込みますよ」

「おい、横暴だぞ」

「知りません」

 

 ぴしゃりと言い捨て、だが、何かが自分の心の中で動いた気はした。

 それを感じ取ったのか、レトが片頬を吊り上げる。だが傷が引き攣れたのか、即、口元を押さえた。

 どうにもこうにも、しまらぬ男だ。

 

「うん、大丈夫そうだな。まぁ、頑張れ。大丈夫だとは思うが、駄目だったら慰めてやる」

「二度も大丈夫という必要があったのですか」

 

 病室の窓の外に目をやれば、あの金色の結界が変わらず、そこにある。

 あそこに溶けた、かけがえのない友人。今もここにいたならば、彼女は何と言っただろうか。

 亡くした者に縋ろうと、応えは返らない。

 だけれど同時に、亡くした者を理由に、今を諦めることを彼女は嫌うだろう。

 己にとって都合の良い考えかもしれないが、そう思えてならなかった。

 扉に手をかけて外に出る直前に振り返れば、レトはひらひらと手を振っていた。

 

 生きていくために必要な、『時間』というものをジザは皆に遺していったのだ。

 雷にでも撃たれたように、その想いが胸を掠める。

 だのに、彼女の兄弟子は、たった一人だけあの日に置き去りにされたかのような風貌のまま、そら頑張れ、と宣うのだ。

 

 失いたくなかったし、失われてはならなかった。

 それでももう、あの日々はかえって来ない。その未来を、誰も掴めなかった。

 何も掴めかった手を握りしめ、前へと、歩いて行くしかない。

 

 病室を出る。

 出れば、廊下には午後の日差しが降り注いで、床の上に不確かに姿を変えていく波を描いていた。

 光の波紋を踏み、長い廊下をシャクラは歩いて行った。

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セカイに強度が足りてない。 はたけのなすび @hatakenonasubi

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