ある少年の死

シモン

ある少年の死


 現実にはタイムリープも異世界転生も存在しないのだ――。



 中学二年の五月、あの頃は何にでもなれる気がしていた。根拠のない自信と無敵の万能感があった。それが今では、せっかく苦労して受かった高校にも行かず、バイトもせず、ただ家で寝転がりながらソシャゲをして時間を費やす日々。



 俺は果たして存在している必要があるのだろうか。

 

 この疑問をもし誰かに向けたら、その人は必ず「あなたはこの世界に必要な人間だ」と言うだろう。そんなものは陳腐な決まり文句にすぎない。誰一人として俺を俺として捉えて真摯に向き合おうとはしないのだ。



 ……いや、絶対にいないとは言い切れない。事実、一人だけいた。



 中学に入ってすぐのころ、俺は周りの男子から揶揄われるオモチャのような存在だった。小学校の修学旅行で温泉に入った時、俺の身体は周りよりもわずかに成長が遅れていた。バカなガキでしかない小学生には、これは笑わずにはいられない事だったのだ。その日から俺は不名誉なあだ名で呼ばれ、それはいつしか女子の間ですら俺を表す言葉として定着した。



 そんな中で一人だけ、俺を俺の名前で呼ぶ女子がいた。彼女は別に正義感が強いとかそういうのではなく、ただ思春期であるがゆえにその言葉を口にするのが恥ずかしかった、というのが真相であると後になって知った。



 にもかかわらず、俺は無謀にも彼女に恋をした。いや、それは今思えば恋という言葉で片付けられるものではない。天使、あるいは救世主。そんな存在に見えた。



 一年の終わり、ちょうど終業式の日のこと。俺は彼女に告白をした。下駄箱にメモを入れ、学校のすぐ隣にある公園に呼び出した。それになぜ彼女が応じてくれたのか、今になってもわからない。が、彼女は指定された時間に公園にやってきて、俺が吃りながら支離滅裂なことを言い続けるのを黙って聞いてくれた。



 それは優しさだったのか、憐れみだったのか、それとも見かけによらず誰でも良いという軽い気持ちだったのか。何にせよ彼女はそれまでろくに会話したこともないような男の告白を受け入れてくれた。



 それからの日々は幸せだった。学校にいる間、何をするにも二人一緒だった。学校から帰っても、寝る時間すら惜しんで、ずっとスマホでやり取りをしていた。ほんの短い返事ですら、俺には一生ものの宝物になった。送られてきたメッセージの一つ一つを消えないように保存して、電話をしたときには必ず録音をした。そして、あとから聞き返しては一人で幸せに浸っていた。



 そんな幸せが一生続けばいいと、あの時の俺は無邪気に思っていた。けれども、禍福は糾える縄の如しと言う諺の通り、半年と経たずに人生はどん底に変わった。



 彼女からの一通のメール。それまでは、メールなんてアドレスは知っていても使ったことはなかった。なぜ急に……? だがそんな疑問を抱いても仕方ない。通知だけでは確認できない本文を開いた時、俺の目の前は真っ暗になった……。




『今付き合っている彼氏からもうあなたと連絡をとるなと言われました。急にごめんなさい。もう送ってこないでください』




 それからしばらくは学校に通えていた。彼女は決して俺を嫌っているわけではなさそうだった。避ける素振りは見せず、今まで通りに接してくれた。



 彼女が付き合っている男というのが、同じ学校のやつなのか、それともどこか別の所のやつなのか。四六時中その事ばかり考えていた。もしかすると学生ではないかもしれない。考えたくはないが金銭で繋がった関係という線もある。結局、俺はそれが誰なのかを知らないまま三年生になり、違うクラスになったことをきっかけに彼女と疎遠になってしまった。



 彼女がいなくなってから、俺はまた悪夢のような現実と向き合わなければならなくなった。話しかけてもまともに返事をしてくれるやつは一人もいない。休もうものなら、机の中に得体の知れない何かが詰められている。



 教師に相談してみようと思ったことはある。だが、あの禿げ上がった眼鏡の老人が果たして何をしてくれるというのだ。大して評価されていない人間が助けを求めたところで、教師という人種は手を貸してはくれないだろう。むしろ、さも俺が悪かったと言いたげに説教したり、クラス会なんか開いて晒し者にするはずだ。そんなのはごめんだ。これ以上の地獄を自分で呼び込みたくはない。



 そうして俺は学校に行かなくなった。幸いテストの点数は悪くなく、選ばなければ行ける高校もあるという。高校へ行けば変われる。そんな風に考えていた時期が俺にもあった……。そんな甘い世の中ではないというのに……。




 その高校は底辺と呼ぶに相応しい荒れようだった。授業に来るのはクラスの半分程度。隣の席のやつがいつの間にか辞めていたり捕まったりするような学校だった。



 必ずしも不良とは限らない。俺と同じようにいじめられていた奴もいる。そういう奴は決まって高校でもいじめられるか、馴染めないまま心を病んでいなくなってしまうのだ。



 なぜよりによってそんな底辺高校に、俺と同じ中学の、それも女子が来たのか。



 顔と名前は知っている。女なのに俺より背が高く、地黒の肌と分厚い唇が日本人離れしている。

 だが中学では一度も同じクラスになったことはないし、学校行事にも参加したことがほとんどなかったから、どんな奴なのか知らない。



 だかアイツは俺のことを知っていた。俺が何と呼ばれていたかも。



 アイツは俺と目が合うたび、俺を見下すような目をした。顔も見たくないと言いたげなのに、なぜか俺の前によく現れては、その凍てつく視線を向けてくる。



 アイツはいつも決まって俺のクラスにいる女子とつるんでいた。俺を見たくないなら近寄らなければいいものを、わざわざ寄ってきては嘲笑ってくる。クラス中に響き渡る声で俺を罵ってくる。気づいた頃には学年中に、俺の中学の頃からのあだ名は広まっていた。



 中学も高校も、教師という人種の生態は変わらない。事勿れ主義か無駄なお節介を焼くか、いずれにせよ事態がよくなることは考えられない対応しかできないのだ。



 こうして俺は高校にも行かなくなった。



 もし今俺が死んだら、どこか遠い異世界で生まれ変わって、最強の魔道士にでもなれるかもしれない。絶頂だったころにタイムリープでもして、未来を変えることができるかもしれない。



 だがそれはフィクションの世界だ。



 もう何も考えたくない。



 生きることさえ疲れ果てた……。






 俺の脳裏に一人の女性の姿が浮かんだ。中学の時、俺を弄んだあの女の姿が。


 憎い。


 あの女さえいなければ、俺は違った人生を送れたんじゃないか?


 そうだ、全てあの女のせいだ。



 あの女を殺そう。それが俺に残された唯一の生きる理由。そのためならどんな危険だって冒せるだろう。



 まずはどうやるか、だ。高校生の女を殺すとなった時、そこらの男ならまず間違いなく犯すだろう。だが、それは俺の流儀ではない。そんなことをしたところで俺に何の得もない。むしろ万が一この遺伝子が継承されるなんてことになった方が、俺は未来永劫苦しむだろう。



 なら考えられる方法は鈍器か刃物だ。車を運転できればそれも候補に入っただろうが、そんな都合よく免許を持っていたりはしない。



 今の世の中は便利だ。直接顔を見せなくても護身用の道具を買い揃えることが出来る。



 鈍器になりそうなものは防犯用具の専門店で売っていた。高い買い物ではない。

 こんな物を簡単に売っている会社が悪いのだ。俺はそれを正規に利用しただけにすぎない。俺は心の中でそう呟きながら購入ボタンを押した。



 他にもスタンガンや催涙スプレーなんかも売っていたので、まとめて購入した。あくまでもこれらは防犯グッズである。最近は痴漢なんかも多いからか、高校生でもすんなり購入できる。先達には感謝しかない。



 だが果たしてこれで殴ったところで、簡単に死ぬのだろうか。人間がどれくらいの衝撃に耐えられるか、詳しいことは知らない。だが、聞いたところによると人間は思いの外頑丈らしい。たとえば、切腹では死に至ることはないのだという。首を切り落とさなければ激痛に悶えるだけで死ねないので、介錯というものが必要らしい。



 そうなれば当然、刃物も必要になる。そういえばこの間、母親がずいぶん古いドラマのBlu-rayを購入していた。なんでもこのドラマに出てくる刃物を使った殺人事件が多発したせいで、長らく映像が手に入らなかったとか。



 やはり刃物というのは確実性が高いか。だが、包丁などでは面白くない。もしニュースになったとき、包丁という響きがよくない。やはりナイフである必要がある。かといって果物ナイフやバタフライナイフというのも何かピンとこない。



 そう思案していると、棚にあるゲームで目についたものがあった。


 それはミリタリーもののサバイバルゲームで、サバイバルナイフを使って首を掻っ切るアクションがあった。



 これだ。



 これほどの名案はないと思った。これもまた、日用品のような感覚で簡単に買えてしまう。なにより見た目がいい。このナイフを持つ姿を想像しただけで、自分がファンタジーの主人公になったような気分になれる。



 サバイバルナイフを購入したはいいものの、ゲームでは確か格闘術で動きを封じていたことを思い出した。よく考えれば動き回る人間を相手に、正確に切り込みを入れるなどというのは、少なくとも自分の出来ることではない。



 となると、相手を拘束する道具も必要になってくる。これは今まで以上に簡単だ。本来なら俺の入れないような店でしか売っていないような商品でも、ネットを通じてなら買えてしまう。ガムテープでは見栄えがよくないのだ。人を拘束するのはやはり、ロープや手錠といったザ・拘束具という見た目の物のほうが気持ちが高まって良い。



 これでアイテムは揃った。だが、まだ問題がある。俺は買いすぎたかもしれない。ゲームのキャラクターなら剣や槍を8個とか平気で持ち運べるが、それはとてもじゃないが非現実的だ。



 ならこの中から一つを選べばいいじゃないか。――それはナンセンスというものである。せっかく買ったのだ。余すところなく使ってぐちゃぐちゃにしてやりたいと思うのが男という生き物なのだ。



 しかし、これを全て詰め込めるような物がなかなか見つからない。リュックサックなら入るだろうが、それは目立つ。不審に思われてしまっては元も子もない。何かもっといい方法はないものか……。



 考えあぐねて横になっていると、家のチャイムがなった。どうやら親が何か頼んでいたらしい。俺はインターホンもろくに確認せずにドアを開け、適当にサインを書き、荷物を受け取る。配達員は壮年の男性だったが、よく見る制服ではなくラフなシャツを着ていた。



 なんとなく気になって、どうしてなのか聞いてしまった。彼は嫌がる様子もなく説明してくれたが、詳しいことまでは覚えられなかった。ようは会社に雇われているというわけではなく、個人として契約しているみたいな感じなので、制服というものはないらしい。



 これだと思った。これなら何一つ疑われることなく家のドアを開けられる。さらにいえば、荷物を装った段ボールにアイテムを全て詰め込めば、さっきまでの悩みも解決する。天啓というべきか。神は俺にこの仕事を全うしろと働きかけているのだ。



 唯一の問題は、これを宅配の荷物に偽装する方法である。適当な段ボールではすぐにバレてしまうだろう。それでは意味がない。伝票や段ボールについているロゴなど、全てで相手を納得させる必要がある。



 幸いにして、この問題はすぐ解決した。

 あの女の家の近所のゴミ捨て場に、不用心にも伝票をつけっぱなしの段ボールが捨てられていたのだ。俺はこれを持ち帰り、コンビニで貰った伝票に写した。筆跡を似せつつ、全く同じにならないようにするのは苦労したが、案外楽しいものである。



 これで準備は整った。あとは実行に移すのみ。



 段ボールを抱えてマンションのエレベーターを上がる。誰一人として俺を疑うものはいない。世界が俺の味方をしているのだ。



「こんにちはー、宅配便でーす」



 あの女の家のチャイムを鳴らし、見様見真似で声掛けした。何の疑問も抱かなかったのだろう、想像していたより早くドアが開いた。あの女にどこか似ている女、おそらく母親とおぼしき人がその顔を見せた。



 この家は実に不用心だ。最近ではチェーンをかけたまま応対したり置き配にしたりと、防犯を意識している人が多い中、躊躇なくドアを開けた。それも全開にしたのだ。



 開ききったドアをさらに開こうとすると、母親の手は一瞬ドアから離れた。その機を逃さず、俺は母親に体当たりする形で、無理矢理家の中に入り込んだ。



 母親は予想外の衝撃に耐えられず、その場に後ろ向きに倒れた。そのドンッという音を不審に思ったのか、「どうしたのお母さん?」という声が奥から聞こえた。聞き覚えのある、少し低めのくぐもった丸い声。



 そこにいるのか……!



 俺の視線が奥にいったからなのか、倒れていたはずの母親は俺の胸ぐらを掴んで、逆に倒そうとしてきた。その弾みに抱えていた段ボールが床に落ちる。だが、中年の女の力などたかが知れている。俺は倒れることなく、母親を引き剥がそうとした。



 だが、追い詰められた鼠というのはどうやら常識を超えた力を出すようで、簡単には引き剥がせず、揉み合う形になってしまった。



 計画を変更せねばなるまい。まずこの母親をどうにかしなければ。床に落ちた段ボールは衝撃で封が解けている。その中から何か取り出そうと身体を屈めた時、母親に俺は押し飛ばされた。



「逃げて!!!」



 母親のひっくり返った叫び声のあと、床に転がっている俺を足蹴にしてあの女が外へ行ったのが見えた。



 もう全てがどうでもいい。



 段ボールの一番上にあるものを手に取り、あの女のあとを追おうとする母親の頭を後ろから殴りつけた。



 人というのはこんなにも固いものなのか。新しい発見だった。



 だが、やはり死にはしないらしい。後ろ側の髪の毛が真っ赤になっているにもかかわらず、開いたドアに寄りかかりながら、必死に外へ行こうとする。



 俺はナイフを取り出し、止めを刺そうと母親に近づいたが、支えを失った母親が倒れてきて抱きつくような形になってしまった。



 その時、俺は自分の胸の中にある空虚な穴を自覚した。



 俺が求めていたのは、人の温もりだったのか……?



 死にかけの人間から感じる体温が、俺の胸の穴に流れ込んでいく。



 なぜ君は逃げてしまったんだ……。



 もしあの時、俺を君が抱きしめてくれていたら、俺は人を殺さずにすんだのに……。



 胸の穴が次第に広がっていくのがわかる。



 俺の中にある熱い何かが、その穴からゆっくりと流れでていくのを感じる。



 それはまるで自分自身の存在が溶け出していくような、魂というものがあるとするならばそれが消えていくような。そんな感覚……。





 目の前が暗い……。さっきまでの温もりがない。ただひたすら冷たい感触だけがある。



 もう一度、もう一度だけ。誰でもいいから、あの温もりを……。



 俺の頭の中は次第に冷静になっていく。もし目の前に誰かいたとして、何か伝えられることがあったら何を言おうか。



 ああ、そうだ。パソコン。あれをどうにかしなければ……。



 そうだな、風呂にでも沈めてもらおうか……。



 ――もし生まれ変われるなら何がいいだろうか。美少年か、マスコットキャラクターみたいな生き物か……。いや、もしかしたら目が覚めたら生き返る方法があるとか言われるかもしれない。人生をやり直すとか、そういう……。



 ……なぜ今になってこんなことばかり考えるのだろうか。薄れゆくイメージのなか、俺はなぜか希望に満ち溢れていた。



――現実にはタイムリープも異世界転生とないというのに……。


 

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